修煉は法理において向上を目指すべき
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文/中国 大連市の大法弟子

 【明慧日本2016年12月7日】ある日、グループ学法を終えて帰宅した私は、最近、同修たちとともに向上を目指す過程においてすでに全力を尽くしたと感じました。全身の疲れだけでなく、思惟も極限に達し、頭上に一層の物質があるように感じました。眩暈もあって、引き続き前進しようとせず、体を動かしたくなく、目さえも開けようとしなくなりました。

 そこで私はじっくりとこの状態を招いた原因を探し始めました。注意深く観察しているうちに思想業力の存在に気づいたとき、頭のもやもやは少し晴れましたが、疲れ切った身体の感覚は依然として残っていて、まったく動こうとしませんでした。

 この時また、私は家族の学法の態度が積極的ではないことに気づき、失望の中で知らず知らずこんな言葉を口にしました。「本当に理解できませんが、師父はなぜこんなに老婆心ながらあなたたちのような人に繰り返し説法して済度しようとされているのか!」と、口に出した途端、自分もびっくりして目覚めた感覚を覚えました。それは自分の修煉状態に問題があると認識し、向上すべきだと気づいたからです。そこで私は改めて自分の思惟の動きをじっくり観察し、そこから問題を探し出そうとしました。

 こうして内に向けて探す過程で、私は業力だけではなく、傲慢さや愚痴(恨み言)を言う人心も見つけました。もっとも肝心なのは、師父の正法時期の延長についての不理解でした。このような心構えでは、どのようにして法を正す師に手伝い、どのようにして師父が望まれる衆生を救う結果を達成できるのでしょうか?

 そこで、私はさらにその念頭の背後に存する原因を冷静に探し始めました。私は自分がすでに修煉成果のすべてを出し切って同修と交流し、皆の向上を図っていると感じ、つまり、この先は何をどう続けてやっていくべきか分からなくなっていました。

 ここまで書いて、自分はまさに師父が経文でおっしゃった通りだと認識しました。「それこそ行き詰まってしまって、教えられるものがもう何もないことを示しています」[1]

 「なぜ行き詰まったのか?」と続けて考える中で、自分の認識がすでに極限に辿り着いていて、その先には何もないと感じました。師父のご指摘の通りです。「彼はそれらが気功の真諦であり、すべてだと思い込んでいます」[1]

 この思路に沿って見ていくと、私は自分の問題が修煉の次元による局限性だと分かりました。つまり、私は修煉の向上の導きとなる新たな法理が見えなくなり、修煉の動力を失って、最大限現状維持しかできなくなりました。この時、私は引き続き修煉していくには、認識を高め、法理と心性における昇華を図らなければならないと気づきました。

 この一念が出た途端、以前感じていた疲れ切った感覚はゆっくりと消えていき、元気が出て、精進しようとする意識も高まり、昼間に学んだ2講の『轉法輪』以外に、師父の各地での説法も勉強しようと考えました。

 以前に途中まで読んでいた1冊の説法を読み終えた後、私は自然にもう1冊を手に取り読み始めました。その時、私の思惟は完全に師父の法に導かれて、新しい法理が次々と脳裏に現れました。その中で、私は一つの無形とも有形とも言える、宇宙天体から表面の人類の空間まで貫く、計り知れないほど多くの縦横に交錯する厖大な世界が見えました。それによって、私は世間の一切に対する新しい認識を得ることができました。

 この厖大な宇宙の世界を細かく観察していくと、その中にはいくつかの小宇宙が存在していることが分かりました。しかし、これらの小宇宙を構成する更にミクロの物質を探測することは無理でした。この時、私は師父の「其の大は外無く、其の小は内無し」[1]という法理に対する認識が深まりました。

 目の前に広がる無辺の宇宙世界およびその中の小宇宙に直面したとき、私はすべての思惟を使い果たしてもそれらの全部を網羅できないと感じました! それらの小宇宙の中のミクロの物質を前にして、私は当惑し、まったく前進する意欲がなくなりました。その時、私は学法を通じてふたたび新しい法理が分かり、自分の修煉におけるギャップ、強靱な意志と忍耐力が足りないことに気づきました。この時、私は何を修めるべきで、何をどうすべきか分かるような気がしました。私は自分の思惟の幅がとても広くなって、内側からゆっくりとある種の穏やかで、慈悲深い物質が溢れ出ることを感じました。

 翌日、グループ学法に参加する際、私は無限大の慈悲なるエネルギーの場を感じ、自分がまるで歩き始めた幼児のように、師父の慈悲に導かれて、無辺な利他的境地の中を歩いていました。同時に、私の人間の一面は師父の慈悲のエネルギーに震撼され、涙が溢れました。ここまで書いて、私は師父の慈悲のエネルギーを感じることができて、涙を抑え切れませんでした。

 その後、三つのことを実行する中で、私は内心にいままでなかった広々とした胸襟と穏やかさを感じ、頭が清新になって雑念もなく、体中に無限のエネルギーが蓄えられているような感じで、師父の『洪吟』の詩が現れることもあって、それによって私は新たに正念を得ることができました。また、「真・善・忍」に則って修煉すれば、尽きることのない慈悲と知恵を得ることができると実感しました。

 今回の体験を通じて、私は法を得て修煉できる生命として、本当に師父の衆生を救い済度される機縁を大切にし、延長して頂いた時間を大切にして、真に心から法を学び、内に向けて探すことに励み、修煉の道のりにおいて絶えず前進し、できるだけ計り知れないほどの宇宙及びその中の生命を救っていくべきだと思いました。

 師父に感謝し、同修に感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/13/337084.html)
 
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