文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年11月17日】以下で述べる内容は、私個人の修煉体験及び悟りであり、次元に限りがあります。大法の中にもっと奥深い内包がありますので、本文は交流文に過ぎません。皆さんは大法が判断基準であることをくれぐれも忘れないで下さい。
「なぜ内に向けて探すことができないのでしょうか?」
同修と交流する中で、様々な答えを聞いてきました。
例えば、「内に向けて探すことって何ですか?」
「内に向けて探したことがあって、一部の執着心を見つけましたが、長年経った今、それらの執着心はいまだ存在しているのですが……」
「師父は修煉者が内に向けて探すべきだと仰っていますが、私はどのようにして内に向けて探すべきなのか、よく分かりません!」
「あなたは極端に走っていますよ。どんな時にも内に向けて探すなんて、あなたは牛の角先に潜り込もうとしています!」
「そうです。修煉者としては内に向けて探すべきです。しかし、当時の状況はこうなんです……」
「この件は私のせいではなく、他の人の間違いです。私に内に向けて何を探すべきですか?」
「普通のことなら、私は内に向けて探しますが、これは大法のこと、衆生を救うことですよ。彼(彼女)はなぜ法理に則て実行しないのですか? 彼(彼女)はなぜ内に向けて探さないのですか?」
「これは旧勢力による妨害、迫害です。私たちは正念を持って旧勢力の按排を否定し、それらを排除すべきです。なぜ内に向けて探さなければならないのですか?」などなど、様々な答えが聞こえてきます。
師尊はこうおっしゃっています。「ですから、皆さんくれぐれも覚えておいてください、どんな出来事や厄介なこと、不愉快なことに遭っても、または誰かとトラブルが遭った場合、必ず自分を調べ、自分を探すべきです。このようにすれば、あなたは解決されないその問題の原因を見つけることができます」[1]
大法弟子間のトラブルの中、大法弟子と常人の間のトラブルの中、法を実証し、衆生を救い、真相を伝える中で遭遇する困難や抵抗、妨害の中、そして邪悪による迫害の中で、なぜ一部の大法弟子は内に向けて探すことができないのでしょうか? これは簡単な問題ではないと思います。
一、修煉当初、私も内に向けて探すことができなかった
私は天目が開いていませんでした。迫害が始まる前の個人修煉の初期、私はいかに内に向けて探すべきか分かりませんでした。当時のグループ学法の際、私は、「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[2]と「内へ向かって修めず、心性を修煉しないので、功が伸びないのです」[2]をただ読みすごすだけで、じっくり考えませんでした。真に内に向けて探したことがなく、着実に修煉もしてこなかったため、執着心が精神の中に存在する一種の意識だと思っていました。普段、執着心に気付けば抑制し、排斥したりして、法を持って自分の言動を正したりしましたが、修煉の大環境から離れるや否や自分を緩めてしまい、法理の要求から遠ざかってしまいました。学法しても、大半は法理を持って他人を判断し、自分を修めず、常に目が外に向いており、自分の不足が見えませんでした。
私がよく目にしてきた現象は、ある同修は某段落の法を探し出して、別の同修にこう言います。「あなた、見て下さい。師父は説法の中でこうおっしゃっています。これはまさにあなたのことを言っていますよ……」と。当時、私がいる煉功点では、大多数の同修は内に向けて探すことについて、真に理解していなかったと思います。今でも、分からない人がいます。
二、意気消沈の中から抜け出す
迫害が始まってからの数年間、私は大法との間に閉ざしている巨大な門が存在し、自分がずっと門の外で徘徊しているように感じていました。私は「なぜ自分が門の外にいて、中に入れないのか? 大法に従って修煉し、学法や煉功、そして法を実証することを怠らず、修煉を放棄したこともないのに、なぜこんな感じがするのだろうか?」と不思議に思いました。私はその不思議さに遮られて、根本原因まで掘り下げていきませんでした。後に、執着心を取り除く際、その『不思議さ』も一種のよくない物質で、直接的に私が内に向けて探すことを妨害していたことに気付きました。
迫害を受ける中で、私は人心によって邪悪に転向させられ、大法弟子としてしてはいけないことをしてしまいました。当時の私は自分には救われる希望がなく、師父の弟子になる資格がないと考えましたが、大法から離れたくありませんでした。その絶望、その苦痛、その強烈な自責と大法に対する申し訳なさに日々駆られて、自殺の念まで生じ、長い間意気消沈していました。
ある日、私は衆生のために、大法修煉の中に戻らなければならないという一念が出てきました。心の中で、私は師父にこう言いました。「私は師父と大法に申し訳ないことをしてしまい、師父の弟子になる資格がないと自覚しています。しかし、私の衆生はどうしましょうか? 救いを待っている衆生たちはどうなりましょうか? 師父、どうかもう一度補う機会を下さい!」と。
