自分を良く修める過程で 夫も変わった
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年8月17日】修煉を始めて以来、私はできる限り師父の要求に従い、トラブルに遭えば自分を修め、自分の間違いを探してきました。にもかかわらず、時にはちょっとした事で夫にこう言われます。「あなたはまだ修煉者なのか!」。そのため、私は心のアンバランスを覚え、悔しく感じ、悩んでいました。時には、夫は明らかに私を傷つける話を言っているのに、いかにも自分だけが正しく、自分だけが理に適っているように思っているようでした。私は夫がますます話の通じない偏屈者に変わったと思いました。学法の時、私は夫も時間を惜しんで多く学法してほしいと思い、彼に催促しますが、彼は「私のことはほっといてくれ!」と言い、聞こうとしませんでした。とにかく、私からみれば、彼はますます修煉者らしくなくなりました。

 どうすればこの現状を変えることができるでしょうか? 私は以下の師父のお教え、「多く学法すること。正法修煉と個人修煉は互いに関連している。平素、どんなに小さなことにおいても自分を厳しく律して初めて師父に申し訳が立つ」ということしか覚えていません。

 姑が私の家に来てから、私はベストを尽くして彼女の世話をし、毎日尿を漏らしたズボンを取り換えてあげてから洗い、1日に何回も洗うことさえありました。きちんと食事を取ってもらうために、私はスプーンで彼女に食べさせました。入院中の舅が認知症を患っているため、私は便で汚れたズボンを洗い、清潔な服に着替えさせてあげると、舅が喜びました。退院後、舅が私にお金を渡そうとしましたが、私は受け取らず、「要りません。すまないという気持ちは持つ必要はありませんよ」と言いました。帰宅後、私は舅の目の前で、そのお金を彼の服のポケットに入れてから縫いをかけました。そうすれば無くすことはないと教えると、舅は安心した笑顔を見せてくれました。実は、私も嬉しかったのです。子供による面倒見をもっとも必要とする親世帯の彼が、確かに子供からの関心を受けているので、心の中で安堵感を覚えました。大法を修煉していなければ、私はここまで考えないかもしれません。時には、彼が床に失禁したとき、私はこのように慰めてあげました。「大丈夫よ。病気だからね。掃除すればきれいになりますよ」。そして、私は彼に「毎日時間があれば、『法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!』と念じ、誠心誠意に念じて下さいね」と教えています。以前、医者に最期の準備をしてほしいと言われましたが、その年、舅の病気は奇跡的に治りました。

 一緒に学法することを夫から拒まれるとき、私は愚痴を言わなくなり、ひたすら自分の良く出来ていない部分を探し、彼と一緒に精進できればと思うようになりました! 彼に非難される時、私は自分の問題点を考えるようになりました。

 私が絶えず内に向けて探す過程で、いつの間にか、夫も積極的に学法するようになり、こっそりと出かけて行き、マージャン遊びをしなくなりました。そして、「あなたはまだ修煉者なのか!」などというセリフも聞こえなくなりました。ある日、同窓会から帰って来た夫はこう言いました。「どの同級生も、自分は車を何台持っているとか、会社を設立したとかの自慢話しかしなかったので、私はこう言ってやった。私には優しくて、理解してくれる良い嫁がいて、とても幸せ者だ」と言ったというのです。この一言の言葉は非常に淡白でしたが、私にはこれが彼の精一杯のわたしへの感謝の気持ちの表れであると感じ、嬉しく思いました。

 大法の中で着実に自分を修めて初めて周囲の環境が変わり、法を実証することができます。普段、私と親しくしていた同修の琴さんは、恐れる心があるため、私たちのあるプロジェクトに加わりませんでした。プロジェクトに参加している同修はいつも一緒に学法し、交流を行なうため、一丸となりました。しかし、琴さんは毎回のプロジェクトの交流の際、正念で私たちを加持するのではなく、いつもそばで正念の足りない言葉を口にして、全体の交流に水を差し、全体からどんどん遠ざかっていくような感じでした。同修たちは彼女のために焦り、彼女が再び全体に加わることを願っていました。ある同修は涙を流しながらこう言いました。「私たちは必ず彼女の手をしっかりと掴み、彼女を全体に戻らせ、旧勢力が彼女に押し付けたマイナスの考えを解体させましょう。この世に下りてくる前、私たちは法を正す師に手伝い、衆生を救う誓いを一緒に立てましたよ」。琴さんも同修たちの慈悲な呼びかけを感じ取りました! こうして、お互いの隔たりは同修全体の慈悲の中で溶けました。

 この過程で、私は琴さんに対してずっと歯がゆい気持ちを抱き、彼女の法に則っていない修煉状態にばかり、目がいっていました。特に、同修たちが正念による加持を必要とするとき、琴さんはずっとマイナスな発言ばかりしていました。そのような彼女を見て、私はとても悲しくて焦りを覚え、怨んでもいました。師父はこのようにおっしゃっています。「私はいつも言っていますが、心から相手を思い、私心が全くなければ、あなたの言葉は相手を感涙させます。試してみてはどうですか?」[1] 私はやり遂げましたか? 彼女は私から慈悲を感じましたか? 原因は私にあると分かりました。その後、同修との交流が続かなくなる場面に遭遇する時、私は同修の問題を見ず、同修を非難せず、まず正念で同修を加持し、「同修は必ず良くなる。決して旧勢力がもたらす同修間の隔たりを認めず、同修への妨害も認めない!」と考えるようにしています。どうしても法に則っていない同修がいれば、私たちはいかにその同修を助け、いかに加持してあげるかを考えるべきです。そうして初めて、私たちは難攻不落の全体を形成することができます!

 一緒に手をつないで誓約を果たし、衆生を救う先史の願いを叶えましょう!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『世界法輪大法デーの説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/1/30/359904.html)
 
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