年配者の大法弟子が注意すべき幾つかの問題点
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2019年2月25日】母は年配者の大法弟子で、昨年の年末に病業の形でこの世を去りました。短い4カ月の間に、母親の修煉状態を見ていろいろと感じました。年配者の大法弟子が、修煉の中で注意すべき幾つかの問題点を以下のようにまとめてみましたので、それについて、皆さんと交流したいと思います。

 一、根本的な執着について

 多くの年配者の大法弟子は最初の頃、病気治療のために修煉を始めました。しかし、長く修煉しているとはいえ、この「病気」に対する根本的な「執着」を果たして手放していたでしょうか? 修煉して健康になったとはいえ、この根本的な執着を放下したとは言えません。修煉は異なる次元においても、心性が高まる状態にまで高め続けなければなりません。

 いつも、「ああ、これは美味しい、あれも美味しい」と思ったり、「硬いものは胃腸で消化されにくい」とか、「冷たいものは体を冷やしてしまう」とか、「薄着をしたら風邪を引きやすい」とか、「誰かが病気になったら、この民間療法を教えてあげよう」などと普段から色々と考えています。これらの日常生活上の問題をいつも考えていれば、結局、それらは「病気を恐れている」根本的な執着心を増長しているのではないでしょうか?

 修煉者は法に則って物事を考えなければなりません。つまり、人間の観念を取り除き「お腹がいっぱいになれば、何を食べても構わない」と思うようにならなければなりません。生活の中の些細なことを軽視し、内に向けて探さず、時間が長くなるとこれらのことが山積みとなり、固定観念となり、結局、自分で認識すらできなくなり、最後には大きな問題となるのです。

 二、内に向けて探す問題

 一部の年配者の大法弟子は法を学ぶ時とても真剣ですが、しかし、内に向けて探すことができません。トラブルに遇えば外に向けて探したがり、同修に注意されて初めて気づく場合が多くあるようです。そうなれば、問題を解決するのにも時間がかかり、向上するのが遅くなります。しかし、修煉というのは自らを修めることで、自分が悟って初めて高めることができるのです。

 三、師と法を信じる正念が足りない

 一部の年配者の大法弟子はトラブルに遇うと、まず法に則って物事を考えるのではなく、常人の情緒に流されやすいのです。特に子供の問題に関しては、子供たちにいつも実家に帰って来てほしいとか、孫たちを溺愛するとか、子供同士のトラブルに是か非かを口出ししたがるとか、などがあります。そして、体調が悪い時に耐え抜くとすぐ嬉しくなり、そうでなければすぐに落ち込み、はやばやと葬式の段取りまでしてみたり、遺言書などを書き、自分が修煉者であることをすっかり忘れてしまいます。

 要するに、正念を持ってこれらの問題に対処するのではなく、真に師と法を信じることも出来ず、旧勢力を全面的に否定することが出来ないため、旧勢力に隙に乗じられ、病業の形で肉体を奪われてしまうのです。

 以上のいくつかあげた問題点は、決して私の母親だけの問題ではなく、一部の年配者の大法弟子の修煉の中で見られるもので、普遍的に存在している問題だと思います。ここにこれらの事を書き出して皆さんと交流し、注意を喚起したいと思います。また、これらについて適切でないところがあれば、同修のご叱正をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/2/10/382591.html)
 
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