名、利、情を修めて無くし、慈悲を現わす
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年5月8日】

 法を得る

 1995年、おばが私の父母に会いに来ました。私たちが停車場でおばに会った時、皆とても驚きました。おばは以前とはまるで別人のようだったからです。元々おばは顔中しわや黒斑があり、髪の毛は少なく見るからに病気がちで、特に脚の周りはとても深刻な状態で遠くからでも分かるほどでした。今は皮膚が白くなり赤みがさして斑点もなくなり、全体的に二十数歳も若くなり、これはどう見ても50歳を超えた人には見えませんでした! さらに不思議なことに脚も治っていました。私たちはおばに何の特効薬を飲んだのか聞きました。おばが言うには、法輪功を修煉し始めてから、このような大きな変化が起きたことを教えてくれました。

 その年に私も法を得ました。法を得たのが比較的早かったので自然に輔導員になり、毎日元気よく皆を連れて学法し、煉功し、また新しい学習者に功を教えたりもしました。仕事もしていたので、忙しくててんてこ舞いでしたが、心の中はとても堅い気持ちでした。

 消業

 私の身体は元々とても悪く個性も強く、何をするにしても完璧を求めました。また農村へ行って病気だらけになり胃潰瘍、長期の不眠を発症し、ある時は一晩中眠ることが出来ず、関節炎、気管支炎、神経性頭痛もあって頻繫に薬を飲み、ひとしきり良くなっても数日後にまた再発して非常に苦しみました。

 修煉し始めてまもなく業の消去が始まりました。高熱が出て、熱でクラクラして、3日3晩何も食べることが出来ず、ただ水を飲むだけでした。

 3日後、熱が下がってからはっきりした夢を見ました。夢の中で自分は他の空間にいて、天はとても青く人間界の青ではありません。一つの金色の箱が横に置かれていて箱のふたが緩やかに開き、私はその中に入って横になりました。ふたはゆっくりと閉まり私はその中で眠りました。どのくらい経ったのか分かりませんが、ふたは徐々に開いて私はその中から出ました。この時、師父の大きな声が鳴り響きました。「もう大丈夫でしょう。名、利、情を放下すればあなたは圓満になります」。他の空間の名、利、情は大きな文字で三角形の中間に縁どられていて、それを二つに引き裂くとその中にサボテンがありました。文字は鮮紅色で外側のトゲは長く鋭く、目にはっきりとわかりました。私は「師父、この場所にどうやって置けば良いのでしょうか?」と尋ねました。

 そして目が覚め熱も下がりました。それから体が軽くなり病気がなくなりました。私はこれがどういう事か分かりました。名、利、情は私にとって非常に突出していて放しがたく、必ずその名、利、情を放下してやっと修煉が出来るのです。

 その後また業の消去があり高熱が3日続きました。この時は借りを返しておりまた夢を見ました。私はある一世で、二つの大きな池にいる多くの鳩を殺していました。またある一世では、1人の人体の肉を切り落としていました。またある一世では、馬をとても強く叩き、馬が逃げると捕まえてきて大きな木に縛り付けると続けて叩き、犬が見ても怖がり顔をあげることが出来ないほどでした。私は業と借りが全身にある事を知っていました。もし修煉しなげれば、師父が私のために受け持って下さらなければ、私はとても乗り越えることが出来なかったでしょう。自分が受け持ったのは、ただ人間の中の表面上のほんの少しにしかすぎません。師父がおられなければ今日の私もありません。

 名を捨てる

 私は大企業に勤めており人間関係はとても複雑でした。私は負けん気が強いため1カ所の管理を任されおり、何事も落ち度は無かったので、私がリーダーの場所は検査免除を獲得していました。誰が検査しに来ても私たちは突貫作業をしたことがなく、幹部も安心して自分も年々評価を上げ、「先進的生産者」、「模範」などの称号をもらいました。毎年仕事で開かれる大会では、私はいつも座席があり職場で何かの良い事があっても逃さず、名を求める心がとても強かったのです。