大法に戻ることはそう容易ではありませんでした! 巨大で、一層一層の抵抗力が、私の戻る道を大きく阻(はば)んでいました。
旧勢力は私が以前やった大法弟子にふさわしくない昔の事を絶えず私の頭に反映させ、私を自責、懺悔、卑屈の気持ちに追い込み、時々「あなたにはもう希望がない! どんな面(つら)で大法に戻るのか! 諦めなさい!」といった念頭で私を襲いました。同修もそばで、「あなたは転向したことがあるので、旧勢力は絶対にあなたを見逃さないわよ」と言っています。穴に落ちた私は、一生懸命に上へよじ登ろうとしましたが、穴のそばにいる人たちに蹴り落されたような感じでした。しばらく意気消沈した後、私は勇気を振り絞って、また這い上ろうとしましたが、各種の人心によって、ふたたび旧勢力に穴に突き落とされるという、その繰り返しでした。頭の中では、プラスとマイナスの思想が日々闘っていました。それらのマイナスの思想に縛られて大法に戻ることができない私は、当時、まだ執着心と真の自我の区別が分からず、ただそれらの思想が正しくない、このまま意気消沈していてはならないとしか考えられませんでした。
「必ず大法に戻る。誰にも阻まれない」という強い一念で、私はそれらのマイナスの思想に抵抗し、絶えず自分に「私は必ず大法に戻る。私は大丈夫だ、いける! 師父は私が要らないとおっしゃっていない限り、私には希望がある!」と言い聞かせ、自らを励ましました。
私は歩くとき、食事のとき、寝る前、そして朝の目覚めの直後にずっとこのセリフを繰り返し自分に言い聞かせ、一日に数百回も言いました。同時に、私は学法を強化し、やっとのことで意気消沈した状態から抜け出しました。
しばらく学法と発正念を続けた後、一時、私は以前の過ちを振り返ろうと過去を思い出してみると、霧の中で遠くの景色を見るように、以前に何があったかをまったく思い出せなくなり、その記憶が消されて、「完全に放下しなさい」という師父の教化だと悟りました。
三、恐れる心を取り除く
多くの執着心の中で、恐れる心の修煉者に及ぼすコントロール力、妨害と影響力は相当大きなものです。一部の同修は恐れる心に困惑され、ずっと抜け出していません。
意気消沈した状態から抜け出す段階で、私の恐れる心はまだ明白に現れていなかったのです。この状態から抜け出した途端、恐れる心による妨害が著しく目立ってきました。私は日々恐れを感じ、夢の中でも恐れていて、ときどき他人の一言や昔のある事、またはある常人によって恐れを引き起こされ、当時は本当に自分が恐れていたと思いました。
「恐れ」という物質によって、私は非常につらい思いをしました。それが強烈になってくると、私は脚や手が震えだして、全身の力が抜けて、筋肉が痛み、動悸があまりにも早くなるので、口を開けば心臓が喉から飛び出すのではと感じました。恐れにコントロールされた思想には、さまざまな念頭が現れました。「旧勢力はきっとあなたを迫害する。警察官がすぐにあなたを捕まえに来る。あなたは刑務所に入れられる。あなたはそれで命を失う……」などなどでした。私の主意識は大法弟子が恐れてはならないと知っていて、できる限りそれを抑制し、排斥していましたが、あまり効果がありませんでした。そしてある日、恐れが再び同じ手口で襲ってきたとき、心底からそれに対する憤りが生じました。私は正念が強くなり、主意識が冷静にそれらに言いました。「恐れているのは私ではない! あなた達は要らない! 出てきたら全部排除する! もう、あなたたちを恐れない!」 この一念が生じた途端、私は身体で覚えていた恐れの感覚や恐れの物質が、海水の潮引きのように心臓部に急速に収縮されて、2分ほどで跡形もなく消え去っていきました。思想が穏やかになり、手足の震えが止まり、心拍数も正常に戻りました。
私は立ち上がって数周歩き回って、気力を取り戻したことを確認しました。今回、私はまさに正念を持って「恐れ」を撃退させました! その過程で、私は次の2点の気づきがありました。
1、私は初めて「恐れる心」(執着心)と「私」(主意識)を明白に見分けることが出来ました。
執着と観念は後天的に形成された物質で、本当の自分ではありません。真の自分は宇宙の「真・善・忍」という特性に同化しているはずです。見分けがつかなければ、正念を持ってそれらを排除することはできません。
2、「恐れる心」(執着心)は他空間に存在する生きている有形な物質生命です。
師尊はおっしゃっています。「物質と精神は同一のものです」[2]「いかなる物体にも生命があります」[3]
恐れる心との闘いを通じて、私は明確に「自分が恐れている」という間違った認識を取り除き、正念でそれを徹底的に滅しました。恐れる心による妨害がひどかった一時期、私は集中的に「恐れ」という物質を取り除くよう、毎回30分以上の正念を発し、良い効果が得られました。
(続く)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『北米第一回法会での説法』
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[3] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』