堂々と正念をもって 不当な法廷尋問に対応する
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年11月5日】私はぬれぎぬを着せられ、不当に数カ月間拘禁された後、不当な開廷を受けました。裁判官は中国共産党によって選定された、大法弟子を専門に審理する裁判官でしたが、正念の作用の下で、その態度は邪悪なものとは言えませんでした。弁護士と協力し、法廷において法律の下で大法の真相を伝え、共産党の言ういわゆる証拠がでっち上げの虚言であることを暴露し、法曹関係者の傍聴者と司法警察に真相を理解するよい機会を与えました。その効果は私たちが予期していたものよりもずっとよかったのです。本当に地元の同修の外での発正念と正義の弁護士のすばらしい弁護に感謝します。

 私は早くから留置場に駐在する検察官、大隊長、刑務官宛に公開状を書き、裁判が始まった時も裁判官に手渡しました。私は善念を動かし、すべての人を大切にしました。そのことによって私は留置場内でずっと煉功することができました。

 裁判所に出頭した日に着用した服とズボン、それに靴は、すべて同じ留置場にいた人のものでしたが、どれも新しい物でした。その人の話によるとその日の私の姿は素晴らしかったそうです。司法警察と刑務官に接触した時はとても礼儀正しくして、気を配りました。司法警察と刑務官はみな大法弟子の態度を目にしました。私たちの清浄潔白な態度が毒素を取り除き、人々を救いました。

 法廷に入った時、私は大きな声で「裁判官と検察官の皆さん、法廷尋問に来られた皆さん、みなさんにお会いできたのはすべて縁によるものです。『真・善・忍は素晴らしい、法輪大法は素晴らしい』を覚えておいてください。世界は真・善・忍を必要としており、私たちの世界はますます良くなるでしょう」と言いました。私はすべての人々に善念を発しました。それによって弁護士が裁判官に手錠と足かせをはずすように頼むと、裁判官はすぐに同意しました。

 検察官を忌避(きひ・訳注:訴訟事件に関して、裁判官や検察官に不公正なことをされるおそれのある場合に、当事者の申し立てにより、その者を事件の職務執行から排除すること)するかどうかを裁判官が尋ねた時、私は「大法弟子として、皆さんとお会いしたのは縁によるものですから、検察官を忌避しません」と答えました。裁判官は「なぜ法輪功を修煉するのですか?」と尋ねました。私は「心が空虚になったり、頼れるものがないからではありません。法輪功の真・善・忍の法理は確実に人々の道徳を高め、本当の良い人になれるからです。良い人が多くなれば社会にとって有益になります」と答えました。裁判官がまじめに私を見ているのがわかり、感動しているのがわかりました。

 法廷尋問の全過程で、私は法に照らし合わすように努力しました。私を罪に陥れたいきさつを弁護士が暴露しました。私は気持ちを高ぶらせ、目的は人々の良知と善念(確かに一部の人の同情を引き起こしたように見えた)を呼び覚ますことでしたが、私の心ははっきりしており、実際に自分が動かされることは全くありませんでした。

 法廷尋問が終わった時、私は「今日の長い法廷尋問の中で、私は中華民族のために悲しみます。夫が刑務所で残酷に迫害されて数年が経つというこの現実の中で、今は自分が留置場の劣悪な環境下におかれ、デマと中傷に毒害された受刑者が軽蔑したまなざしで私を見ています。『邪教』という汚名を背負っても、私は人のためにこの世の中にいます。利益においても他人のことを考え、度量を広く持ち、これは心の中に佛法の力を持つ人でなければできません。私は法輪大法が永遠に不敗の地位に立っていることを信じています。以後、江沢民は必ず被告席に座り公判を受けることでしょう! みなさんも江沢民を告発し、中国共産党の副葬品になってはいけません。党員と共青団員と少年先鋒隊を脱退して平安を保ってください。真・善・忍は素晴らしい! 法輪大法は素晴らしい!」と何も恐れず、堂々と言いました。

 「江沢民は必ず被告席に座り公判を受けることでしょう」という言葉を言った時、ちょうど刑務官たちが私を被告席から離した時で、私はその時、被告席を指さしながら話していました。最後に「法輪大法は素晴らしい」と言った時、開廷前に「法輪大法は素晴らしい」と叫んだ時の邪悪を解体した正念を感じました!

