本気で内に向けて探し 一緒に心性を高める
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2018年9月26日】学法は最も神聖なことで、心を込めないといけません。しかし、私はそれがなかなか出来ませんでした。最近、私は長期間病業に陥っている年寄りの同修(80歳)と、一緒に学法するグループに参加し、私の当番は毎週1回です。この同修は若い時期には、指導者を勤めていました。

 学法するグループに参加する前、その年寄りの同修と一緒に学法している他の同修は私に、「その年寄りの同修は学法する時、よく読み間違いをし、他の同修にそれを指摘されるとすぐに機嫌が悪くなります」と話しました。私もこれらの読み間違えがあり、指摘されると機嫌が悪くなることがあって、これはまさに偶然なことではないと思いました。私もこの活動に参加すれば、自分のちょうど指摘されたくないことに直面し、その心を修められるのではないかと思いました。それで参加しました。

 年寄りの同修は頭に大きな拡大鏡をかけ、それで一文字一文字を読んでいても、常に読み間違っていました。教えてあげないとよくないと思って、私は教えました。数回教えた後、その年寄りの同修は機嫌が悪くなって、「あなたが指摘したら、私はどこを読んでよいか分からなくなったわ」と言われました。私は仕方がなくこの場は黙って我慢して、この活動にはもう参加しないでおこうと思いました。しかし、内に向けて探すと、自分にも他人に言われたくない心があります。これをきっかけにして、この執着心を取り除こうと考えました。

 年寄りの同修が読む時、私は自分の心に向けて探していました。私も読み間違う時があります。『轉法輪』は神聖な本なのに、なぜ読み間違うのか。同修が読み間違ったら指摘するべきだが、同修の機嫌が悪くなればどうすればいいのか、といろいろ考えました。この時、同修はまた読み間違って、他の同修に指摘されても、なんだか平気で聞き返しました。その後、またその同修に順番が回ってきましたが、同修はすべて正しく読みました。私は大変嬉しくて、「今回は正しく読みましたね」と言うと、同修も嬉しくて、「あら、私を励ましてくれましたね」と言いました。私は自分の考えを話すと、同修も内に向けて探しました。「私は以前内に向けて探さないで、学法する時、心を込めないで読み、よく読み間違いしました。これから間違ったらどうか教えてください」と同修は言いました。師父は「他の人がやったことが良くないと思って心がすっきりしない時に、どうして私の心がすっきりしないのでしょうか、本当に相手に問題があるのでしょうか、それとも私自身の心に問題があるのでしょうか、とあなたは考えるべきです。しかもそれをよく考えるべきです。もし本当に自分に問題がなく、確かに相手に問題があれば、善意をもって相手に話すべきです。このようにすると、トラブルが現れてきません。きっとそうなります」[1] と説かれました。本当にその通りでした。

 この体験から、もしトラブルがあれば、間違いは必ず自分の方にもあるということを教えられ、それを悟りました。自分に善の心がなく、同修のことを思いやっておらず、同修の執着に執着している、八方美人になっている、法に責任を負わないなどなど多くのことに執着している心が見つかりました。一番重要なことは学法する時、必ず心を込めて読まなければならないと認識しました!!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『米国西部法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/9/17/373950.html)
 
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