明慧法会|人心を捨て冤罪を晴らす中で、慈悲をもって衆生を救う
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明慧日本2017年3月3日】

 師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は1996年に法輪大法を修煉しはじめ、今年ですでに20年経過しました。江沢民が嫉妬心から発動した法輪功を迫害する運動のために、懲役10年の不当な判決を受け、2006年から2016年まで刑務所に拘禁され、修煉の時間の全体の半分をつぶしてしまいました。

 江沢民政治集団が刑務所の警官と受刑者を利用してファシズム的な手段で真・善・忍を修煉する良い人たちを痛めつけるのを、私は刑務所で自ら体験しました。ある同修は殴り殺され、ある同修は拷問による苦痛を受けて身体障害者になり、ある同修は半狂乱になり、ある同修は妻子が散り散りばらばらになって家庭が壊され、ある同修は迫害されて本心に逆らい修煉を放棄し、ある同修は嘘やへ理屈、邪説によって思想改造され反対の方面に行ってしまいました。私自身は苦しみを舐め尽くしながらも、命を失う寸前のところで九死に一生を得て、法の中で師父の保護の下、歩んできました。

 一、完全に閉ざされた中で、ひどい迫害を受け人心でつまずく

 10年間の冤罪は果てしなく困難で、迫害手段に激怒し、警官や受刑者は他の空間の邪悪、魔、卑しい鬼によって魔性を操られて大いに怒り、確固として修煉する大法弟子を包囲して攻撃し、思想を改造していきました。私が刑務所に入るとすぐに、7、8人から十数人に取り囲まれ、受刑者たちが慣用している屁理屈や邪説を持ち出してきました。---「焼身自殺事件」と大法を破壊した人間のくずどもの話を利用して、代わる代わるにそのくずどもの話を頭に叩き込んで思想を改造しようとしました。私は囚人たちの話を全く聞かず、顔をそむけ、何も見ず、何も聞かず、相手にしませんでした。すると、囚人たちは「どうして我々を見ようとしないのか!」と聞き、私は納得せずに「それなら私と面と向かい目を合わせ、その時、私があなた方を見るかどうかを見てください」と言いました。私は両目でにらみ受刑者たちを直視すると、かれらは脇にいってしまいました。そこで「さあ来なさい! 来なさい! 私と面と向かいなさい」と叫ぶと、受刑者たちは誰も私と面と向かおうとせず、そっぽを向いてしまいました。

 ある時、受刑者たちがまた私を包囲し攻撃し始め、私を転向させようと企んだので、かれらがでっち上げた嘘と屁理屈を法の中で悟った法理で、また新たに徹底的に論破し反駁しました。かれらは私を説得できないと見ると、何人かが激怒して激しく罵り始めましたが、互いに罵り合うわけにもいかないので「法輪大法は素晴らしい!」と叫びました。一回また一回と叫び、声をあげるたびに大きくなり、叫び声は次第によく通るようになり、数人の受刑者は私の叫び声で目が据わってしまい、その場にぼんやりと立ちつくし、根が生えてしまったかのようになり、長い間ものも言えなくなってしまいました。警官が呼び寄せられましたが、私に対しては何もせず、罵った者たち数人を叱っていました。

 大法を誹謗中傷した王xxの屁理屈と邪説に反駁した手紙を書き、大法を実証した実例を書き、獣の印を消し「三退」すれば平安を保つことができるという善を勧める手紙を書き、全部で20ページ以上あったものを警官に渡しました。しかし、それでも中国共産党はおとなしくならず、その反対に前よりさらにひどくなりました。その時はちょうど2008年のオリンピックの期間中で、邪悪の密度が大きく、毎日最も多い時で不当に収監された大法弟子は300人にのぼり、法輪功を学ぶことを放棄しなかった人はみな人目につかない建物に不当に拘禁されました。その建物は暗くて陰鬱で、完全に外界と隔離されていました。建物の鉄製のドアはしっかりと鍵がかけられ、建物内の各収容棟のドアにも鍵がかけられ、カーテンで仕切ってしまえば「この建物はどんな人がいる場所なのか」と尋ねる人は誰もいませんでした。「転向しない」人が拷問を受けた時だけ、殴る音や泣き叫ぶ声、拷問による苦痛での凄惨な甲高い叫び声がひっきりなしに各収容棟に聞こえて来て、それを聞くと鳥肌がたちました。時には、外にいる人に聞こえるのを恐れ、警官はテレビを最大音量で流し、ドラマのストーリーの中で喧嘩する声や叫び声に聞こえるようにしました。こうして警官たちの罪悪を覆い隠しました。

