ついにそれを見つけた
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年12月20日】

 一、魔難の中で大法を実証する

 2013年7月、私の家にも小さな花が咲きました。周りに同修がいないため、私は自分で資料を作り自分で配りました。時間を節約するため、普段資料を作る時、私はいつも作業をしながら明慧法会の交流文(明慧ラジオ)を聞き、同修達の素晴らしい修煉体験に心から脱帽しました。それと比べれば、自分のやることなすことが平凡すぎて、来年の法会に向けてどんな内容を書いたらいいかと思いました(実はこの一念がとても危険でした)。その後、私は配る資料の数を増やし、できるだけ高級マンションが集中する地域に行き、そこのすべての区画に配布しましたが、出発点に問題があったため、旧勢力に隙に乗じられました。

 2013年11月の末のある夜、団地で資料を配った時、警備員に見つけられ、派出所に連行され、その後、留置場に送られました。警官は私の家から押収した30部ほどの製作中の資料と数十枚のシール、それに、私が持っていた50部の資料、さらに最も重要なのは、私が団地で資料を配った記録(全部で40の団地に配布が重複しないようにメモしたもの)は全部証拠として取り上げられました。国保大隊の人は、「まず1カ月拘留する。おまえのような罪だったら、3年から7年の刑は科されるだろう」と脅しました。私は心の中で、「あなたの言うとおりにはならない。師父のお考え通りになります!」と言いました。

 「自分には問題が生じた。この魔難を乗り越えるには、法に則って行なうしかない」と思いました。そこで、毎日、私は覚えている法のすべてを一通り暗唱し、絶えず内に向けて探し、正念を発して執着心をいっぱい見つけました。しかし、根本的な問題はやはりまだ見つかっていないように感じました。でも、「ここに来た以上、真相を伝えるすべての機会を逃さないようにしよう。ここは邪悪のど真ん中なので、正念を発する絶好の場所だ」と考えを改めました。機会があれば私は発正念をして、派出所の警官、留置場の警官、そして私が接するすべての受刑者に真相を伝えました。私は自分の一思一念を正しました。例えば、発正念をする時、決して利己的な考えを混ぜないようにし、常に自分が何も考えず、求めず、何もかも師父におまかせするように自らを律しました。

 1、理性的に、知恵を持って真相を伝える

 女性警官は私に、「いろいろ調べたが、同室の人は皆あなたがいい人だと言っているようね」と言いました。私はこのチャンスを掴んで、彼女に大法の素晴らしさ、大法の真相をたくさん話しました。彼女は、「着実に修めるって、どういうことですか?」と聞いたので、私は例をあげながら説明をしました。帰る前に、彼女から、「あなたは今言ったことを同室の人にも教えたの?」と聞かれ、私は「もちろん彼女たちにも伝えました」と答えました。彼女は微かに笑顔を見せました。真・善・忍をもとに、毎回同室でトラブルが起きた場合、彼女は必ず私から事情を聞きました。出所してから数カ月後、地下鉄で彼女にばったり出会った時、私はもう一步踏み込んで真相を話しました。彼女は真剣な表情で聞き、しきりに頷きました。

 留置場にいた間、私は大法の要求通りに行ない、どこでもよい人になるようにし、すべての受刑者に優しくし、可能であれば、進んで彼女たちを助けました。ある日新しく入って来た受刑者は着替え用のインナーを持って来なかったため、私は自分が使っていない上下セットを彼女に譲りました。彼女はとても感動して、「他の人はたくさん持っていても、絶対に私に譲ってくれないでしょう」と言って、私を自分の母親のように慕ってくれました。

 様々な機会を利用して、それぞれの人の異なる状況に応じて、私は彼女たちに真相を伝えました。新しく入所した人、そして、出所する人に、できるだけ真相を分かるように伝えました。(実はすべては師父のご按排でした)。ある受刑者は、「ずっと天安門の焼身自殺法輪功学習者がやったと信じていた」と言い、またある人は、「ここから出たら、地元で法輪功の学習者を探して功法を教えてもらいたい」と言いました。気温が低く寒いため、多くの人は風邪を引き、それに、皆が様々な持病を持っているため、半分以上の人は毎日薬を飲んでいました。同室の中で私は一番年上なのに、一番元気でした。私は「皆さんの風邪は私にうつらないのよ」と言いました。

 彼女たちは大法の素晴らしさと善良、平和で、誠実で、神秘な一面を理解しました。皆は真相を知り、大法に対する信頼から、私のことを一番心がきれいで、一番信用のできる人だと思ってくれました。そのため、彼女たちは私のことをとても尊重し(実は大法に対する尊重である)、とても優しくしてくれました。私の通帳に現金がなくても(現金がなければ、主食以外の食べ物と日用品が買えない)、私には食べ物や日用品が欠けた事はありません。時には掛け布団まで買ってくれました。私はそれらのものを全部断わり、どうしても断わりきれない場合、他の方法でお返しをしました。例えば彼女たちの衣類を洗濯してあげたり、いただいたものをあげたりしました。

