私が変わり、夫も変わった
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年6月29日】法輪大法を修煉する前の私は、とても気が強く、どんなことにも負けない性格で、誰かに逆らわれたら命をかけて戦うぐらい、外でも家でもしょっちゅうケンカをしていました。実家は豊かだったので、夫の一家を見下して、不満で離婚ばかりを考え、一日も楽しく過ごせませんでした。

 1998年のある日、ある人がうちに来て「法輪大法はとても素晴らしい! 真・善・忍に従って修煉し、人を叩くことも罵ることもなく、修煉の末に大仏になれる!」という話を聞いた夫はうれしくて、我が家が救われると言わんばかりに、私に「お前習ってこい、行って、行って」と言いながら私を外へ押し出し、戸締りまでしてしまいました。それなら見るだけ見てみようと思い、煉功に行き、先に学法して、そのあとで煉功しました。学法のとき同修が『轉法輪』を読む時、私は聞けば聞くほど気持ちが明るく、心も広くなり、長年の重圧を下したような気分になり、大法に溶け込み、これこそ私の欲しかったものだと実感しました。

 1999年に江沢民は法輪功への迫害を発動しました。7月21日の夜、同修から連行された輔導員がいたと聞き、私は「ここで待つわけにはいかない。皆さん、省の政府機関に行って無実を訴えましょう!」と言いました。一晩中数キロメートル歩いてタクシーを拾いましたが、あまり走らないうちに警察に止められました。それを知った夫は駆けつけてきて、車のドアを開けた瞬間蹴るなどして、家に帰った後でも暴力を振るい部屋にも入れないので、そのまま同修の家に泊まりました。まだ明けないうちにわたしは同修と一緒に裏道から役所に行きましたが、その日の夜にまた地元へ連行されました。家に戻った私を待っていたのはまた夫の暴力でした。けれども私は師父の「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」[1]の教えを覚えていました。「どんなことに遭遇しても心にかけず、常人の中のどんなことも全然気にとめず、常ににこにこしています。どんなに大きな損をしてもにこにこして平然と笑っています」[2] どんなに夫に叩かれても罵られても、大法を修煉する心はどんな力でも動じませんでした。

 その年の10月7日、私はまたも列車に乗って北京へ行きましたが、18日に天安門広場で連行されて、地元に戻され不当に監禁されました。それ以来我が家は度々派出所の警官に嫌がらせをされ、来るたびに夫が暴力を振るい、人の前で殴られたことすらありました。大法の真相資料を配った最初の時、夫が恐れて、県城から持ってきた資料を自宅に置くことができず、夜に配りに出かけるにしても夫に教えませんでした。あるとき私はだれだれの家に行ってくると言って出かけましたが、夫は向こうに確認の電話をかけ、私がいなかったのを知り、帰ってきた私に狂ったように怒って、「また配りに行くのか?」と叫びましたが、私は「行きます! このことは誰も阻むことはできないです! 私がやっていることは最も正しいことです! 私がやらないと誰がやりますか?」というと、夫は何も言うことができなくなりました。私は師父の「忍とは意気地がないことではなく、ましてや理不尽な待遇を耐え忍ぶことでもありません」のお言葉を思い出しました。それ以降大法のことに夫は邪魔しなくなり、かえっていつも気を付けてと言ってくれました。

 ある年、現地の多数の同修が不当に連行され、中には私と常に連絡をとっている人がいるのを知り、夫は素早く大法と関係あるものを全部安全なところへ移動してくれ、帰宅した私を何も叱りませんでした。

 利益の前で、平然と捨てる

 2004年、売店の経営をやめるため、家屋も一緒に売ることになりました。隣近所の人は我が家の西側は自分のところだと主張し、売る契約を書くなら、5000元を渡せと言いました。師父は「自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」[2] とおっしゃいましたので、自分のものではないなら相手にあげようと思いました。

 ある日隣近所の嫁さんがうちに来てお金を出せとケンカを売ってきました。慌てた夫は私に戦えと促しましたが、私の頭には師父の次の法が浮かびました。「常人と同じように争ったり闘ったりすると、あなたはただの常人になります。もし相手よりも激しく争ったり闘ったりすれば、あなたは相手の常人にも及びません」[2] 私は修煉者なので、彼女とケンカをしてはいけないと思い、「お姉さん、帰りなさい、お金は必ず渡しますので、契約書を書くとき来てください」と言ったらようやく帰りました。夫はそう言った私を怒って、スコップで私を叩こうとしたので、家に遊びに来た人も怖くて逃げました。私には師父がおられる! あなたは私を動かせないのだ! 当時の私はこの一念でそこに立ったままびくともしませんでした。夫はスコップを下して、「なんでこんなに弱くなったの?」と聞いたので、私は「前の私に戻った方がいいですか?」と言うと、すぐ無言になりました。さらに私は「師父がわれわれに、『トラブルに直面した時、一歩引き下がれば世界が広々と開けると言っています』[2] と教えてくださいました。もし私たちと相手が双方ともこのお金のために譲らなかったら、どんな結果が待っているか分からないでしょう? お金で平和を買ったと思えばいいのです!」と言いました。夫は理にかなっていると思い何も言わなくなりました。もちろん常人にとってこれは難しいことです。5000元は当時の物価でとても大きな金額で、我が家の建物が4万2000元にしか売れなかった中で、5000元も隣近所にあげることは、修煉しない人にとって納得しがたいことでした。

