寛容と仁善が盗賊を感化した
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文/中国の大法弟子が整理

 【明慧日本2017年6月22日】古代に王烈という賢人がいて、道理に通達して度量が大きく、人の良しあしを見通す力がありました。

 ある日、牛を盗む人がいて、牛の飼い主に捕まってしまいました。牛を盗んだ人は「今まで、私は人生の道をどう歩むべきかが分かりませんでした。今後、心を入れ換えます。あなたはすでに私を寛大に許して下さったので、どうか王烈(賢人)に知らせないでください」と言いました。その後、王烈はこのことを知って、わざわざ牛を盗んだ人に数枚の布を贈り、彼の過ちを改め、恥を知ることを奨励し、励ましました。

 数年後、ある老人がとても重い荷物を担いで歩いているのを見て、ある人は老人の代わりに荷物を数十里も担いであげました。老人は彼を家に招きましたが、名前を聞かれた彼は何も言わずに荷物だけを下ろして、すぐに立ち去りました。

 ある日、老人は道中で剣を無くしました。ある人がそれを拾って、道端に置いてから行こうとしましたが、後から来る人に持ち去られることを心配し、剣を持ったまま深夜まで道端で待っていました。老人は戻ってきて、立派な剣を見つけると同時に、道端で待ってくれた人がまさに荷物を担いでくれたあの優しい人だと気づきました。老人は恩人の服を引き寄せ、「前回、荷物を担いでくれたあなたのお名前を聞きだせませんでした。今回もまた、わざわざ剣を返すために待ってくれて、あなたのような人情を重んじる人を見たことがありません。どうか、お名前を教えてください。私は王烈(賢人)に教えたいのです」と言いました。彼は名前を老人に告げてから離れました。老人が出来事を王烈に伝えると、王烈は「私もこのような人情を重んじる人に会ったことがありません」と言って、人に調べてもらうと、それが以前、牛を盗んだ人だったことが分かりました。

 正に王烈が牛を盗んだ人に布類を贈り、彼に善への改心を励ましたお陰で、牛を盗んだ人は他人のために荷物を担ぎ、立派な剣を拾っても返すような仁善ある人に生まれ変わりました。盗賊を良い人に感化することは、恐らく古代にしか見られないでしょう。

 もし、この牛を盗んだ人が中国共産党社会に生まれたなら、もう一生が終わったでしょう。批判闘争を受けたり、労働による思想改造をされたり、刑務所という大きな染め物がめの中でますます悪を学び、出所しても社会での活路を得られず、引き続き窃盗に頼って生計を立てていくしかありません。しかも、警官らにみつぎ物を求められたなら、盗みたくなくても盗まなければならず、一生涯、中国共産党指導の社会に飲み込まれてしまうでしょう。

参考資料:『太平御覧 第900卷 兽部十二 牛下』宋 李昉

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/6/20/349846.html)
 
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