同修の間でも慈悲心を持って対応する
■ 印刷版
 

文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2018年2月5日】数日前、同修のAさんに会いました。Aさんには少し取り除かれていない人心や執着心があるため、Aさんと交流して、法に対する認識を高めてもらい、法に則って言動を正してもらおうと考えました。

 Aさんと会う約束をしました。しかし、私の頭に、「Aさんはどうして時間を大切にしないのか? どうして勇猛精進して衆生を救い済度しないのか?」とばかり考えていました。同修を責める気持ちと同修に対する不平不満を抱いていたため、交流の結果は容易に想像出来るでしょう。

 Aさんは自分の執着を隠そうとしました。一方、私は法理をもってAさんに要求し、ひたすらAさんを変えようとして、自分を全く部外者扱いにしていました。結局、私達はお互いに気まずい思いをして、別れてしまいました。

 私には同修を助けたい気持ちがあり、普段からどうすれば同修を助けることが出来るかとも考えました。ある日、突然、「それは同修には執着心があるから、私がいかにして同修を助けるかの問題ではなく、私がいかに同修を鏡にして、自ら内に向けて探し、自らを修める問題ではないでしょうか。同修の問題はすなわち私の問題ではないでしょうか」と考えつきました。

 師父は「二人の間にトラブルがあって、第三者がそれを見たら、この第三者まで自分のどこに間違いがあるのか、なぜ私がこれを見たのかと考えるべきです。ましてトラブルの当事者はなおさら自分を見るべきです。内に向けて修煉するということだからです」[1]と説かれました。法理が分かり、考えも整理が出きて、私は自分の問題と人心を探し、そして、法に則ってそれを正しました。そこで、私は「慈悲で善の念を持って、本当に同修のためを思い、もう一度同修と交流したい」と師父にご加持をお願いしました。

 再びAさんと交流した時、自分は巨大なエネルギーに包まれたように感じ、そして、話す時の口調や心理状態はとても穏やかでした。私達の交流はとても打ち解けたものになりました。Aさんも珍しく自分の心を開き、自らの不足や人心、そして法に合致しない言動を隠さずに打ち明けてくれました。そして、法の中で自らを正し、できるだけ早く向上するようにと決意しました。私は心から同修のために嬉しく思いました。

 その後、あの慈悲な状態がいつでも保たれたら、どんなに素晴らしいことだろうと思いました。しかし、私は当時の口調や態度で話そうとしても、あの状態が再び現れることはありませんでした。慈悲で偉大な師父は私がこの問題において、自らを修めようとし、そして本気に同修のために考え、法に合致しているとご覧になって、加持してくださり、励ましてくださり、私に慈悲の素晴らしさと殊勝さを体験させてくださったのです。

 師父は「実は慈悲は巨大なエネルギーであり、正神のエネルギーなのです。慈悲であればあるほどエネルギーが強く、どんな良くないものも解体されます」[2]、「慈悲は神の永遠なる状態」[3]と説かれました。修煉者として、「慈悲心」を修め遂げなければなりません。それは正神の基本的な性質で、修煉者が備えなければならないものです。

 私達の地域では全体的な協力関係がなかなか出来ていません。皆はそれぞれ自分の意見に固執し、自己主張をし、一方、他人が協力していないと批判ばかりをしているのです。

 そして、多くの人はいつも協調人の行動を見つめています。たとえば、昨年、私達の地域で、ある同修が連行され、判決を宣告されました。同修を救出する過程では、私も含めた多くの者は、協調人が積極的に救出活動に参加していないと愚痴って、協調人が全体的な救出活動と邪悪を解体することを妨げていると考えました。このような非難や不満の雰囲気が長い間地元の同修の間に漂い、すべての人を傷つけていました。

 この状態がおかしいと意識しました。1人か2人がこのように考えても構いませんが、皆がこのように思うと、それは強い執着になり、協調人と地域全体に悪影響をもたらしてしまいます。これらのことを悟ると、私は同修の不足を見ないようにし、何があっても、すべて自分を修め、同修を救出する過程を自ら修める過程と衆生を救い済度する過程と見なすようにしました。協調人は一番よく修めている人とは限りません。協調人にも人心があり、不足もあります。もし、私達大法弟子がトラブルに遇えば、自らを探し、自己を放下し、全体を圓容して協力することができれば、全体的な協力関係が出来上がるのではないでしょうか! 自我を放下して他人を圓容することが出来ることは、それこそ境地の高さではないでしょうか!

 実は一つのことに関しては、師父は誰が正しいか正しくないかを見ておられません。私達が協調し合うことの方がもっと重要なことです。私達はいくら仕事をしても、いくら人に三退をさせても、最後に私達自身が圓満成就できなければ何の意味もありません。私達自らをしっかり修めて、はじめて全体で協調し、協力し合うことができ、はじめて人を救う巨大な力を発揮することが出来るのです!!

 個人的な体得ですが、法に則っていない所があれば、同修にご叱正お願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『米国東部法会での説法』 
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「なぜ拒否するか」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/1/26/360084.html)
 
関連文章