文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年12月17日】明慧ネットで、一部の同修が修煉してわずか数年で、内に向けて探して、心性がとても向上したのをみて、同修との格差が大きいことを痛感しました。すでに20年も修煉してきた私は、内に向けて探すことが少なく、どのように内に向けて探すのか分かりませんでした。例えば、法を学ぶ時に眠くなったり、発正念をする時に掌が倒れたり、状態が良かったり悪かったりしていました。心中とても焦っていて、手詰まり感も強く感じました。そこで、私は内に向けて探してみようと思いました。
私はまず師と法を信じることから、内に向けて探しました。今までの私は師と法を固く信じていると思っていました。「法輪大法に対する正念をしっかり守るため、私は北京に行ったことがあり、大法の無実を訴えました」。冤罪で刑務所に入れられ、迫害を受けたこともありました。夫は私が信奉を放棄しないことと、迫害に遭うことに耐えられず、もう少しで離婚するところでした。
一方、私は時間のほとんどを三つのことに、つまり法を学び、煉功し、心性を修め、正念を発し、真相を伝えることに費やしてきました。それなのに、どうしてあのような正しくない状態が現れるのでしょうか?」と内に向けて探してみると、「私は師と法を信じている」つもりでしたが、実は独りよがりで、勝手気ままで、自意識が強く、自らを実証しようとしていると気付きました。
師父は「本当に信じることとは何でしょうか? あなたは口先だけで信じると言って、実は心の中では信じていません。それはどうしてですか? 本当に信じていれば、あなたの言行は必ず一致しなければなりません」[1]と説かれています。私が感じた「手詰まり感」というのは、本当に師と法を信じていないことの現れではないかと気付き、とても驚きました。なぜなら、私の考えと行動が一致していないからです。私は法を学び、法を得たいと考えていましたが、師と法に対して、非常に敬虔で、尊敬し、感謝する気持ちがありませんでした。法に則っていないため、法を学ぶと眠くなり、正念を発すると掌が倒れ、法も得られず、大法に同化することもできませんでした。
さらに旧宇宙の私(し)のための特性から内に向けて探しました。すると、私は根本的な執着を放下していないことに気づきました。私心が強く、何かをする時、他の人のことを配慮せず、いつも「私はこうしたい、ああしたい」と自らを最優先に考えていることが分かりました。そして、私が求めているのは、実は自分の威徳の樹立と個人の圓満だったことも分かりました。このような私心を持っていて、どうして大法に同化することができるでしょうか?
「弟子:どうして間違って悟ってしまう人、または極端に悟る人がいるのでしょうか? 師:実は非常に簡単です。ほかの問題ではなく、ただ考えの基点をどこに置いたかの問題です。つまり、あなたは悟ろうとする時、あなたの考えの基点がどこにあるのか、あなたがどの基点に立っているのかのことです」[2]、「実際には、皆さんの以前の本性は、自らのため、私のためを根本としたものだったのですが、今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」[3]と師父は説かれました。私(し)のための心を放下して、他人のため、衆生を救うために基点を置き、無私無我で、他人を先に、自分を後に、このようにしてやっと自らをしっかり修めることができると分かりました。
私はやり方を変えました。心を込めて真相を伝え、何も求めず、歓喜心と顕示心を抑えました。同修との間にトラブルが起きた時、私は師父の法「正しきは彼 過ちは私 何を争ふものか」[4]をしっかり心に刻みつけました。時には同修に誤解されることもあり「それは私を高めるためであり、それは本当の彼女ではなく、本当の彼女はとてもよく修めており、彼女の観念は私とは逆であり、恨む心を持たないようにしよう」と思いました。
家にトラブルがあれば、師父の法「修煉する人 自らの過ちを探し」[4]を思い出し、人を見下す心を持たないようにしました。夫が私を罵り、聞き苦しいことを言っても、私は気にせず「彼も大変で、私のためにいつも不安や恐怖に脅え、それなのに、私のそばを離れず、彼に感謝しなければならない」と考えるようにしました。すると、彼は後で私に謝ってくれました。
