内に向けて探した後 夫に変化があった
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文/中国の大法弟子 果成

 【明慧日本2016年9月7日】夫は腰の椎間板ヘルニアを患っていましたが、昨年の後半に悪化し、突然の強烈な痛みと痺れが脚にも現れ、それは「生きていたくない」ほどの痛みでした。

 しかし、帰宅した私を見るや否や、夫は痛みが緩和されたように感じ、私の手を握って離そうとしなくなりました。最初、私は寂しいからそうしていると思ったのですが、後で考えてみると、それは夫の本当の感受でした。師父は説法の中でこうおっしゃっています。「あなたの場の範囲内にいる者に、あなた自身は知らないうちに身体を調整してあげているかも知れません。この場は一切の間違った状態を正すことができるからです。人間の身体は病気があるべきものではなく、病気があるのは間違った状態にあるからで、このエネルギー場はその間違った状態を正すことができます」[1]。 その後、同修が夫を見舞いにきて大法の事を伝えた際、夫は数時間座り続けても痛みを感じなかったのに、同修が帰るや否やまた痛くて堪らなくなりました。

 夫は病院で1週間治療を受けても効果が見られないため、私たちは二つ目の病院に行きました。そこで関連するすべての医療機器と治療法を試しましたが、痛みは多少緩和されたものの、痺れはまったく改善されませんでした。真夜中に何度も痛みで目が覚めるので、夫は手術を受けようと考え始めました。

 ある日、夫は看護師に痛みを訴えて、手術のことを相談しました。看護師は「この種の病気は他に方法がありません。痛い時、音楽を聞けば注意力が他に一旦移されるので多少の効果があります」と言いました。看護師の話から私はヒントを得ました。古代医学に「先楽後薬」という言い方があります。良い音楽を聞けば病気治療の効用があるなら、私には大法があるではありませんか。佛法や佛楽に匹敵できるものがほかにあるでしょうか! なぜ最初から思いつかなかったでしょう?

 私はプレイヤーを病室に持ち込み、夫に師父の説法や大法の音楽を聞かせました。こうして、夫は腰痛から解放され、脚の痺れも好転し、精神状態も良くなりました。しかし、不思議なことに、彼の脚の一部だけ痺れが残っていて、何かが塞がっているせいか、足指に力が入らない状態がずっと続きました。夫はブツブツとずっとその状態を言い続けるので、私も疑問に思い始めました。師父はすでに彼の腰痛を治してくださっていたのに、なぜ脚に不調が残ったのでしょうか? 疑問に思いましたが、私は深く考えませんでした。

 ある日の午後、私はいつも通り、食事が始まる時間より30分ほど前に会社を出ました。帰る途中に数人の同修に会いました。彼らは夫の情況を尋ねて、修煉のことに言及しました。会話の中で、「修煉者はいかに自分の本職の仕事をきちんとこなすか」について言及した際、皆は大法弟子として自分の仕事を良くこなしたうえで、さらに自分を厳しく律するべきだと認識で一致しました。議論の中で、私は突然あることに気づきました。夫の脚がずっと治らないのは、もしかして私の仕事に問題があるのかも知れません。内に向けて探し、私はやはり問題を発見しました。事情はこうでした。夫の入院後、私は毎日の食事時間(約2時間)を利用して、病院で看病していました。時間が足りないので、私は部門の上司に「早めに食事をしに行き、遅く帰ってきたいのですが」とお願いし、許可をもらいました。その後、私は堂々と早く席を立って遅く帰っていました。たとえ病院で用事がなにもなくても、時間的にルーズのまま流れてきました。

 自分の現状を同修たちに伝えると、彼らはすぐに私のやり方が大法の「真」の原則に反していると指摘しました。私自身も、大法修煉者として、高い基準、さらに高い基準で自分を律するべきなのに、自分は勤務時間を私用に用いて、大法の「無私無我、他人を先に自分を後にする」という要求に相反していました。長い時間経ってしまい、そのことが間違っていると全く気づきませんでした!

 同修と会話を終えた時は、午後3時40分頃でした。私は急いで病院に向かいました。病院に着くと、夫は興奮気味に脚が治ったと言いました。私は喜びを感じると同時に、彼に「いつ、どのようにして治ったの?」と聞きました。彼は「たぶん、午後の3時半から4時の間(およそ私が自分の間違いに気づいた時間)だと思う。突然、何か暖かいものが脚の付け根から足首に向かって流れたのを感じた。その直後に、脚の痛みや痺れが全部消えたよ」と言いました。私は先ほど道端で同修たちと交流した内容を夫に教えると、彼も非常に興奮し、大法の素晴らしさを実感しました! 私は早速自分の間違いを正し、特殊な事情がない限り、時間通り出社するようにしました。

 この小さな出来事を通じて、私は深い教訓を得て、大法修煉の厳粛性、着実に修めることの重要性を痛感し、師父の慈悲と大法の超常を実感しました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/8/31/332958.html)
 
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