文/中国の大法弟子
【明慧日本2018年5月31日】私は二十数年も大法を修めている大法弟子です。修煉の道をよろよろと今まで歩んできました。ここで、自分が内に向けて探し、執着心を取り除いた体得を話してみたいと思います。
私は1998年から大法を修め始めました。当時、息子はまだ6歳でした。修煉後、私は厳格に大法の要求に従い自分を正し、また小さなことで家族にケチをつける癖を直しました。そのため、家族も大法のことを認めて、大法を広める手伝いをよくしてくれました。
息子が中学校を卒業して社会に踏み入った時に、私は息子が立派な人間になって、先祖の名を上げ、我が一族がいっそう繁栄するようにと息子のことを大いに期待しました。時間の推移とともに、私のこの心もますます強くなっていき、自分のこの心は執着心だと認めず、これは単なる母親の子供に対する期待であり、人間の自然な気持ちだと考えていました。しかし、この10年間、私は期待すればするほど息子が正道から外れ、毎日酒食遊楽にふけり贅沢三昧な生活を送っていました。しまいに甚だしきに至ってはあらゆる悪習に染まり、あれこれの問題を引き起こしてばかりいました。私は息子のために心身ともに疲れ果て、いつも私に恥をかかせるこの意気地なしの息子のことを、心の中で恨んでいました。親戚や身内に合わせる顔もなく、自分のことを他人より一段と劣っていると感じ、恥じていました。
息子が家に戻ってくると、私を見る目つきがいまいましそうに見えて、違和感を覚えました。息子にとって家はただの宿みたいなものでした、泊りたい時だけ帰ってくるのです。彼の心が私から遠ざかっていくことが分かりました。その時、息子を失う事を恐れる執着心がまた生じてしまい、本当に辛かったです。
かつてしばらくの間、学法をしても身に入らず、煉功しても入静できませんでした。自分に関わることがほとんどスムーズに行きませんでした。問題は自分自身にあることが分かりました。私は法の要求から外れていたのでした。自分の現状は憂慮に堪えず、直ちに改めなければと認識しました。『明慧週刊』から、同修は法の暗記や法を写すことを通して、修煉状態が大いに改善されたことを知り、私も法を写すことを決め、自分の心を正すことを決心しました。4カ月で『轉法輪』を写すことが出来ました。法を写す過程において手の痛みや腰痛、目の複視(ものが2つに見える、ダブって見えるという症状)等の妨害に遭いましたが、これらの妨げは克服しなければならないものだと自分の念を固めた時に、すべての症状が知らず知らずのうちに消えました。法を写せば写すほど心が清浄になり、より多くの執着心が暴露されました。例えば、怨恨する心、嫉妬心、劣等感を感じる心、色心、他人に指摘されたくない心、等々です。さらに肉親に対する執着心と常人の中で良い暮らしに憧れる執着心は最も強かったことが分かりました。これほど多くの人心を持っていることに直面して、私は本当に驚きました。長年修煉しているのに、全く実修していないのに等しいのではないでしょうか、他人と衝突した時に、意識の中では常に相手が間違っている、自分が正しいと思い改めようとしませんでした。自分のこれらの行動は正に大法の法理と正反対ではないでしょうか。
師父の写真の前に跪いて、心からこれらの非を悔いました。「長い間、私はずっとこれらの良くない心と、汚れた考えをもって、無茶苦茶に修めていました。自分が満足できるまであれこれ要求し、自分の基準に達するよう息子に求めていました。しかし、人はそれぞれ自分の運命があります、私が決められるものではありません。息子の状態は私の心に向かってきた表れだと思います。子供は私の修煉の手助けをしに来たのではないでしょうか、なぜいつも他人を変えようとして、自分を改めようとしないのでしょうか」と深く反省しました。
師父がこの様に仰いました。「それに比べて最も汚れた世界の中に落ちた後、皆さんは速く元へ戻るよう修めることなく、かえってまた汚れた世界の中の汚い物をつかんで放さず、甚だしきに至っては、少しでも失えば苦しみに耐えられません」[1]
これらの法理を悟って、子供との関係を正し、「これからしっかり修めなければならない、師父が按排してくださった道を歩み続けるのだ、自分の言動を法に照らし合わせて、一思一念をすべて修めなければならない」と認識できました。師父が10年も修煉の道を踏み外し続けてきた、この意気地なしの私を見捨てておられないのですから、私にまだ何を放下できないものがあると言えるのでしょうか? この数年、子供の良くない表れは私の心の表れではないでしょうか、自分の修煉の環境は自分の人心がもたらしたものです。
悟ったからには実行しなければなりません。直ちに私は正念を発することにしました。「師父が按排された道を歩み、それ以外の按排はいっさい切り捨てて、後天的な執着心を取り除き、大法の中で自分を帰せいして、師父の按排されてないすべてを解体し、消滅し、息子を利用して、経済面において私に迫害をおよぼす企みは、勝手に振る舞えないことである、邪悪にはその資格がない」
基点を正すことが出来たので、すべてが良くなりました。正念を発する時に静まることができ、煉功する時にも集中ができ、学法の時も眠くならなくなりました。以前の自分を取り戻せたことが分かりました。
息子の状態も以前と打って変わり、また、以前の物わかりの良い子に戻り、順調に良い仕事に就くことが出来ました。私も「柳暗花明又一村」[2]と「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」[3]について、より一層深く理解するようになりました。
注:
[1] 李洪志師父の著作: 『精進要旨』「真修」
[2] 李洪志師父の著作: 『轉法輪』
[3] 李洪志師父の著作: 『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」