明慧法会|自分なりの真相を伝える道を切り開く
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年4月16日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は書画家で、一定の範囲内では名声が高く、私のことを大家という人もおりますが、実際、私は一般的には目立たない人間であり、真に修煉してきた大法弟子です。二十数年来、集団での書画活動にほとんど参加したことがなく、名利の誘惑の前で、書画が腐敗し驚くほど乱れた今日でも、すべての雑念を捨て、師父が按排してくださった修煉の道を悟り、大法が与えてくださった書道の技能を利用して、三退を大いに勧め、衆生を救っています。

 一、脳萎縮の1人の半身が不自由な障害者が 健康な真の修煉者になる

 私は小さい頃から病気にかかりやすく、6、7歳ぐらいの時に遊びで急な坂を下っていたら、なんと10メートル近くの深さの溝に飛び込んでしまい、頭を石にぶつけ、長い間昏睡状態に陥って、息を吹き返しました。その後、それが原因でひどい脳震盪の後遺症が残りました。それから、十数歳の時に腸チフスになり、3年連続で発病の季節になると毎年高熱が続き、寒いと全身が震え布団を掛けても寒く感じました。また、頭に亀裂が入ったかと思うほどの頭痛でしきりに声を上げても、治療するお金がなかったので、ただただ苦しめられていました。そして時間が経つにつれ高熱で脳細胞が死滅していき、慢性的に知能も徐々に低下しました。

 そのため小学校から高校まで私は数学、物理学と化学には無縁で、授業を聞いても全くわからず、覚えられず、いつも自分が悪いのだと認めるほかありませんでした。しかし、書画の並はずれた才能により、書画を書かせると抜群でした。このように運命づけられ、この面ではどこでも人々に重用(ちょうよう・人を重く用いること)されました。そのため、私は貧しい農村の子供でしたが農夫ではなくなりました。中国共産党の軍隊にいた時には苦労に苦労を重ね、特に脳萎縮でずっと頭痛やめまいがし、耳鳴りがし、反応が鈍く怒りっぽい性質で、知力の全面的な低下などで苦労しました。本を読んでも5分もしないうちに疲れてクタクタになり、頭痛やめまいがし、心臓がドキドキして辛くなります。それでいつも頭を地面に下ろし、足を上に向けて壁に向かって倒立すると、しばらくの間苦しみがほぐれました。夜寝る前には妻にこぶしで、頭のてっぺんに30分間パンチを食らわしてもらうと、寝入ることができました。また、我慢できない時はいつも後頭部を壁に激突させ、寝る時は頭を枕もとで強くたたくか、手で首を全力でたたいたり、拳を握って頭や首をたたきました。それ以外にも、腰椎椎間板ヘルニアや胃潰瘍、鼻炎、気管支炎、心臓病などで苦しめられ、さらに気絶したりしていたので死にたいといつも思っていました。

 社会に適応できないのでいつも口数が少なく、言いたいことも言えませんでした。そして、いつも大切なことを忘れてしまうので、仕事上ではいつも記録することで仕事を維持し、そうしなければしょっちゅう物忘れをして、仕事になりませんでした。

 忘れもしない1996年6月は、私の命に希望が持てた日でした。職場の責任者が『轉法輪』と『轉法輪(巻二)』という書籍を私にくれ、さらに法輪功を紹介してくれました。これが命を救う書籍だとわかったので、私は抱いたまま放そうとしませんでした。

 脳萎縮を患ってからすでに何年もの間、本を読もうとは思いませんでしたが、この時は2冊の本を大切に読んで、3日間で一気に読み終わりました! これは生涯ではじめて自分を超えた瞬間で、本当に奇跡のようでした。これは修煉の書籍だったので、すぐに「修煉しよう」と決心しました。

 その後、私は集団学法煉功に参加しました。1カ月以内に師父が連続して3回、私の体を浄化し、業力を滅してくださいました。そして数カ月後、長年にわたる根深い病気がいつの間にかなくなり、私の体に無病で全身が軽い状態が現れ、心境と心性がともに大変速く向上しました。そして、師父が私のために艱難辛苦(かんなんしんく・ 非常な困難にあって苦しみ悩むこと)をなめ尽くされ、巨大な業力を請け負ってくださったことを知りました。私は慈悲で偉大なる師父に真心を以って、感謝の気持ちを表します! 大法の救い済度がなければ私のすべてはなく、師父が体を浄化してくださらなければ、私は今日まで生きることはできませんでした。

 師父のご恩に報いるために、私は2000年に続けて6回北京に陳情に行き、法を実証しました。その内2回、天安門広場で横断幕を掲げました。そして十数年もの間、続けて二十数回不当に拘禁され、さらに労働教養を科され、不当に刑罰を下され、肉体に何度もひどい凌辱(りょうじょく・ 性的暴行 · 性的虐待 また、プライドや個人の尊厳を傷付ける言動)を受けました。