 大法を修煉してから、これは私の修煉の大きな障害であることを知り、必ず放下しなければならないと思いました。ある日、労働組合の主席が私を訪ねてきて、言うには、彼は転勤するので、私が彼に代わってその位置に立つことをすでに推薦した、上役はすでにそれを承知しているそうで、私に自分で働きかけるようにと言いました。この労働組合の主席になれば、給料もボーナスも全て上がり、福利や待遇も今とは違います。私はそれを聞いて一笑に付し、「自然に任せましょう」と言いました。なぜなら修煉者として、絶対に個人の利益のために賄賂をしてはいけません。公布されるのを待っている時、決まったのは私ではありませんでした。私は気にもせず、平然としていました。そのとき私はこの関を乗り越えることが出来たと思いました。

 迫害が始まってから、大小さまざまなリーダーが私を訪ねて来ました。私は動じず、また彼らの言う「煉功をやめる保証書」にサインせず、ただ私が受益した状況を話しました。仕方なく、彼らは私を辞職させようと毎月の給料を600元にしました。

 生活のために必死にアルバイトをしました。アルバイトはとても辛く毎朝早く出て夜遅く帰り、学法、煉功をだらけてしまい、以前のように精進しなくなり内心とても苦悩し焦りました。

 この時期、ある同修は私が邪悟したと言い、同修たちと私が接触しないようにさせました。私が学法小グループに行くと同修はドアを開けてくれず、私を孤立させようとしました。この時、自分も我慢が出来なくなって、毎日心を煩わして睡眠も食事も良く出来ませんでした。この同修は私の家庭にもトラブルを作りました。3日と良い日がなく、鶏が飛び立ち犬が垣根を跳び越える状態で、私はこの同修を恨み始めました。また口を修めることもしなくなり、あなたが私に悪くするならさらに悪くするようにし、相手の不足を探し不満はどんどん大きくなり、心性も落ちてしまい常人にもおよばないほどでした。

 心を静めて法を学んだ後、内に向けて探し始めました。どうして同修は私が邪悟したと言ったのでしょうか、私は邪悟したのでしょうか? 師父の全ての説法を2回学んでからどういう事かが分かりました。これは私の業の消去を手伝ってくれていたのです。私の生生世世に犯した罪の業力を消去し、私の名を求める心を消去してくれており、私にこの執着があるから同修が手伝って消してくれていたのです。私は感謝することを知らず、逆に恨んでいました。

 以前私が遭遇した関は、乗り越えることが出来ましたが、それは心の奥深いところに触れていなかったからで、本当の魔難が来て、心がえぐられる時になるとまだ乗り越えられませんでした。名を求める心はとても強く、法を学んでも形式だけで全く心に入らず、法を用いて修煉を指導しておらず、学法と実際の修煉に隔たりがありました。法を学ぶ時は心態がとても良いのに、人間の世間に来るとやはり人間で、何かのトラブルに遭遇すると法を用いて照らさず、師父が私たちに「法を学びて法を得る 比べて学び比べて修す 事々対照し 做すところ到るは是れ修なり」[1]と要求されましたが、私にそれが出来たのでしょうか? 本当に師父に対して恥ずかしい限りです。

 師父は説かれました。「どうしてこういうことにぶつかるのでしょうか? それらはみな自分自身の業力によるものです。われわれはすでに数え切れないほど多くの業力を消してあげました。残ったわずかなものは、あなたの心性を高め、心を錬磨し、さまざまな執着心を取り除くために、『難』として各次元に割り当てました。それらの難はもとよりあなた自身が持っているもので、われわれはあなたの心性を高めるためにそれらを利用するのですが、いずれも乗り越えられるようにしてあります」[2]

