台湾の大法弟子 修煉の道を振り返る
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文╱台湾の大法弟子

 【明慧日本2017年4月30日】1997年7月、私はある法輪功学習者から『轉法輪』を借りて読みました。はじめてこの本を読んだ時、これは普通の本ではないと感じました。10月の末、9日間の学習講座を受け、師父のご按排と指導員と古い学習者達の導きにより、私は一歩一歩と法輪大法の修煉の道を歩み始めました。

 修煉当時、人心や観念が多く、1日が終われば、たくさんの執着心に気づき、自分の考えを整理するために修煉の体得をメモし、これまでに数冊もの修煉体得を記録しました。学法煉功をとても真剣に行ったため、病気だらけの体はとても早く改善されました。私はアレルギー性鼻炎を患って薬を服用しなければ鼻水が出て、くしゃみをし、いつも両目がしょぼしょぼして、頭がふらふらしていました。そして頻尿、生理痛、日常的な下痢に悩まされ、右手は筋肉が引き伸ばされたため、痛くて頭の上に上がらず、弁当箱一つも持てませんでした。足は捻挫で損傷が残り、歩く時、ちょっと変なところに力が入ると突然ドクドクと痛み出し、風邪の後はよく気管支炎を併発し、咳や痰が止まらないため夜は眠れず、さらに喉も弱く、いつも声が出ないなどの問題がありました。当時の私は毎週必ず病院に行き、毎日漢方薬を飲んでいました。しかし、修煉して1カ月足らずで病院に行かなくなり、薬も飲まずに病気は全部治癒しました。

 その後しばらくの間、私はテレビ番組にハマり、集団学法に行かなくなった時期がありました。再び学法拠点に行った時、同修達が皆精進しているのを見て刺激を受け、それから、定期的に学法に行くようになりました。しかし、ネットで真相伝えを始めてから忙しくなり、それに常人の仕事も大変で、集団学法をまた疎かにしました。真相伝えに多く力を入れましたが、しかし、同修たちとの切磋琢磨が少なくなり、心にぽっかりと穴が空いたように感じました。そのことで、師父が私達に作って下さった学法と交流の環境は、大法弟子の安定的な成長に非常に重要だと痛感しました。

 修煉の体得の話をした時、同修達と共に向上したいと思って、いつも「何を話せば皆さんに役に立つだろうか」と考えました。自分を見せびらかそうとはしませんが、しかし、やはりどこかに他人より上、他人よりよく悟っている心があることに気づきました。その経験を通して、大法修煉はとても不思議で、人のため、全体のために何かを行動しようとした時でも、自分の未熟な部分は必ず気付かされ、鍛えられ、高められることを体得しました。まさに師父がおっしゃった「大法は皆さんを圓容していますが、皆さんも大法を圓容している」[1]の通りでした。

 1999年8月、私は内坜中学校で煉功拠点を作り、そして、家を学法拠点と9日間の学習講座の場所として提供しました。その後、他の同修がこの煉功拠点を引き継いでくれた後、私は家の近くの内坜小学校で新たに煉功拠点を作りました。そして、9日間の学習講座を受けた新しい学習者も相次いで公園、学校で煉功拠点を作り、数年の間に、内坜地区では八つの煉功拠点が設立され、桃園市全体で八十数カ所の煉功拠点が出来ました。私の家は桃園市の中心にあるため、家に法を学び、交流に来る同修は北桃、内坜、南桃までおよびました。大法が中国で迫害を受けている状況の中、台湾にいる私達は幸運にも自由に法を学び、交流することが出来て、仕事や生活の中で抱えている多くの問題は学法と交流を通して、一つまた一つと解決されていきました。

 休日になると、同修達は一緒に人の集まる場所に行き、法を広め、縁のある人に法を学んでほしいと願いました。大法の書籍が台湾の各書店に並べられてから、煉功場も雨後のタケノコのように設立され、さらに口コミや、法を広める宣伝活動の推進により、学習者がますます多くなり、桃園市だけでも700人近くまで増えました。多くの民衆が大陸の法輪功に対する誹謗中傷の宣伝に影響されないよう、私達は家ごとに大法を紹介するチラシを投函しました。交流した時、同修は「法を広める活動に参加出来てとても嬉しいです。そして、知らないうちに心性も高まりました」と言いました。2002年2月に近くにもっと大きな場所が確保できたため、そこで、毎週の集団学法は私の家から新しい場所に移りました。

 中国で迫害される情勢がますます厳しくなりました。私達は中国の同修が残酷な迫害を受けているのを黙って見ておられず、早く迫害を終わらせようと願い、中国の民衆に大法に対する誤解を解いてもらい、彼らもいつか法を得て受益できるように期待を込めて、いろんなチャンネルを通じて中国の民衆に真相を伝えました。私達は電話を掛け、ファクスを送り、メールや郵送などで真相資料を送り、また観光スポットに行き、メディアを作って真相を伝えました。一時、ネットで中国の人々に夜中まで真相を伝えましたが、翌日仕事をしてもぜんぜん疲れを感じませんでした。

