文/中国の大法弟子
【明慧日本2018年1月13日】昨日、同修が「私の家にはごみ箱がないの」と言ったので、私は「えっ! お宅にはごみ箱もないの? 信じられない」と口がすべってしまいました。その結果、同修は私達が行った時、ごみ箱がなければ、私が怒るだろうと恐れて、その夜のうちに、3倍もする高い値段のごみ箱を買って来ました。それを聞いた私はとても驚きました! 同修は私の母親と同じぐらいの年齢なのに、どうして「私を恐れる」のでしょうか?
父も「お前は怖い」と言いました。父は私が教師で、普段よく生徒を叱っているせいだと思っているようでした。皆私より年上の人ばかりなのに、どうして私のことを怖いと思うのでしょうか? しかも、私は同修の前で一度も怒った覚えがないのにと思いました。
普段の仕事や生活を振り返って考えると、自分はよく眉をしかめ、怒っていなくても怒ったような顔をして、たとえば法を学んでいる時、座禅をしている時でも、「顔は祥和の意を帯びる」[1]になっていないことに気がつきました。自分には優しさがない、慈悲心がないことに気づき、「どうすれば、自分は優しくなれるだろうか?」と考えました。
師父は説かれています。「平素から慈悲に満ちた、和やかな心を保っていれば、問題が起きた時には、一息おいて余裕をもって、適切にその問題に対処することができるのです。日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません」、「その人は名利心を全然捨てていないので、慈悲心が現われるはずがありません」[2]
そこで、私のこの良くない振る舞いはどんな深層心理からきたのかを考えました。
内に向けて自らを探しました。なるほど、私はいつも自分が絶対に正しいという立場に立って物事をみており、たとえ相手を責めていなくても、「私のすべてが正しい、あなたのすべてが間違っている」と疑う余地もないほど強い態度で臨んでいるので、人に威圧感を与え、多くの場合、相手の人は圧倒されてしまいます。
このような唯我独尊的な傲慢な態度は、中国共産党の天と戦い、地と戦うという思い上がった考えとよく似ています。私たちは中国共産党がサタンのこの世の代弁者であるだけでなく、実は、世の中に起きた多くの卑劣で、良くない現象は、すべて共産党の邪悪の要素で、すべてが共産党の邪霊から邪悪の要素を受け継いていると認識しなければなりません。以前、私は「『傲慢』が七つの大罪の一番で、地獄の悪魔の一つだ」ということを理解できませんでした。しかし、傲慢であっても、自分は絶対正しいと思い、他の人の振る舞いがすべて許せず、これは極めて利己的なものだと今、分かりました。
私は修煉の中で、何度も「自分は正しい、相手が間違っている」という局面に遭遇しました。毎回、深く掘り下げることをせず、ただ、表面上でどっちが正しいか、どっちが間違っているかに留まっていました。実は、「自分は正しい」の背後には独善的な、自説に固執し、頑固で、独りよがりで、心が狭いという要素が隠れていたのです。道理はこの次元では正しくても、もう一つの次元になると間違っているかもしれません。私はずっと自分が正しいと主張し、自我を放下しようとせず、そのため、一回また一回と師父が苦心して按排してくださった心性を高めるチャンスを失っていました。
「自分は正しい」という考え方は、実は自分を実証しようとしており、それは「私は賢い、私は有能だ、あなたより強い」という、虚栄心と自己満足に陶酔しており、これは名利心なのです。もし、そのような考え方が少しでも正しいと証明されれば、それはもっと大変なことになり、「私は正しい、絶対正しい」と、その考え方がさらに強まり、膨らみます。名利心を求めて、人はさらに高慢になり、横柄になり、心より魔が生じ、もっと人を許せなくなるのです。
私は「自分は怒ったことがない」と思った時、実は同修から見れば、すでに満面怒った顔をしていたのかもしれません。そして、「お宅にはごみ箱もないの? 信じられない」と皮肉たっぷりに言い、人を見下す辛辣な意味合いも含まれていて、同修は耐えられず、急いでごみ箱を買って来たのです。もし買わなければ、また何かきついことを言われるかもしれない―これが「私を恐れる」の形成過程です。
自分はすでに20年も修煉してきた古い弟子です。自分には慈悲心がなく、逆に周囲の人を困らせていて、本当に恥ずかしく、師父に対して申し訳なく、同修に対しても申し訳ありません。私が理解できず、寛容でない態度に対して、同修は反対に、説明もせず、弁解もせず、私よりずっと広い心を持っていました。同修は「私を恐れる」のではなく、寛容な心で、しっかり修めていない私を許してくれていたのです。
このことを通して、自分の名利心、嫉妬心、傲慢で、人を非難し、寛容でない心をみつけることができました。同時に、同修との開きもはっきりみえました。師父に感謝します、大法に感謝します。私は必ずこれらの心を修め、法の中で自らを正し、真・善・忍に同化し、返本帰真します。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『大圓満法』「二、動作図解」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』