 江沢民を告訴し、迫害に反対する大潮流の中で、実名で何度も明慧ネットに迫害に反対する文章を発表しました。江沢民の邪悪政権が中国共産党を利用して、善良な人々を残酷に迫害した罪悪を暴露し、中国共産党の政治ごろつき集団を震え上がらせました。それと同時に、人と戦おうとする共産党の教育の悪影響を自分の中に見て、「真・善・忍」を修煉する修煉者の善の心と寛容が不足しているのがわかり、ある結果をもたらしました。

 私は自分をしっかり修めようと決心し、また、修煉して出た心の強さと慈悲で法を実証しようと決心しました。それは、毎回真相をはっきりと伝え、「三退」を促す中で一定の作用を発揮しました。ある時、真相を伝える場所で40枚以上に筆をふるい、言葉はみなその場で自ら考えて書き、さらに始めから終わりまで座らずに立って書きました。しかし、体が軽く疲れを感じず、なんと私が字を書くのを見ていた人の方が疲れて、クタクタになりました。私は落ち着き払って焦らず、書く文字は自由闊達で、尽きることのないみなぎる力があるのを感じました。多くの人が「この人はもうすぐ70歳だそうだが、50歳代にしか見えない」と言われ、それも無理もありませんでした。また、私が40歳代だ、と言う人もいました。そこで私は人々に「私は法輪功を学んでおり、私の師父が体を浄化してくださいました。そして、脳萎縮で生活力さえない半身が不自由な障害者が、誰もが認める大法の中で修煉し、無病で全身が軽くなり、多くの恩恵を受けた者となりました」と堂々と伝えました。

 二、障害を排除し、書道の技術を善用し、真相を伝え人を救う

 大法を修煉する前は常人の世俗の中に落ち、知らないうちに現代書風に入り込み「おしゃれ」で醜い書道を追求していました。それに道徳的に堕落して、長い間抜け出すことができませんでした。しかし、修煉後は法を師とし絶えず自分を正し、特に師父の『音楽と美術創作会での説法』が発表されてからは、思想業の障害を取り除きました。大法の「真・善・忍」の基準を以って、100枚近い草書と醜い作品を廃棄し、収蔵してあった共産党の内容を含んだ名人の書画を片付けました。さらに、個展を開くことが衆生を救うことになるという誤った考えから抜け出し、自分の書道の技術を用いて面と向かって真相を伝え、衆生を救う道を歩み始めました。

 私が真相を伝える方法はおおむね次の3種類です。一つ目は、地方で字を書いてほしいと誘われた時に真相を伝える。二つ目は、字を書いてほしいという人を家に呼んで真相を伝える。三つ目は、人々が設ける宴席の席上で真相を伝える、この3種類です

 数年前、地級市(訳注:中国の行政単位の一つ)の幹部に字を書いてほしいと頼まれ、特大の丸テーブルでの会食が正午に設けられました。出席者の大部分が局長クラスの1、2番目の責任者と会社のオーナー、それに新聞記者と画家などの14人でした。その時、私はこれらの縁のある衆生を救い済度するために、師父に加持していただくようお願いしました。宴会の主催者である局長に「みなさんに少しお話したいことがあるのですが、よろしいですか?」と話を持ちかけました。すると、局長は喜んで「いいですよ!」と言ってくれ、皆が拍手し歓呼する中で法輪功の真相を伝えると、その場にいた全員の中で1人だけが「三退」しませんでしたが、その他の人は順番に仮名をつけて全員「三退」してくれました。

 真相を伝える過程で、縁のある多くの人が「法輪功とはいったい何なのか」を知らないのだ、と気が付きました。そして、縁のある人に真相を伝えるために、私はまず「法輪功とは『法輪大法』であり、『法輪大法』は正法で、佛家の高尚な大法であり、本当に衆生を救い済度する天法の道である」とはっきりと伝えました。そして「『真・善・忍』は人としての基準であり、『真・善・忍』に基づいて行えば誰でも良い人であり、『真・善・忍』に背いたり、『真・善・忍』を迫害する者が本当の悪人です。江沢民らの一派は狂ったように法輪功を迫害し、『真・善・忍』を踏みにじりました。しかし、そのことにとらわれた中国共産党の各幹部は捕まり、全国ですでに21万人が法に基づいて裁かれ、大法が悪人に与えた贖罪(しょくざい・犠牲や代償を捧げて罪をあがなうこと)の機会はすでに多くはありません」と伝えました。このように伝えると、真相を聞いた人の心をすぐにつかむことができ、続けて話すと服を脱ぐかのように容易に受け入れてくれました。