 私が法理を理解してから、師父はまた夢の中で私にその同修との因縁関係を見せてくださいました。前の一世で、私が彼女を取り調べている時に彼女の生命を奪いました。また同時に私と息子の嫁の三世の因縁を見せてくださいました。ある一世では、彼女は私の娘で皇宫にいて、17歳の時、外国に行って和親しました。ある一世は、彼女は私の庄主で私の店長でした。今世では私の息子の嫁です。私は全てが分かりました。まだ何か恨む心があるのでしょうか? 自分がやった事を返そうとせず、受け入れようとせず、それで良いのですか? 実際私たちの身近にいる人は皆無縁な人はいませんが、全て迷いの中にあって、師父は私がどうしても悟らないのをご覧になって、この迷いを破らせたのです。目的は人間の世で迷わないように、執着を放下するように、早く精進するためです。

 私はこの事を通して、内に向けて探すことを学びました。内に向けて修め、やっと本当の修煉が何なのかが分かるようになったのです。修煉は厳粛なことで怨恨の心を修めて無くしました。

 利を捨てる

 職場にいる時、ボーナスは長の所で集めて分配する全権があり、どんな人も多くても少なくても長の言う通りで、このようにすると容易に不公平が出現し、横領などの現象も出現し頻繁にトラブルが発生していました。私は修煉してから、徹底的にこの現象を正しました。まず上から下りて来たボーナスを、毎月掲示板に公表しました。総額いくらか、何人かの班長はどれくらいか、班員はいくらか、なぜある人はボーナスが増えているのか、なぜ差し引かれているのか、その原因を明確に書いてもらいました。皆はそれ以来恨み言を言わなくなりました。毎回各級のリーダーが来て検査をしますが、それを見て、「皆があなたのようにすればトラブルが無くなるのに」と言いました。

 ある年、賃上げをすることになり、私の所は4人の班長がいて、3人にノルマを与えて給料を上げますが、もう1人は給料が上がらないということでした。その班長の意見はとても大きく、至る所で指導して裁いていました。私はそれを知ってから主任に相談しました。私のノルマを下げて、あの班長にあげるようにお願いしました。主任はとても感動しました。「あなたのような人はとても少ないです」。私は「大法を修煉していますので、当然のことです」と言うと、主任は「トラブルを減らすためにこのようにしましょう」と言いました。私の心は落ち着いていました。工場長の会議で主任がこの事を言いました。工場長は「良い人に損はさせられません」と言い、それでまた一つのノルマを与えて補修しました。法理の上で私は悟ることが出来ました。1人の修煉者としてあなたが本当に人心を放下できた時、師父は何でもあなたを正すことが出来るのです。

 慈悲の心

 私と夫の関係はとても悪く、私は心の中で夫のことが気に食わず、夫の気性が良くないと思っていました。夫は毎日どら声を上げて場面をわきまえず話し、大酒を飲み、毎日朝出て行く時は立っていますが、夜は這って帰ってきます。今まで子供の保護者会にも一度も出たことがなく、子供も夫に来てほしがりませんでした。家の中で何かあっても夫に相談しません。夫も私に聞かないし答えませんでした。私たち2人は他人のようでした。

 私が修煉してからの数年もずっとこのような状態でした。ある日、夫は突然脳血栓になり、病院に入院し病状はとても危険でした。付き添っている過程の中で、夫が病床に横になっているのを見て、私は心から同情し、夫がとても可哀想に思いました。今生で私と縁があって夫婦になったのに、私はどうしてこの縁を大切にしなかったのでしょうか。逆に夫を恨んで、私の慈悲心はどこにあるのでしょうか? 私は修煉者なのに内にむけて修めず、外に向けるのはよいことでしょうか?

 家庭の関でさえも上手く処理できないのに、どうして修煉者と言えるでしょうか? これは厳重に漏れがあり、しかも大きな漏れで、夫は命を賭(と)してまで私を呼び覚ましたのです。私はどうして悟ることが出来ないのでしょうか? 夫も法のために来たのであって使命があり、夫のこの現われは、私の修煉出来ていない怨恨心と闘争心、私心や自分のための心、自分が正しいと思い込む心を際立たせていたのです。私の善でなく忍でない心が、夫の病気を引き起こしたのに、まだ自分の修煉は悪くないと言えるのでしょうか?