 警官たちが「転向」を強行した拷問は、ロープで縛る、吊し上げる、体を四方に引っ張る、飛行機(訳注:体を真っ直ぐに立たせ、頭を足の方に下げさせて、両腕は後ろ側の上へ向けてぴんと引き伸ばす姿勢をとらせる)、手のひら大の小さな腰掛に座らせる、などの拷問が「転向」するまで続きました。小さな腰掛は小さくて狭く、腰掛の上に丸い穴があり、丸い穴から物を差し込み、動けないようにその上に強制的に座らせました。お尻がうっ血してぼろぼろになり、うみが出て血が流れても見逃してくれませんでした。

 警官たちは私に法輪大法の信仰を放棄させるために、両足と両腕を五馬分屍のように床の上で縛って伸ばし、修煉を放棄しない限り、警官たちが四肢を入れ替わり立ち代わりに、何度も引っ張りました。両手の骨が引っ張られて分裂し、関節が外れ肩から飛び出し、服を着ていても骨が突き出ているのがわかりました。警官たちは2カ月間、私を床の上で大の字に縛ったまま縄を解かず、トイレにも行かせず、食事は受刑者が1口ずつ与えました。苦しめられて精神がほとんど崩壊し、死のうと思いました。骨が折れるくらいに力を込めてスチームに突き進もうとしたこともありましたが、受刑者に腰に抱きつかれてしまいました。全力を尽くして壁に向かって激突しようとしたこともありましたが、体が綿に包まれているかのように立ち上がることすらできず、体の自由が効かなかったため、死にたくても死ねませんでした。生きて拷問の苦しみを受け、苦しみに狂いそうになり・・・耐えることも極限に達し、妥協し、屈服し、無念にも、とうとう陥落してしまいました。

 二、師父と大法を信じ人心を取り除くと、法を乱す卑しい鬼は自然消滅した

 陥落してからしばらく時が経つと、「極点に達して逆の方向に転化」し、修煉の意志が再び回復し始めました。そして「死ねなかった以上は続けて修煉しよう。師父が按排してくださった修煉の道を、まだ歩み終えていない。それならば大法の教えに従い自分で修煉を続けて行こう」と思いました。そこで、大量に『轉法輪』を暗唱し始め、思い出せるところから暗唱し、思い出した言葉を暗唱し、『精進要旨』はすべて思い出すことができたので、再びすべてを暗唱しました。『洪吟』と『洪吟二』もすべて暗唱しました。時には暗唱できないこともあり、そういう時は『師父と大法を信じる』という一念をしっかりと守り、何度も何度も念じ、時には念じながら頭がしびれてきました。

 私の修煉の気持ちが消滅していないのをご覧になり、師父は絶えず私を加持して知恵を開いてくださり、法理を見せ悟らせてくださいました。師父は「わたしは皆さんにこんなにたくさんのものを与えました。すべての人が着実に修煉に励み、大法に従って自分を厳格に律しさえすれば、わたしはみんな弟子として導きます。法輪大法を修煉するかぎり、あなたを弟子として扱います」[1] 「あなたが修煉しなければ、何も面倒を見ませんが、修煉すれば、最後まで助けてくれます」[1]と説かれました。私は「法輪大法には、間違った方向へずれることから学習者を守る力があります。どのように守るのでしょうか? あなたが真の修煉者であれば、われわれの法輪が守ってくれます。わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」[1]というところまで暗唱しました。

