集団学法に参加して感じたこと
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2017年5月10日】師父は何度も学法の重要性を強調してこられました。地元の煉功点責任者は集団学法の為によい会場をみつけ、毎晩決まった時間に地元の集団学法を始めました。数回通っている内に得た感触を述べさせていただきます。

 毎回の参加者は多い時は十数人から二十数人くらいです。少ないときは数人しか参加しないこともありました。全体で一緒に続けて法を読むことは、今までのようにグループあるいは個人で一段落ずつ読むよりは途切れ感がなく、とても良い感じです。ある同修に「法を読む時は、皆が一文字ずつはっきりと発音すれば早口現象がなくなりますよ」と提言されて以来、私はその通りにやってみました。全く同感です。一文字ずつはっきりと声を出して読むと、説かれた内容がよく頭に入り、自分の声を目立たせないように意識し、全体の声に溶け込んで自然に静かに声を出すようになります。春風を浴びているかのように、醍醐灌頂されているかのように、学法の場から生み出された調和、穏和及び純粋なエネルギーの中で、皆が鍛錬させられます。

 たまには個別の同修はうっかりして学法の最初から大声で流暢な口調で読んでしまいます。彼らの「ダッタ ダッタ」の早口読みは、無意識のうちに他の同修に後れを取らせてしまいます。彼らの大きな声と早いスピードに追い着こうとして、周りの同修は息切れして競争しているかのようにスピードを上げてしまいます。読み間違いやすくなるだけではなく、内容が頭に入らず、文字しか眼に飛び込んできません。読み終えても何を読んだか、よく覚えていないことが多く、学法の効果は思わしくありません。

 彼らは自分の声を際立たせていて完全に「ひとりよがり」状態に陥っています。会場内は彼らの声が響き渡り、調和の雰囲気を壊すように大きな悪影響を与えてしまいます。このような学法が続くと周囲の同修は続々と黙って退場することになります。影響の出ない内に協調人は即座に注意を呼び掛けるべきです。

 集団学法への参加は修煉そのものです。自我の人心を放下し、他人を思いやって全体を円容できるよう学ぶ過程です。集団学法は顕示心、嫉妬心、歓喜心と利己心を取り除くことの助けになる最適の環境です。個人的な見解として、強勢を持って法を読む同修がいたら、それに動揺されずに敢えて早いスピードに合わせてついて行かないように、周囲に配慮しながら比較的にゆっくりペースの声に合わせるべきだと思います。声の大きさで争わずに、全体の調和を意識しながら、楽団の演奏のように特定の個人またはパートを引き立たせるのではなく、まず自らの声を全体に溶け込ませるべきです。優美な曲のように全体のエネルギーを引き出して、更なる感動を作り上げていきます。そうなるとその環境に置かれる全員ははじめて練磨させられることができます。

 煉功点の責任者が皆の為によい環境を提供してくれていることに感謝します。最大限に活用して修煉において益々精進するよう、衆生を救い済度して師が法を正すことを手伝います。

 以上は個人的な見解にすぎないので、適切でないところがありましたらご叱正ください。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/4/19/345838.html)
 
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