 さらに私は補足して「大法弟子は刑務所で残酷な拷問と洗脳を受けていますが、これらすべてはあなたたちが受ける判決です」と言いました。そして私は「ベルリンの壁が崩壊し、水面下でひそかに人々を救ったのは、その人の判断です」と伝え、さらに裁判官に「私の手紙は必ず読んでください!」と伝えました。

 最後に法廷尋問の記録をチェックした時、私たちに有利な話がほとんど記録されていないことに気づきました。これは故意に記録されなかったのかもしれません。私は法律を運用して、迫害に反対しなければならなかったので、私が言ったことと合わない部分と誤った文字を訂正しました。最後に多くの妨害を突破し「法輪大法は素晴らしい」と書き添えて、自分のやり方でサインしました。法廷尋問の記録をチェックしている間、私はとても汗をかき、司法警察官は善の心からウェットティッシュをたくさん出して、私の汗を拭いてくれました。また、司法警察官の多くが最初の不理解の状態から、最後には尊重してくれる態度に変わり、このとき、私は衆生の変化を目にしました。

 法廷を離れてから臨時の拘束場所までのわずか数十歩の間中、私はずっと「法輪大法は素晴らしい」と高らかに叫びました。司法警察官たちに「天安門焼身自殺事件はねつ造で、自分には関係ないと思ってはなりません。なぜなら、あなた達は昼間は制服を身に着けていますが、夜に家に帰れば夫であり、父であり、家庭を持っているのですから、自分のことを考えなければなりません! 中国共産党はこの数十年間、中華民族の正しい人々の背中を曲げ、このため、人々はわずかな利益のために真実を話さなくなってしまいました。今、法輪功だけが真実を話しているのです」と伝えました。司法警察官たちは私に対して丁寧に対処しました。

 私が乗った護送車が裁判所を離れた時、二十数名の司法警察官が一列に並んで立っていました。車が司法警察官たちの前を通り過ぎた時、司法警察官たちは一斉に楽しそうに笑い、とても喜びあい、笑い声が響きわたっていました。それはやっと仕事が終わり、家に帰れる喜びだったのか、それとも司法警察官たちのわかっている一面が大法の真相を聞いた喜びだったのでしょうか? 運転手が車を止め、助手席に座っていた男性の司法警察官が窓から首を突き出し、大声をあげて笑っている司法警察官たちに笑いながら「乗っていくかい?」と聞きました。

 留置場に戻る路上で、心が非常にはっきりしているという感覚があり、第三式の功法を煉功している時の「天と地を突き通す」ような感覚がありました。自分が常人ではないことが本当にわかり、私の生命は法のために来ているのだということが本当によくわかりました!

 朝留置場を離れる時、警官はまず私をパトカーの後ろの車、つまり護送車の受刑者が座る席に途中まで座らせ、その後、私をパトカーの助手席に座らせました。戻る時も同じでした。留置場の入り口で、私は司法警察官たちに「あなた達は今日私を法廷まで送り、その上私が話したいことを全部話させてくれました。あなたには功徳があるので『真・善・忍は素晴らしい、法輪大法は素晴らしい』を覚えておいてください」と言いました。先頭に立っていた男性の司法警察官が手を上げて、私を指さし(または親指を立てたか、覚えていない)心の底から「あなたは勇敢です!」と感心して言いました。

 移動中、私は「法輪大法は素晴らしい」と叫びながら留置場に入ると、雷がとどろくかのように自分の叫び声が邪悪を取り除いていると感じました。

 開廷したその日、留置場の警官は「戻って来たか?」と何度も監舎に聞きに来ました。監舎の人は午後4時からずっと時間を見て、気に掛けていました。正義の弁護士が私を弁護したと聞き、監舎の人たちは驚きました。

 出廷した後、最も大きく感じたのは「何かが起こった時でも、できるかぎり衆生を救い済度することを考え、衆生を救い済度するという出発点に立って、いかなる問題も処理する」ということです。法を正すことに対する理解の次元と着実に心性を修めることに限りがあり、出廷した時はただこのように行えただけです。

 生命を大切にする毎日の中で、記憶できる限りの経文と『洪吟』などの詩を暗唱し、すべてのマイナス思考を取り除き、多くの問題について反省しました。20年間の修煉の中で、ここまで深く自分を照らしたことはありませんでした。厳粛ではなかったので、再びこのようにいい加減に行えば本当に無駄足を踏むことになるでしょう! 私は奮い立ってまっしぐらに追い着き、とにかく悪いことを良いことに変えていきます。同修が私のような状況に落ちいらずに、悟れることを希望します! 多くの同修が精進しない状態に入り込みましたが、それは非常に危険なことです!

 自由な環境で修煉している同修に提案しますが、いかなる問題に遭っても、まず自分を探し、誰も恨んではならず、古い観念で同修を見てはなりません。そして、特に魔難の中にいる同修は、必ず正念を加持しなければなりません! 心の中が無敵であることを悟れば、天下無敵となるのです。

 個人の体験ですが、内容に法に則っていないところがあれば、同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします。  合掌!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/10/24/376175.html)
 
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