 この説法を思い出すといつも、鼻のあたりがつんとなり、師父の法身がそばにいらっしゃって保護してくださっているのを感じ、最も陥落した時でも死にいたることはなかったのです。そして、命が助かって再び修煉する機会を得たことを感じました。表面的には耐えられずに妥協したかのように見えますが、実際にはさらに耐えがたい巨難であり、私のために師父がどれだけその巨難を受け止めてくださったのか計り知れません。師父のご慈悲と広大な佛恩は人の言葉を用いては形容しがたく、人の考えでは理解すらできません。

 大量に法を暗唱する中で、多くの人心を見つけました。たとえば、恐怖心、法を実証し真相を伝えることで迫害されることを恐れる心、体を四方に引っ張られることを恐れる心、「転向」させられることを恐れる心、などでした。大法を誹謗中傷する屁理屈や邪説に反駁する中で、中国共産党の思想改造による迫害に抵抗する中で、闘争心や納得しない心、憎む心などが多少なりとも持ち込まれていたため、気持ちが穏やかとは言い難く、口ぶりが善に欠け、警官や受刑者、「教育者」などの常人を無意識に自分に歯向かう者と見なし、救い済度する対象として見ておらず、無意識にそれらの常人と対立してしまったため、旧勢力にしっぽをつかまれてしまったのです。その結果、自分はそれらの常人を救わなかっただけでなく、拷問され、害を招き寄せてしまったのです。

 法理をはっきりと理解し、漏れを見つけた後、見つけ出した人心を修煉して取り除こうと決心しました。師父は私の心性が向上したのをご覧になり、人心を取り除くよい機会を按排してくださったのです。

 中国共産党勢力の刑務所と正のエネルギー場は隔てられ、収容棟の修煉者や受刑者はお互いに話すことが許されず、話せば迫害を受け、さらにひどい迫害を受けました。法を実証する勇気があるか、法輪大法は素晴らしいと言う勇気があるか、刑務所で真相を伝える勇気があるかは、不当に懲役刑を受けた大法弟子にとって最も苦しい環境において、歩んで行けるかどうかという厳しい試練となりました。

 ある時、警官が私に会いに来て話をし、私の姉(修煉者)の病気はどのように良くなったのか、という話におよんだ時、私は躊躇し、恐怖心が生まれてきました。すると、警官が「どのように良くなったのか?」と追及してきました。そこで私は思いきって「法輪功を学んで良くなりました」と言うと、警官はいつものように怒ったりせず、軽い感じで「いやはや、法輪功を学んで良くなったのか」という一言を繰り返しました。まさにこの一言だけでした。

 ある晩、夢を見て、夢の中に多くの人がいて、非常に興奮しながらある出来事について噂していました---人々は私を名指しして「xxxがやってきた」と言い、その意味は、修煉状態に戻って来た、ということでした。人々は喜んで跳躍しながらいたるところで噂していました。目が覚めた後「これは、私が倒れて再び立ち上がり、この邪悪の環境の中でもあえて真実を訴え、法を実証しようとしているのを私の世界の衆生が見た、ということです。そして衆生は希望を持ち、やっとこれで救われたと思い、喜び合いながら互いに噂しているのだ」ということを悟りました。

 師父のお導きと励ましにより、中国共産党に抵抗し迫害に反対する信念ができ、自信が固まりました。そして、刑務所で毎日頭に叩き込まれる嘘による思想改造に力強く抵抗し、思想状況の報告書を書かず、名札を付けず、「転向」のために刑務所が特設したすべての規則に、完全に協力しませんでした。

 他の空間に操られた警官は、いつも虎視眈々と私を迫害する機会を探そうとしていたので、力を注いで正念をし、刑務所の長宛に手紙を書き、私と法輪功修煉者に対して警官と受刑者が行っている精神的および肉体的な迫害を暴露しました。ある年、1人の大法弟子が迫害されて死に至り、それを聞いて涙が止まらないので、私は絶食して抗議しました。すると、ある刑事犯が「なぜ食事をしないのか」と聞いてきたので 「私たちの同修が殴り殺され、私たちの命はこんなにもはかなく、価値のないものなのでしょうか! そう考えたらご飯が喉を通らず、何も食べる気がしません!」と言いました。