ある同修と一緒に真相を伝えに行きました。私が相手に真相を説明し、もう少しで三退しそうになった時、同修が横から口出しして、「あなたは共産党員? 共産主義青年団の団員? 少年先鋒隊の隊員?」と聞いた後、三退させるのです。彼女の言い分は、「私達は一体で、誰が三退させても同じです」と言いました。しかし、時間が長くなると、私は彼女のやり方に反感を持ち、彼女より先に相手に三退してもらい、その後に真相を伝え、彼女にチャンスを与えないようにしました。
内に向けて探してみると、私には損得にこだわる心、恨む心、闘争心、嫉妬心があることに気づきました。心が変わればものの見方も変わります。それからは、彼女が目障りではなくなり、彼女のことが嫌だと思わなくなり、彼女の言い分も理解するようになりました。そこで、三退を勧めやすそうな人がいれば、私は彼女に譲り、そして、彼女のことを気にかけ、安全に気をつけるように注意を促し、彼女が真相を伝えている間、私は正念で加持し、黙々と圓容するようにしました。今、彼女はとても上手に真相を伝えることができるようになり、また数人の同修をリードして真相を伝えています。
またある時、ある同修と一緒に真相を伝えました。彼女は2日間ずっとびくびくしていました。しかし、私は彼女の正念を加持するどころか、逆に、彼女に「何を怖がっているのよ? ちょっと変わったことがあっただけで、あれほど脅えるの?!」と怒鳴りました。同修はとても心性が高く、私の態度を全く気にせず、すぐに「もう大丈夫です。もう大丈夫です」と言いました。真相を伝え終わった時、彼女は本当に恐怖心がなくなっていました。
このことを通して、自分には人を見下したり、闘争心、顕示心があることが分かり、そして、自分は優しくなく、口が悪いなどの欠点にも気付かされました。実は、常人の理からみても、彼女は私より年上で、私は彼女を尊重すべきなのに、本当に悪かったと思いました。その後、私は師父に謝り、翌日、同修にも謝りました。しかし同修は「全く気にしていないよ。あなたも私のために言ってくれているから」とあっさりしていました。なんと優しい同修だろうと思いました。
ある日、駅で十数人の人が三退しましたが、ただ1人だけしませんでした。20代の女性で、携帯電話のゲームに夢中でした。彼女はしゃがんで頭を下げ、何か考えている様子で、なかなか話しかけられない雰囲気でした。そこで、私は心の中で「縁があるならば、すぐ立ち上がってください」と念じました。すると、彼女は本当に立ち上がりました。私は笑顔で彼女に話しかけ、そして、彼女も喜んで三退を承諾しました。その過程はとても順調でした。
私はこのようにして真相を伝え続けてきました。とても効果が良かったと感じました。そして、法を学ぶ時、発正念する時、状態が改善され、心も穏やかになり、人に対しても寛容な態度で対応できるようになり、心から人のために尽くせるようになりました。そして、「私はこうしたい、ああしたい」という自己主張もほとんどなくなりました。
自分の悟性が悪いため、師父は私のために心を尽くして下さいました。修煉して20年、師父にお会いしたことはありませんが、しかし、師父はいつも私のすぐそばにいらっしゃり、私を見守ってくださり、悟らせて下さいます。私のすべては師父が与えて下さったのです。師父の弟子になることができ、法を正す師に手伝うことができ、衆生を救い済度する神の道を歩むことができるのは、この上なく光栄に思います。
私は必ず師父のおっしゃる通りに行います。内に向けて探せば、すべてが順調になります。大法弟子になることができ、本当に幸運で幸せです。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『ヨーロッパ法会での説法』
[2] 李洪志師父の経文:『長春輔導員法会での説法』
[3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」
[4] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「誰が是 誰が非」