協調がうまくいかない時 内に向けて探すべき
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2018年8月26日】瞬く間にすでに19年が過ぎました。ここ暫くの間の修煉過程で肝に銘じることが発生したため、常に自分自身に警鐘を鳴らしています。修煉者は慈悲心を修めるべきで、ただ仕事をするという心だけでなく、全てのことに対して相手に寛容に対応し、相手の立場に立って問題をみるべきだと悟りました。

 師父は説かれています。「人間の世は迷いにほかなりません。この常人社会に迷い込み、誰も真実が見えていません。人間の目にはこの世界が平面として映っていますが、神の目には立体的になっています」[1]

 幸いに師父がいらっしゃり、大法があり、師父のご加護や啓示があり、やっと長い間歩んでいた間違った道を正すことができました。

 次に、自分が間違って歩んで来た道を振り返ってみると、実に恥ずかしく、仕事をするという心に動かされ、仕事に対する執着に迷っていながら、自分はよくできていると思っていました。仕事は修煉ではないのですが、しかし仕事の中に修煉者の修煉状態が現れてきます。

 私はある同修ととても珍しい縁があります。それは、一緒にプロジェクをする時、事前に約束もしてないのに、私が到着すると彼女もその次に到着し、しかも私に協力するためにやって来たのです。仕事中、彼女は私の心性を向上させようとずっと手配します。しかし、私は終始それを悟ることができず、今までどのくらい向上する機会を失ったか分かりません。

 仕事中、私は自分に対する要求が非常に厳しく、しっかり行うだけでなく、また非常に真剣に責任を負っていました。従って、相手の協力に対しても、自分の基準で要求しました。しかし、私がどんなに彼女に言っても、全く無関心で、なんとも思わず、私は毎日、彼女の収拾できないようなごたごたを片付けなければなりませんでした。

 例えば、彼女が木材を磨く時、うまくできず、穴ができてしまいました。ペンキを塗るために、私はなんとかしなければなりません。仕事をするにもそれ相応の要求があります。一日の作業量を2日間でやっと終わりました。私は焦りながら、また怒りが込み上げてきました。

 毎日考えることは、いつも仕事を絶対しっかり行わなければならないということで、うちに向けて探さず、全て外に向けて求めていました。心の中で「私は前世でいったいあなたにどんな恨みを作ったのか! なぜあなたは毎回、私に協力するためにやって来るのか。しかし、実際あなたは破壊しに来ているのではないか」と思っていました。頭の中はこれらの考えばかりで、彼女が来る度に「どうしていつもこれほどうまく来るのか?!」と思いました。

 そしてある日、ある同修が私に会いにやって来ました。それはおそらく、師父が、私が間違った道をあまりにも長く歩いているのをごらんになり、私に気づかせるために、同修を来させたのだと思いました。その同修は私に会うとニコニコしながら「お姉さん、変わりましたね!」と言いました。私が「何が変わったの?」と聞くと、彼女は「あなたは今生まれ変わったように、顔色がつやつやしています!」と答えました。私は「もういいです! 私をからかわないでください」と言い返しました。彼女は「修煉者は冗談を言ってはいけません」と言い、私は「それなら、あなたに感謝します」と言いました。彼女はまた「この前、あなたは毎日、怒りが込み上げて仕方なかった時、相手の同修はどうだったか知っていますか。ずっと大らかな態度で笑顔でした。あなたは怒っていましたが、彼女は隣で微笑んでいたのですよ!」と言いました。

 それを聞き、私はやっと突然目が覚めました。その同修の心性はどれほど高いのでしょう! 彼女はどうして怒らなかったのでしょうか? ここで私はやっと自分とその同修との格差に気づき、自分は本当に悟っていませんでした! 自分は本当に遠く隔たっており、師父が心を込めて按排された理由をやっと理解できました。師父は、弟子が仕事をするだけで、弟子の心性を向上させることはできません! 弟子は本当に悟りませんでした。なるほど、これらのことは弟子の心性を向上させるためで、これほど長く間違った道を歩んでやっと悟りました。師父、本当に申し訳ありません!

 「経験すればそれだけ賢くなる」という諺があります。しかし、なんと言っても、この間違った道はたいへん遠く、あの時は仕事に対する執着心に操られ、方向を見失しなっていたことが、今やっと分かりました。ただ仕事をしっかり行うことだけを考え、また自分の基準で他の人に要求していました。その上、善の心が足りないばかりでなく、慈悲心を修めることができず、また怒りや恨みを抱き、本当に恐ろしいことでした。

 この過程を経験してから、私は自分に対して、何事もうちに向けて探し、本当に師父が私達に要求されたことをやり遂げなければならないと、自分自身に警鐘を鳴らしています。「まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」[2]

 弟子にうちに向けて探す機会を与えてくださった師父に感謝いたします。法を正すことはすでに最後の最後に差しかかっています。私はただ更に努力して三つのことをしっかり行い、法を実証し、衆生を救い済度するなか、着実に自分を修め、人心と執着心を取り除き、絶えず大法の中で自分を正してこそ、やっと先史の誓約を果たし、正果を修められると思います。

 私の体験からの僅かな認識や悟りです。次元に限りがありますので、法理に基づいていないところがあれば、同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いいたします。ともに精進しましょう!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『大法伝出二十五周年ニューヨーク法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/8/13/372363.html)
 
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