 その刑事犯が私の話を隊長に伝えると、隊長が会いに来て「どうしたのか」と聞きました。そこで私は「私たちの同修が殺されました」と言うと、隊長が「誰から聞いたのだ!」と聞いてきたので 「誰から聞いたのかを教えるわけにはいきませんが、もし教えたら今度はその人が迫害されますので、教えるわけにはいきません」と言いました。そして隊長に「もしxxxが殺されていないというのなら、彼女を連れてきて見せてください」と言うと、隊長は返事ができませんでした。隊長が何も話せないこのチャンスをとらえ、隊長に多くの真相を伝えました。すると、隊長はずっと真剣に聞き、最後に厳粛に「因果応報とは、誰かが誰かを迫害したら、必ず償わなければならないということなのか」と自分の今までしてきたことを心の中で振り返り、つぶやきました。

 その後、隊長は過ちを認め「これは私の責任で、私の仕事がうまくできていないために起きた問題です」と言って、隊長は食事をするように勧めましたが、私は「食事はできません、同修を弔うために、3日間は食事できません」と告げました。すると隊長は「1日でも食事をしなければ灌食しなければならない」と言いました。そこで「灌食しようがすまいが、3日間は食事はできません」と言うと、結局、隊長は無理やりに食事をさせようとはせず、灌食もしませんでした。その後、隊長はしょっちゅう各収容棟までやって来て、法輪功修煉者の無事をはっきりと確認するようになり、各収容棟の受刑者に「誰であろうと法輪功修煉者を殴ったり、罵ったりしてはならない」と伝えました。刑事犯が夜中に「転向」しない法輪功修煉者を拷問にかけたことがありましたが、私はそれを知り、そのことを隊長に伝えました。隊長が宿直の時、突然夜中に確認に来たので、夜中に刑事犯が法輪功修煉者に対して迫害を行うことは大きく減少しました。

 人心を放下した時はいつも、法から法を認識でき、慈悲心を抱いて行うべきことを行い、迫害を暴露した時、他の空間で私を迫害した中国共産党と卑しい鬼は勢いをふるえなくなって自然消滅しましたが、依然として、迫害が厳しかったのは、自分の人心が悪人を呼び寄せ、中国共産党が迫害したからです。

 三、人心を捨て、慈悲をもって衆生を救う

 刑務所の警官に真相を伝えるのは、一般人に真相を伝えるのとは異なります。まず警官たちの職場環境と気持ちを考慮しなければならず、他の警官や受刑者を避け、警官同士や警官と上司間の「疑い」や相互の警戒心を避けなければならず、さらに、警官たちの面子に気を配らなければならないなど、あらゆる面から周到に考慮してはじめて、警官たちは私が書いた真相の手紙を受け取ろうとしました。真相の手紙の内容で警官たちの負の要素に触れることはできません。警官たちに真相をわからせる以上、警官たちの名誉や利益が巻き添えになってはいけないからです。このような真相の手紙なら、警官たちがはじめて読む気になり、受け取ろうとするのです。

 さらに、警官たちが真相を見るのを妨害し、邪魔をする邪悪、魔、卑しい鬼を絶えず根絶しなければなりませんでした。たとえば、はじめて大隊長に手紙を書いた時、大隊長は警戒し心配したので、刑務所の形式に則って真相の手紙を没収しました。その時、大隊長が何を企んでいるのかわからなかったので、はらはらしました。法を暗唱し始めた時、正念をして、衆生が救われることを妨害する邪悪要素を取り除きました。師父は「真相を伝え衆生を救い済度することに旧勢力はあえて反対できません。肝心なのは、何かをするときの心構えにそれらに付け入る隙を与えないようにすることです」[2]と説かれました。師父はさらに「神筆人妖を震わし 快刀爛鬼を消す 旧勢力法を敬わず 揮毫して狂涛を滅す」[3]と説かれました。絶えず法を暗唱すると、正念がますます強大になり、放下できていなかった人心が法を暗唱する中で絶えず取り除かれ、邪悪要素も絶えず解体され、心が少しずつ落ち着いてきました。最終的に、没収された文書には何事もなかっただけでなく、逆に大隊長は私が書いた真相の手紙をもっと読みたいと思ったようです。