 修煉を始めたのが早かったため、2000年、34歳の時、私は桃園県の協調人になりました。2001年2月にさらに桃竹苗輔導站の協調の仕事も担当しました。常人の仕事と大法の仕事を同時に行っていたので、時にはいろんな緊急事態に対応しなければなりませんでした。そこで、手早く問題を解決しても焦ってはいけない能力を要求されました。いつも「どうすれば同修たちと一緒に修煉において向上できるか、どうすれば大法の仕事をもっとうまくできるか」と考えました。多くの大法の仕事を担当したおかげで、私の修煉は緩むことなく、心性も魔難の中で次第に向上していきました。

 歩んできた道を振り返って見ると、若い頃、物事を処理する経験が十分ではなくても、大法修煉の中で修めた正念によって、また同修達の支えと協力を得て、協調人として、なんと二十数年の歳月を過ごして来ました。時には、「大法修煉のおかげで心身共に受益し、智慧が得られた。さもなければ、どうしてこれだけの大役を務めあげる事ができただろうか」と思いました。そして、一緒に仕事してきた同修も、皆内に向けて探し、お互いに包容力を持ち、仕事の中でできるだけ摩擦を避け、お互い支え合う事が出来たため、経験のない私たちでも、短い時間に多くの仕事をうまくこなすことが出来ました。例えば記者会見を開き、座談会、教師セミナーを企画し、書画展、真善忍美術展を開催し、そして神韻公演を宣伝するなど多くの事を行いました。

 修煉当初、協調人になって、全体の向上の重要性を考え、集団交流の時、同修が間違っている発言をする時、他の人に影響を与えないようにすぐに同修の話を止め、法に則って皆さんに考え、交流してもらいました。その後、他の同修に影響を与えないことは大事ですが、その同修に対する配慮も必要だと思いました。心の容量と智慧の増加とともに、再び同じような状況に出遇った時には、他人の気持ちを察して、もっと配慮するようにしました。時には、同修に失礼な言い方をされた時、とても悔しい思いをしましたが、心性が高まるにつれて、次第にこのような感覚もなくなりました。他人が自分をどう思うか、どう見るかを気にしなくなったからです。そして、失礼な言い方や態度を取ったことは、同修のまだ修め遂げていない一面であり、私が善意を持って事情を説明すれば、同修との間の問題も容易に解決できると分かりました。

 協調人として、口を修める事はとても重要で、確かでない情報を決して言ってはならないと心がけました。なぜならそのような情報が広まると、状況がより複雑になり、内部の時間を無駄に消耗してしまうからです。修煉当初、心性が足りないため指導員と話す時、同修の悪口を言うつもりがなくても、無意識のうちに、他人の問題をついつい喋ってしまいました。考えてみれば、もし、他の人が後ろで私のことを議論すれば、自分も嬉しくないでしょうし、そして話す内容も正確とは言えず、聞く人に先入観を与え隔たりを作ってしまい、悪い影響をもたらしてしまうので、しっかりと口を修めるようにしました。

 師父は「それは一種の洪大な寛容であり、生命に対する慈悲であり、全てに対して善意をもって理解するという状態なのです」[2]と説かれました。

 私は次第に理解しました。同修がうまく行わなかったことに対して包容する心を持っていれば、反感や許せない心を持っていなければ、誰々かがよく行わなかったとかを自然に言わなくなり、そうすれば、心が穏やかになり、客観的に事実に即して議論する事ができるようになるのです。

 修煉する前、自分の考え方を表す時、常人の文法や言葉の使い方に制限され、いつもうまく表現出来ないように感じました。大法を習ってから、法理の無辺の内包は私の思惟を広げてくださり、人とコミュニケーションをする時、自分の考えを自然に表現できるようになりました。法を暗唱することを通して、物事を考える方や言葉の使い方、そして、身を処する深い内包と智慧をさらに学びました。

 大法が広く広められてからもうすぐ25周年になります。心の中は無限の感謝と尊敬に満ちています。私の心身共に大きく向上させて下さった大法の威力に感謝します。師父の計り知れない高徳と知恵は、無数の迷いの中の衆生の善良な本性を啓発して下さいました。天体と人類社会はきっと美しく素晴らしくなると信じております。

 謹んで師父の詩「滄桑を遍歴して洪願了す 歳月蹉跎にして一念の中」[3]を持って、これからの修煉をさらに精進するようと自ら励みたいと思います。

 慈悲で偉大な師父に感謝します!

 弟子は叩頭して拝みます。合掌

 注:
 [1] 李洪志師父著作:『精進要旨』「法は人の心を正す」
 [2] 李洪志師父著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ボストン法会での説法」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「洪誓大願」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/4/18/345800.html)
 
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