 ある時、民間の美術館から字を書くように頼まれました。聞いたところによると私の「書」を欲しがっている人が多く、その中の2人の警官と2人の私服の保安係も「書」を欲しがっていました。もちろん、だからといって私は恐れたりせず、何事も恐れず来た人はみな友人であり、縁のある人で救い済度されることを待っている衆生でした。私が字を書きながら真相を伝えると、師父のご加持の下で、その場全体が正しい気によって和やかになりました。その時、中国で建造している美術館を兼任している台湾の館長であり、地元の有名な企業のオーナーである人が皆の前で「法輪大法は素晴らしい!」「真・善・忍は素晴らしい!」と声を上げました。そして、携帯電話で新唐人テレビが放送している臓器狩りの番組と、全世界が江沢民を告発する正義の声を上げている、という番組を流すと、その場にいた人の大部分が「いずれ江沢民が裁かれ、因果応報は必然である」と思いました。そして、全員が大法を認め、「三退」すれば平安が保たれることを認めました。その中にいた体がひときわ大きな私服の保安係は、まるで小学生のように満面に笑みをたたえて脱党を受け入れました。さらに「私はもう長い間眠れていないので、心が安定する書画がほしいのですが」と言うので、私はすぐに善と徳に満ちた内容の自作の詩を書きました。そして、「公安の仕事も人に対して善良でなければならず、『法輪大法は素晴らしい』『真・善・忍は素晴らしい』をいつも念じ、あなたがこれを行うことができれば眠れるでしょう」と言い聞かせました。すると、この警官は喜んで何度もうなづきお礼を言い、書を受け取って満足して帰って行きました。

 私の「書」を求めて我が家に来て、真相を聞いた縁のある人を私は上客としてもてなしました。さらにその人たちの状況と要求に合わせて言葉を選び、目の前で書き、目の前で三退を勧めました。そして「字を書くことはどうということはなく、1人の人が真相を理解することこそ多くの生命が救われることになるのであり、このような人をさらに大切にすべきではないのか?」を悟りました。善のエネルギー場を修め、絶えず外に広がるにつれて慈悲の力も大きくなりました。

 このようにすると、1から10へ、10から100へ、伝えれば伝えるほど広がり、伝えれば伝えるほどはっきりと多くの人が、各業種の人が法輪功を修煉している書画家の私のことを知るようになりました。その書画家は代金がいくらであるかにかかわらず字を書き、いくらであっても気にしなかったので、自ら「三退」しに家を訪れる人も少なくありませんでした。

 ある地級市の財政局の副局長が私に会いに来て「あなたは脱党させてくれるのですか?」と聞かれ、私は「はい」と答えました。「それなら私を脱退させてください、こんな共産党はもうたくさんだ!」とその副局長は言いました。

 三、最後の機縁を大切にし「三退」を促し、人々の目を覚まさせる

 今年(訳注:2017年)の春、ある幹部と共にある企業に私は「書」を書きに行きました。幹部が紹介した人の中には多くの政治家がおり、その中には正法委員や銀行の頭取、中国人民政治協商会議委員がいました。その人たちは「脱党」と聞くと顔色を変え、銀行の頭取は「私たちを脱党させるなんて、永遠に不可能だ!」と言いました。たとえどのような状況であっても、大法弟子の慈悲をその頭取に残すために、機会を見つけて再びその人たちに「三退」の福音を聞かせ、特別に心をこめて創作し、1人に2作品を無償で送り、握手をして別れました。

 しかししばらくして、公安局の局長に「誰それが書を書く時に公に『三退』を伝え、反党を伝えているので、局長に処分してもらいたい」と通報されました。しかし結局、真相を理解した人に妨げられ、友人が私に安全に注意するよう手紙を届けてきました。しかし実際は、慈悲で偉大なる師父が私を危険から脱してくださったのです。

 法を正す道をしっかりと理性的に歩んでいさえすれば、例えどこにいようと真相を理解した常人や友人が手伝ってくれ、「書」を書く場所を按排され、真相を人々に聞かせることができました。

 私が交際している社長の中に、某省庁に付属している下級の社長がいました。その人は正直者で才能があり、交友関係が広く、その社長の友人のほとんどが中上級の幹部や実権を握っている社長でした。私はほとんど毎年その社長の会社に数回行き、書道と芸術について交流しました。中国共産党が殺人が沁みついた悪質な政治集団であることをその社長は深く知っており、そのことは痛恨の極み(これ以上ない程に残念である、非常に悔やまれる)でした。そして、法輪功グループに十分な同情と支持をしてくれました。私が社長の会社に着くと、社長はいつも友人に応援しに来て、私の書いた「書」をもらいに来るように電話で知らせました。事前に「三退」して平安を保つための準備の仕事を、陰ながらしてくれていました。社長のこのような準備のおかげで、集まった人たちに真相を伝えることは2倍の効果を得ました。そして、基本的に100パーセントの人たちが「三退」してくれました。