 毎回大隊長宛に書いた真相の手紙は、便箋30枚以上にのぼり、少なくとも大隊長宛に5、6回は書きました。手紙の中で大隊長に伝えた真相は全面的に、あらゆる面から真相を伝えました。ある時、大隊長は「あなたが書いた手紙は1冊の本に匹敵する」とまで言い、さらに、私が書いた真相の手紙を読みたいと、合図してきたので「読みたいならば、続きを書こう」と思いました。

 今回の事は以前にいたある隊長の事を思い出させ、その隊長に真相をしっかり伝えず、ただ王xxの屁理屈や邪説を反駁する手紙を書いただけで終わり、その結果救うことができず、拷問を受けてしまいました。その時、もし今のように純粋な心を抱いて、その隊長に真相を伝えていたなら、その隊長を救えたかもしれませんが、隊長はすでに転勤してしまったので、遺憾なところがあります。

 この念が生じたので、師父が按排してくださり、真相を知った隊長は転勤になり、以前の隊長がまた戻ってきました。師父が按排してくださった絶好のチャンスを捉え、以前の隊長に真相を伝える手紙を書きました。以前の隊長宛に書いた手紙はさらに多く全面的で、毎回便箋で30ページ以上あり、その回数も7、8回を下りませんでした。ある時、以前の隊長が私と話をした時、私は思いやり深く「本当に信じてください!」と言うと、以前の隊長は「何を信じろというのか?」と尋ねました。そこで私が「法輪大法は素晴らしい」と言うと、その言葉に心を引き動かされ、以前の隊長はうつむいてしまいました。

 この機を利用して再び「私たちすべての大法弟子には多くの神の奇跡が現れ、もし、これが佛が世に下って人を済度しているのでなければ、誰があんなに命がけで、これまで頑張り続けて来られたのですか?」と言いました。そして、以前の隊長にまた「一度、外出して診察を受けた時、足かせをはめ、ある警官が私に迫害を加え痛みを重くしようと、足かせを手に握り力いっぱい振り回しましたが、私は動じませんでした。また、私が車いすに乗っていた時(その当時、迫害されて走行が不自由になり、診察に行く時はいつも車いすを押してもらっていた)、足かせが自然に外れそのまま地面に落ちました。私が言いたいのは、転向しない人に会って聞き取りをすれば、全員が不思議な出来事について話すということです」と言いました。すると、以前の隊長は「聞き取りをする必要はない、帰って転向しない者に、後日聞き取りをすると言ってくれ」と言いました。そして、以前の隊長はしばらく考えてから「奇跡を現す大会と呼び、自分の身に起きた奇跡を話すように」と言いました。そこで、私は応じましたが、以前の隊長は言ったことを守らず、それは刑務所という邪悪な環境によるものですが、少なくともその時、以前の隊長にもこのような正念が生まれたことは事実です。

 刑事犯に真相の手紙を正々堂々と渡すことができず、正々堂々と渡すと受け取ろうとしない場合には、タイミングを見計らって1人でいる時に渡すか、真相の手紙の誤字を検査してもらうという理由にかこつけて、言い訳を持たせることによって真相の手紙を読んでもらいました。その結果、周りにいた刑事犯と受刑者の多くが真相がわかり、基本的に私をあまり監視しなくなりました。

