口を修めることについて
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文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2018年6月19日】「口を修める」という言葉は修煉界の専門用語でもあり、修煉において重要な部分でもあります。

 『轉法輪』を勉強して、法を正す時期の修煉は法を正すことと深くかかわっており、個人の修煉ではないため、口を修めることもただ単に業力を造ることを避けるだけの問題ではなく、法を広め、法を実証することも含まれているということを悟りました。ですので、私たちが口を開く時は、必ず法の基準に基づいて、口にして良い言葉を計りながら自分自身を律しなければなりません。では、口にしてはいけない言葉に関してはどうすればいいでしょうか? 口にしなくても、頭の中で考えてもいけないのです。悪い考えを滅さずにそのまま放っておけば、時間が経つと必ず再び湧き出てくるのです。ですので、その悪い念が自分の思考なのか、それとも、外来の要因なのかを分別し、それらを滅してこそ、「口を修める」の「修める」を実行に移せるのです。そうでなければ、ただ口を閉じて何も話さないだけでしかありません。こうして見れば、口を修めることは、自らの思想を正すことでもあるのです。法理を用いて思想を正すことは、自分自身の背後にある宇宙世界を正し、そして、自らが代表している天体を正していることと同じことではないでしょうか。この点から見れば、法を正す時期の修煉において、口を修めることはより深い含意が含まれているので、大法弟子たちは口を修めることを重視しなければなりません。

 口を修めることは自らの思想を修めることでもあるので、完全に旧勢力の按排を否定することも中に含まれています。修煉者の思想のほとんどがその人自身の思想ではなく、旧勢力が細かく按排したものであることを悟りました(例え観念や思想業力によって形成された思想でも、或いは、外来の要因に妨害されたものでも、全て旧勢力による按排なのです)。ですので、旧勢力による按排を否定しなければなりません。そのためにはまず、自らの思想をきれいにすることです。一つ一つの思想を区別して、法理に基づいて、正しい思想と悪い思想をはっきりさせるのです。正しい思想なら言動に移し、悪い思想なら必ずそれを否定して滅さなければなりません。よって、旧勢力の按排を否定するためには、口を修めることがより重要となってくるのです。なぜなら、口を修めることで、旧勢力による妨害や迫害をよりよく避けることができるからです。

 例えば、お互いを褒め合ったり、他の同修の事を背後であれこれ言ったり、同修を非難したり、流行している正しくないフレーズや党文化を帯びている言葉を口にしたり、中国共産党の楽曲を鼻歌で歌ったり、或いは常人同士でからかったりなど、執着心によって口から出た上記のような言葉を全て修めなければなりません。党文化が含まれているだけでなく、旧勢力による按排でもあるからです。

 冗談話やからかいについて、口から冗談話が出やすい人もいれば、他人をからかう習慣がある人もいます。この2種類の人は口を修めていないと私は思います。なぜなら、(善意のあるユーモアを除き)冗談話やからかいは普段、誰も本気にしていません。ただ口にしただけで誰も本気で受け止めないから、業力を作らないし、責任を負う必要もないと誰もが思っているため、言葉を選ぶ基準がどんどん下がっていき、終いには、下ネタやストレスを発散する下品な言葉になり、言葉を選ばなくなるのです。他人をからかう時、「騙す」「煽る」「争う」などの党文化を帯びた言葉を口にすると、業力を作るだけでなく、法を実証することにも悪い影響を与えかねません。また、大法弟子のイメージを壊す可能性もあり得るからです。修煉者が口を修めなければ、どうして圓満成就できるでしょうか!!

 では、どうすれば、よりよく口を修めることができるでしょうか。そのためにはしっかりと法を勉強し、法理を理解する他に方法はありません。ですので、同修の皆さんも、自分の修煉の道に余計な妨害やトラブルを作らないよう、口を修めていきましょう!!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/5/27/368044.html)
 
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