再び携帯電話の安全性の問題について語る
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年12月31日】最近、地元で二つの出来事がありました。一つは、ある同修の息子が「どうりでお母さんが携帯電話を使わないはずだ。今日、ぼくが公安局のネットワーク監視センターに行ってみたら、ほとんどの携帯電話が監視されていた。もちろん、法輪功学習者のものも含めてだよ。今やっと、お母さんがなぜ携帯電話を使わないかがわかったよ」と話しました。

 もうつの話なんですが、多くの同修はある年配の法輪功学習者のお葬式に参列しようとした際に、この年配の学習者の娘さんは公安局で働いていますが、彼女は「皆さんはお葬式に参列していいのですが、携帯電話を持って来ないでください。皆さんの携帯電話は全部警官に監視されています。普段、皆さんが何を話しているのか、何をやっているのか、警官は全部把握していますよ。ただ皆さんに対して、まだ何の行動も取っていないだけですよ」と話しました。

 この二つの話からすると、安全に注意することがいかに重要で緊急な問題なのかがわかりました。師父は説法の中で繰り返して説かれました。明慧編集部や明慧ネットでこの面に関する交流文章がたくさんあります。しかし、この問題について重視していない同修も少なくないのです。例えば、集団学法の時にも携帯電話を持って来たりします。また、学法の途中で電話を出して、携帯電話の電源を入れたままにして、自分の直ぐ側に置いたり、あるいは、隣の部屋に置いたりしています。多くの同修はこのような状態の中で、同修の名前を呼んでなんでも喋ります。ある同修は外で真相を伝えている時にも、いつも携帯電話の電源を入れたままです。暗語化されていないパソコンの横に、大法に関する真相資料がたくさん置いてあります。様々な角度からみると、同修たちは安全性の問題について、あまりにも重視していないことがわかります。つまりこれらの事からすると、法理をよく理解できていないことになります。

 修煉の角度からみると安全性を重視し、注意することは、他人のことを考えている、自分や他人に責任を負うことになります。修煉の中で、私達がどうして師父の要求されたことをやり遂げられないのは、つまり、人心が多く存在していることにもなります。例えば、私心が多く自己主張する、面倒臭いことを嫌がる、便宜を図る、頑固である、大法を信じない、師父を信じないなど、これらの多くの人心を取り除けば、やり遂げられることになり、これがすなわち修煉です。

 もちろん、安全性の問題について、携帯電話だけではなく、パソコンや大法の書籍、資料点などなどやまた同修の間で口を修めないことなども含まれています。私達は「まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」[1]の次元にまで、早く達するように努力しましょう!!

 以上は個人的な認識であり、適当でなければ、慈悲なる指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏なし」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/12/15/378450.html)
 
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