 続いて刑務所長と副刑務所長、隊長5人、警官6人、教育課長、医者の先生、刑事犯等々に真相の手紙を書き、毎回、全員に対して便箋30ページ以上の手紙を書きました。師父は「真相を伝えることは万能の鍵です」[4]と説かれました。さらに師父が「真相はっきりと講じ乱れし鬼を駆り」[5]と説かれたように、周囲の人が真相を理解していくにつれ、環境がよくなりますますゆとりができ、私がいた大隊では、私の行動は自由になり行きたいところはどこでも行け、誰も私を阻止しなくなりました。さらに、隊長は「彼女(私を指して)が階段を上ろうが下りようが自由で、事務所に入ることもでき、誰も彼女を阻止してはならず、受刑者が付き添っていればそれでよい」(その意味は、何も起きなければそれでいい)と口頭で命令しました。

 師父のご恩に感謝し、このゆとりのある環境を与えてくださったことに感謝し、私に一つ一つの機会を与えてくださり、このゆとりのある環境の中で、真相の手紙を刑務所にいる人たちの手に直接手渡せることを感謝いたします。

 四、師父が守ってくださり、煉功の環境が開いた

 刑務所で煉功を始めたばかりの時、受刑者がたびたび私についてきており、特に刑事犯は転向していない法輪功修煉者をいつでも注視しており、さらに寸刻も離れようとしませんでした。そこで刑事犯たちに善意を以って「仲の良い友達のように私についてくる必要はありません、何をしようとも自分で責任を負い、あなたたちの誰かに迷惑をかけることはありませんから」と言うと、刑事犯たちは私の書いた真相の手紙を読んでいたので、ついて来なくなりましたが 「あそこ(煉功の部屋を指差して)に長い時間滞在しないでください」とだけ注意をしました。私は毎日機会を見つけては煉功しました。ある日、煉功の時間にタオルを使っていた時、受刑者が「あなたはもうタオルを使わなくても大丈夫でしょう! タオルを使わなくても足まで手が届くでしょう!」と言いました。なぜなら私の腕は体を四方に引っ張られた時、引っ張られたせいで一度は腕を上げられなくなっていたからです。しかし、煉功して私の腕が良くなったことを受刑者は見ていたので、私に構わなくなりました。私が煉功しているのを別の人が見つけた時、この受刑者がその場を取り繕い(誰かが報告を出して私の煉功に影響するのを避けるため)、その後、この受刑者は刑期が満ちて出所しましたが、出所する時、名残り惜しそうに「お体をお大事に、あなたのことが心配です・・・」と言いました。

 古い受刑者が去り、新しい受刑者に変わったので、新しい受刑者にも真相を伝え「三退」を勧めたところ 「三退」した受刑者もいて、真相の手紙を読んだ受刑者もいました。ある刑事犯は、私が煉功すると自ら出入り口に立ち「歩哨」になってくれました。ある日、ベッドの上で静功を煉功していた時、警官の1人が収容棟を点検しに来てその受刑者に「ベッドの上にいるのは法輪功を学んでいるのではないのか?」と聞きました。すると、その受刑者は「いいえ、彼女はそこに座って静かにしているだけです」と言うと、警官が見て、声も出さずに行ってしまいました。しばらく煉功を続けていたある日、その受刑者が「あなたの両肩に飛び出していた骨がなくなり、今着ている服の形はきれいです」と言いました。その受刑者は大法の不思議を目の当たりにしました。

 煉功の時間が長くなると、何人かの刑事犯が気づき、警官に伝えましたが、警官が受刑者にどのように尋ねても、受刑者はみなその場を取り繕って、私が煉功していない、と言いました。警官は事が大きくなるのを恐れ、私が部屋で煉功するのを禁止しましたが、私は「煉功の環境を切り開いたからには、中断することはできない」と思いました。ある日、廊下を歩いていると、刑事犯の1人がしっかりと私についてきて、各収容棟からも誰かがドアを開けて私を見ていました。しかし 「誰かが見ているからと言って煉功しないわけにはいかず、修煉すべきならやはり修煉しなければならない」と思い、そこで、廊下に立って大声で、落ち着いて「私が煉功するのを見たくないのですか! 収容棟にいる人はみんな出て来てください、今日、はっきりと皆さんの前で私の煉功をお見せします!」と叫びました。