 2、執着心を取り除き、法を実証する

 最初の頃、家族のことが気になり、帰りたい気持ちがありました。それは家族に対する情が妨害していました。私はそれに対して発正念をし、数日後、師父はその物質(自分の次元に於いて)を取り除いて下さいました。そして、ある夜、私は高速エレベーターに乗っている夢を見ました。誰かが「7階まで乗りなさい、そして飛行機に乗りなさい」と告げました。師父が私を励ましてくださり、この機会を利用して私を向上させて下さったのだと感じました。

 2週間後、国保大隊の人は、「1カ月たてば、あなたはもう帰っていいよ」と知らせてくれました。その時、嬉しい気持ちがさっと浮かんできました。しかし、「自分は試されている」とすぐに警戒しました。それから、私は常々注意し、このような思いが芽生えれば、直ちに正念を発して一掃しました。

 留置場の食事は口に合いませんでした。私は玉ねぎを全く食べないのですが、しかし、ここには毎週必ず1回玉ねぎだけの料理が出ました。ご飯もベタベタして、まずくて喉を通りませんでした。2週間も経たないうちに、「痩せたね」と人に言われました。この時、自分は大法弟子で、いつでも最も良い状態を保たなければならない、常人は食べれば食べるほどポッチャリとなるのに、私は常人にも及ばないのかと思いました。この機会に、食べ物に対する執着と苦労を恐れる心を取り除かなければならないと思いました。その後、ご飯を飲み込めない時、「食べたくない偽の私」を一掃しました。その結果、しばらくしてから、私は正常に戻りました。

 留置場にいた頃、頭にはよく、「あれだけの資料が押収されたから、私はきっと刑を科されるだろう」とのマイナス的な考えが浮かびました。この時、「旧勢力のすべての按排を否定します。私たちは宇宙で最も正しく、最も偉大な事をやっています。そのことをとても光栄に思っています。大法弟子は留置場にいるべきではなく、時間の無駄です」と念を正しました。しかし、「早く出たいという求める心があってはいけない」と、私は腹をくくり、「すべては師父のおっしゃる通りに行ないます。私は毎日やるべきことだけをしっかりやります」と念を発しました。

 1カ月後、師父の慈悲なるご加護のもと、私は衆生を救い済度する大きな流れに戻りました。慈悲なる師父は今度の魔難を利用して、多くの執着心を取り除いて下さいました。そして身をもって大法の殊勝と神秘を体験しました。今度の魔難を通して、自分の多くの執着に気づき、「大法に泥を塗るような事はなかったものの、しかし、少なからず損失をもたらした」と深く反省しました。

 二、ついに見つけた

 去年の下半期、私は娘と一緒に他の町へ引っ越しました。もとの町を離れた時、私は娘婿に、「新しい仕事が上手くいかない場合に備えて、仕事が安定してから、私と娘は引っ越しをしたほうがいいのではないか」と提案しました。しかし、娘婿は「大丈夫。たとえうまくいかなくても僕は最後まで勤めるから」と言いました。

 しかし、娘婿は新しい職場で仕事をして間もなく、今の仕事があれもこれも駄目だと文句を言い始めました。私は、「ほら、もう、逃げ道はもうないでしょう。私の意見を受け入れてくれれば良かったじゃないの」と愚痴を言いました。1カ月の間何度も同じことを言いました。最後に娘(同修)は、「お母さん、そのように言うべきじゃないよ。どうしていつもそう言うの? 心のなかに何か良くないものがいるんじゃないの」と言いました。私は返事ができませんでした。その後、「そうね、どうして私はいつも不平不満をこぼすのだろう」と考え、しっかり探さなければならいと思いました。こうして、私はついに「傲慢な心」を見つけました。

 発正念をして、それを取り除いてから、一気に楽になりました。今、同じようなことに遇っても、私は今までのように不平不満を言わなくなり、いつも穏やかで、寛容で優しい気持ちを保てるようになりました。

 17年の修煉を振り返って見ると、何も分からないヨチヨチ歩きの赤ちゃんのような私は、師父の慈悲なるご加護のもと、一歩一歩歩んで来ました。転んで倒れた時、師父はいつも私を励ましてくださり、私自身よりも私を大事にして下さいました。師父の佛恩に対して、感謝する気持ちを言葉では表わません。私は精進して着実に修め、師父の要求通りに行い、自分の行動を持って師父の救い済度のご恩に報います。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/26/349487.html)
 
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