 社長の善行と正念は会社に成功をもたらし、周りの企業が相次いで倒産しているのを横目に見ながら、社長の会社はますます発展していきました。

 法輪大法のすばらしさは、大法が素晴らしいことを信じ、正念を持った社長に福報をもたらしただけではなく、同時に、正しい気を持った常人が大法を理解した後に、大法徒が良いことを行い善事を行うことを手伝ってくれたことでした。私の周りでも100人以上の人により紹介されて、真相を聞きに来た人が多数いました。この十数年来、北京であろうと、保定(訳注:河北省の市名)であろうと、大・中・小の街であろうと、芸術について交流する時に、異なる方面の人に大法の真相を伝えました。

 ある医学部の教授の紹介で、常人の書道仲間と県級市に行きました。古い建築物が並ぶ中で書道と芸術について交流し、古い建築群の社長は「公安局、検察庁、裁判所で勤めたことがある」と自分で言っていました。その人の話はとても早口でしたが、脱党のことを話すとすぐに脱退しました。そして、若い警察署長も知らせを聞いて急いで駆け付け、私の書を欲しがりました。そしていつものように接待しながら真相を伝え、さらに、法輪功を迫害してはいけないと警察署長に何度も言いました。そして法輪功修煉者の生活と困窮について関心をもっと持ってもらい、多くの善事を行い良いことをするようにと言いました。すると、警察署長は一つ一つ返事をし、さらに「法輪功を修煉する人は皆いい人だ」と言いました。そして、私が脱党すれば平安が保たれることを勧めた時、警察署長は「わかりました! 脱退します! 脱退します!」と快諾しました。

 今年(訳注:2017年)7月、建築業の社長が大法に対する誠実な感謝の気持ちを以って、友人と配下にいるその他の主だった人たち30人余りを、その中には弁護士や警察署副署長がいましたが、私の所に連れて来ました。私は即断即決でその人達のためにそれぞれ仮名をつけ、その人達に合わせた集団で「三退」を行いました。そして、その社長の会社は現在、ますます盛んになりました。

 真相を聞き、大法が素晴らしいと信じた人はみな恩恵を受けた人たちで、その人たちは大法が人を救った奇跡とすばらしさを互いに伝え合い、法輪功修煉者を直接助けた人もおり、心から大法のために善事を行いました。

 今年(訳注:2017年)の夏、常人の課長クラスの幹部が市場へ行った時、1人の女性同修が真相資料を配っている時に200元を拾い、その場でその200元を落とし主に渡していたのを見ました。その時、その幹部は非常に感動しました。その後、この同修が真相を知らない人に通報されて、警察署に不当に拘禁されて迫害を受けました。すると、ちょうどこの幹部が警察署に仕事で来ており、同修が拘禁されているのを見て驚き、同修を連行して迫害した警官をすぐに探して「法輪功を修煉しているこの姉さんは良い人です。彼女が拾った200元を落とし主に返したのを、私は市場でこの目で見ました。もしこのような良い人が迫害を受けたなら天が許さないでしょう! 彼女を迫害した人はおそらく誰もが因果応報に遭うでしょう!」と諭しました。

 その公安局の警官は真相がわかった後、この同修をすぐに釈放し家に帰しました。そして、良いことを行ったこの幹部に、私は感謝のしるしとして数枚の「書」を書きました。すると、幹部の妻は「なぜでしょう? 夫はあなたと一緒にいたがります。あなたは他の人とは違い、あなたといるとリラックスする、と言っていますよ」。この正直な幹部も自分で私に「今後、法輪功の修煉者が捕まった時は私に知らせてください、私は公安局を検挙する記者を兼任したいと思います」。私はその幹部の姿を見て、世人が目ざめているのを見ました。

 以上は小さなことですが、大法のすばらしさを目の当たりにした出来事でした。これは慈悲で偉大なる師父が私を加持し、多くの人を救われた真実の現れです。ただ私は師父のご加持の下で、少しばかりの取るに足らないことを行っただけです。はっきり言うと実際はすべて師父が按排なさり、師父がすべて行われ、師父が与えてくださったものです。

 師父は「皆さんは行うべきことをしっかりやりましょう。機縁は得難いのです。この全てを大切にしましょう。これは二度とないことです。如何なる心が生じても、あなたを途中でだめにしてしまいます! どんな心をも考えず、執着せず、大法弟子として行うべきことを行ってください。最も素晴らしい、最も偉大で、最も光り輝く全ては皆さんを待っています!」[1]と私たちに教えてくださいました。

 ありがとうございます、師父!

 ありがとうございます、同修のみなさん!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』

 (明慧ネット第14回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/13/356192.html)
 
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