 私がこのように叫ぶと、しっかりと私についてきた刑事犯は収容棟に戻ってドアを閉め、他の収容棟のドアも閉めてしまいました。そしてそれからは、煉功することに関わらなくなりました。ある日、監視カメラの下で煉功し「気機に従い下へ行く」動作を煉功した時に、警官が監視カメラを見てやって来て「何をしていたのか?」と聞きました。私はそこに立ったまま動かず、声を出しませんでした。すると、その警官は私を空き室に連れて行き、再び「さっきは何をしていたのか?」と聞きました。そこで私が「煉功です」と答えると、その警官は「監視カメラの下に立って煉功するなんて、私の仕事をなくす気か」と言いました。そこで私は「そんなことはありません、煉功は誰に対しても良いことで、煉功しなければ私の体はダメになってしまいます。誰も私の煉功に巻き込んではおらず、これは私自身の事で、自分の行動には責任を負っているので、受刑者と刑事犯を責めず、受刑者と刑事犯の点数を減らさないでください。なぜなら、彼女たちは点数を稼いで早く家に帰ろうとしているからです」と言いました。

 私の話の一言一言が他人のことを考えていたので、その警官は感動しました。私が話し終わると、その警官は元々の部屋で引き続き煉功することを許してくれ、さらに、専門に刑事犯を1人配置して私を守り、他の人に見られないようにしました。そして最後には、誰も私を動かすことができないところまで到達し、隊長であろうと警官であろうと、私が煉功している姿を見ても見ぬふりをして、踵(きびす)を返して去っていきました。

 刑務所では、私はただ、真相を伝え煉功する環境を造りたいという願望を持っただけで、それ以外はすべて師父が行ってくださったのです。最も暗黒で、最も邪悪な刑務所の中で、もし師父の広大な佛恩がなければ、どうしてこのような夢のような環境が作れたでしょうか? 私は師父が説かれた「わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」[1]をまた新たに身に染みて感じました。このお言葉はさらに深い法理だと感じました。人の言葉を使い尽くしても、師父に対する感謝の思いを言葉にすることはできません。ただただ、師父に心からお礼を申し上げることしかできません! 師父、ありがとうございます!

 10年の冤罪の中で「自分の修煉状態が良い時は法に対する悟りが良い時で、人心が少ない時でした。自分の修煉状態が良くない時は、必ず大法に対する悟りが良くなく、法の要求に従い実行していないか、あるいは、自身に存在する人心と執着の原因が見つからず、その原因がよくわからない時だ」ということを心から体得しました。しかし、たとえどうであろうと、大法に対する信念は少しも変わりませんでした。大法に対する信念が変わらないだけではなく、ますます信じ、ますますはっきりと信じ、ますます金剛不動になっていきました。

 ここで明慧ネットのこの場を借りて尊い中国人に「六道輪廻を抜け出し、宇宙の末劫のこの時期に主体の生命を壊滅から助ける法は、天地開闢以来、各界の衆生の前に現れたことはないので、各界の衆生が大切にすべきものなのです」と一言申し上げます。私の個人修煉を通して「法輪功は国のため民のために百利があるので、大法に優しくすれば、自然災害と人為的な災禍に遭っても、苦難を幸運に変えることができるのです。法輪功の迫害に加担したことのある人達は、法輪功を迫害する江沢民の犯罪の鎖から速やかに抜け出し、あらゆる方法を尽くして罪滅ぼしをし、過ちを償わなければ、重い代価を支払わなければならず、さらに法輪功を傷つけて作った大罪を、生命が永遠に償還しなければならないのです。法輪功を迫害した江沢民の共犯者に決してなってはならず、妻子や両親、家族のためにも絶対に考えなければならず、あなたの前途あるこれからの運命を考えなければなりません。法輪大法に優しくし、法輪大法を信仰する人に優しくすれば、神は必ず平安と幸せをあなたにもたらし、素晴らしい未来があるはずだ」ということを、私はこの身をもって実証します!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ボストン法会での説法」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「震懾」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」
 [5] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「済世」

 (明慧ネット第13回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/7/337145.html)
 
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