同修間での口を修める問題について
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年9月22日】当地では、邪悪による迫害はずっと蔓延(はびこ)っています。これは多くの同修が口を修めないことと関係していると思います。

 長い間、多くの同修は好奇心を放下せず、何でも聞きたがります。教えてあげれば喜び、教えてあげなければ内に向けて探さないだけでなく、他の同修を咎(とが)め、同修間で隔たりをもたらしてきました。

 彼らはいったん何かを耳にすれば、口を修めず至る所に伝え、自分が知っていることや聞き伝え、自分の想像や憶測までも加味して、すべての事を仲の良い同修に教えます。それを聞いた一部の同修は真偽を弁別もせずに、さらに周囲に広めます。多くの事は公然の秘密になってしまいました。

 甚だしきに至っては、一部の同修は情報を仲の良い常人に漏らし、それが悪人に伝わり、当事者の同修に大きなトラブルをもたらしたことさえありました。情報を常人に漏らした同修が故意にやった訳ではないので、当事者の同修も責めませんでした。しかし、わざとではないとは言え、法を実証することに大きな妨害をもたらしたことは事実です。

 一部の資料点の同修は作った資料の部数と、どの同修にどれぐらいの資料を渡したかをきちんと管理しようとしていて、もし誰かが多めに取って行けばすぐに「なぜそんなにたくさん持って行くの? 誰にあげるの?」と問い詰めます。多くの同修は相手の感情を害したくなく、実情をそのまま答えます。そうすると、問い詰めた同修は周囲の多くの同修の修煉状態を熟知することになり、知らず知らずのうちに、また自分の知っている状況を他の同修に言ってしまいます。

 ある日、ある同修は資料点の同修にある事を教え、他人に漏らさないように念まで押しました。しかし、何日も経たないうちに、もう多くの人がそのことを知るようになりました。わざわざ事実を確認しに行く同修もいて、教えてもらえなかったら不満さえ抱くようになりました。

 実は、迫害がまだ続いている状況下で、資料点の同修は資料を取りに来る同修とだけコンタクトすべきで、その先にいる同修の情況を聞くべきではありません。資料を取りに来る同修も全体の安全を考慮に入れ、資料を誰に渡すか、誰が資料を作っているかなどの情報を秘密にすべきです。多くの事は知る人が増えれば増えるほど、当事者の同修がより危険に晒されます。それに、情報を多く知ることはあなた自身にもメリットにはなりません。

 一部の同修は何でも知りたがってあれこれを尋ねますが、いざ邪悪による迫害に遭うと心性を保つことができず、知っていることや聞き伝えを全部白状してしまい、他の同修も迫害に遭う状況を招きました。実際、当地の以前の資料点の同修や資料を伝達する同修、そして技術を担当する同修の数人は残酷な迫害に遭いました。

 交流の際、ある同修はこれを問題として提起し、口を修め、法に則って交流し、言うべきでないことを言わないように皆に注意喚起しました。しかし、「嘘を言えません。聞かれたら、ありのまま答えるしかありません」と言う同修もいます。実は、嘘を言う必要もありません。相手に「この事は教えることができません」と答えれば良いのです。どうして断る勇気がないのでしょうか? 相手の感情を傷つけることを恐れているのでしょうか? それとも、外面が良い人間になろうとしているのでしょうか? この恐れる心や情への執着の何れも放下すべきではないでしょうか? なぜ放下しないのでしょうか?

 あなたはありのままを答えて、その場の和やかな雰囲気を保つことが出来たかもしれませんが、後に、あなたの言動によってもたらされる結果を考えたのでしょうか? 一部の衆生を救うプロジェクトは同修が実行していこうと考えている矢先に、あなたが情報を漏えいしてしまい、結果的に同修は諦めてしまいました。衆生が救われなかったことに、あなたにも責任があります。

 しかも、口を修めなければ同修に面倒をかけ、同修間の隔たりをもたらし、全体にも影響を及ぼします。これはどんなに大きな罪でしょう。私がみるには、口を修めていない同修の多くは、よく大きな病業の関に遭い、いつも周囲の同修に発正念による助けを求めています。

 修煉する私たちは師父のお話に従うべきです。師父は「口を修めるように」と法を説かれているので、私たちはそれをやり遂げるべきです。何らかの口実をつけて、自由気ままに何でもおしゃべりするような振る舞いは、ほんとうに慎むべきです!!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/8/26/372927.html)
 
関連文章