 夫の事を思い返してみれば、多くの長所があったはずなのに、私はどうしてそれを見ることが出来なかったのでしょうか。短所ばかりが無限大に大きくなっていました。実際、夫はとても夫の父母に親孝行で、夫の父母の病気が重かった期間、毎日身近で看護して、数年も欠かさず、ずっと2人のために最後まで続けました。この世の気風の中で、どれだけの人がこのような事をやり遂げられるでしょうか?

 私が修煉してから夫は反対したことがなく、とても支持してくれました。最も暗黒の時期、私たちのために邪悪のぞっとするような冷たさからも庇ってくれました。悪徳な警官が家に来ることが分かると、夫はすぐに所有している大法書籍と師父の写真を全て隠して守りました。毎回邪悪が騒ぎを起こす時、夫は前面に出て遮り、夫が家にいる時、邪悪は入ることをはばかりました。夫はこんなにも正々堂々と行っているのに、私はどうしてまだ夫を恨む事があるのでしょうか? 師父は私にこんな「護法の神」を身辺に按排してくださり、これは私が数世で修煉してきた福徳で、私が修煉して圓満成就できるようにするためで、夫は命を懸けて私を手伝っていたのです。

 ここまで思い至ると我慢が出来なくなり、涙がとめどなく溢れてきました。私は自分の悟性が悪い事を恨みました。やっと悟ったのです。夫が退院してから、夫と結婚30年にして初めて腹を割って話し合いました。まず誠実に、自分の過ちを認めて夫に謝りました。夫に冷たくするべきではなかった事、また、夫に対して関心を持たず、妻の責任を尽くせていなかったため、夫は酒で憂さを晴らし、身体に問題が出たのです。また夫のたくさんの長所を肯定しました。大法の書籍を守った事や、勇気のある行動をした事、本当に大德を積みました。私と一緒にいて十数年も怖い目に遭い、たくさんの苦労をしてきました。私は修煉者なのに大きな忍の心を修めず、さらに慈悲の心もなかった事などを話し詫びました。

 彼は聞き終わってからとても感動して涙を流し、自分も良く出来ていなかったと言いました。毎日酒を飲み、家庭に不和をもたらした事、これからは酒をやめると言いました。3カ月の苦しい戦いの中、彼は本当に酒をやめることが出来ました。現在はタバコをやめようとしています。もともと1日に2箱も吸っていましたが、現在は3、4日で1箱です。現在、私たちの家族関係も仲睦まじくなり、何かがあったらお互いに相談し、どんな時にも法を用いて自分の一言一行を指導し、何か問題があったら自分を探し、どこが良くなかったか自分の原因を探し、次回は良く出来るようにし、修煉者の基準で自分を照らして良く修めるようにしました。

 私は悟りました。修煉者として内に向けて修めず、自分を修煉しないなら一切が全て空です。多く学法し、法理を用いて生活の中で遭遇したトラブルに対処し、人心を取り除き、それでやっと精進出来るのです。自分を良く修めてやっと多くの人を救えるのです。自分を良く修めてやっと三つのことを良く行えるのです。自分を良く修めてやっと師父の正法の進展に脱落せずについていけるのです!

 名、利、情を放下してから大法を実証する力は倍になり、あの人心が無ければどんな一思一念も全て法の上にあるのなら、神聖で純潔で本当にとても素晴らしくなるのです! 最後に師父の『洪吟二』の詩を共に学びましょう。

 道中行

大道世間を行く
迷中の衆生を救済す
名、情、利を淘(よな)ぎ去れば
何れの難能(よ)く聖を阻まん[3]

 注:
 [1] 
李洪志師父の詩 :『洪吟』「着実に修める」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の詩 :『洪吟二』「道中行」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/4/27/345337.html)
 
関連文章