 師父は「異なる次元の修煉者に対して、法には異なる次元の要求があります。捨てるということは常人の心に執着しないことの体現です。もし、本当に平然として捨てることができ、心が動じない人であれば、実はすでにその次元にいるのです」[4] とおっしゃいました。私が平然としていられるのは、すべて師父のご加持のおかげと大法の指導があるからです。

 夫の浮気の後

 私が家にいない間に、近所の女の人と夫が不倫をしてしまいました。ある日私は夫のポケットから一通の手紙を見つけて見ると、ラブレターではありませんか? 夫に問い詰めると、私が怒りもせず、平然と落ち着いた態度に、逆に夫が驚いてどう答えればいいか分からなくて、ただ呆然とそこに立っていました。私は「怖がらなくていい。私はもう以前の妻ではない。私は大法弟子です。大法は私に人間としてあるべき理を教え、師父は『何をしても人のことをまず考えるように』とおっしゃいました。あの女の人を呼んできて、3人でよく話しましょう!」と言いました。

 夫は女の人に電話をかけました。私は夫に「私にうんざりしているなら離婚しても構いません。あなたたちの希望を叶えてあげます!」というと、夫はどうしても離婚しようとしませんでした。一方女の人は私の態度に感動して泣きながら家に帰って大声で泣き崩れました。私は彼女の泣き声で人にこのことがばれたら、彼女の名誉に傷がつくと思い、向こうの家に行って、「もう泣かないで、人に知られたらよくないから。わたしは修煉者なので、恨まないから、何もなかったにしよう。法輪大法は素晴らしい、これを覚えてね」というと、泣くのをやめて、何度も何度もうなづいて、最後は彼女の隣の女性をを我が家に連れてきて、3人で姉妹になりましょうと言いました。

 一件落着のようでしたが、当時の私の心は、あまりのショックでなかなか心中穏やかにならなず、「しかし、往々にしてトラブルが発生する時、それが人の心の奥深いところを刺すような激しいものでないと効果が上がらず、向上につながりません。というわけで、彼はやはり気になってたまらず、どうしても後ろを振り向いて」[2] という師父のお教えを思い出しました。「それを乗り越えようとする気がなければ話は別ですが、乗り越えようと思えば、乗り越えることができるのです」[2] 私は師父の写真の前で、「師父、私は絶対に乗り越えます! 一度だけ泣かせてください。もう二度と泣きません!」とお願いし、大声で泣いてしまいました。

 それ以降何事もなく平穏になりました。師父が私を助けて下さり、乗り越えることができました。

 夫の変化

 このことから夫は大法に対して肯定面から認識するようになりました。2002年正月の3日目、私は公安局に行くように騙され、不当に拘置場に入れられました。4日目夫は町長の家を訪れて、「家内を返さないと、あなたたちの正月も穏やかになれない!」というと、その後町長自ら私を解放しましたが、1000元を保証金として取られました(1年以内に陣情に行かなければ返済するという条件)。

 翌年610弁公室に取られた保証金を受け取りに行ったら、「あなたたち何をしに来たか?」と向こうの人に聞かれたので、「去年の1000元の保証金を受け取りに来ました!」と答えると、「ここはどんなところだと分かっているの? 610弁公室だ」というので、夫は「どんなところでも、1年たったので返すべきだ!」というと、向こうは「返さない!」と言い、夫は「返さなければ、彼女を連れて北京に行って陳情する!」と言い、私たちが出てきたら、向こうの人はすぐ町長に電話してお金を返すようにと指示しました。町長は私たちに「静かにしなさい、俺がお金をもらってお前たちに返す」と言い、間もなく返済してくれました。

 夫の身に現れた大法の奇跡

 2000年すぎの頃のでき事でした。夫は親族のことで人とケンカになり、互いに譲らないうちに相手のナイフを素手で取ろうとしたら、手のひらが深く切られ指の筋が切断され、白い骨まで見えてしまいました。病院に行ったら皮膚の移植が必要で、そうでなければ新しい皮膚が出来ないと身体障害者になりかねないと医者に言われました。筋が損傷したため握ることも伸ばすこともできず、掌は曲がったまま動きません。私は夫に師父にお願いして、「法輪大法は素晴らしい、 真・善・忍は素晴らしい」と念じるように教えました。

 その後拘置場に入った夫は毎日のように「法輪大法は素晴らしい、 真・善・忍は素晴らしい」と唱え、ほかの人にも法輪功の真相を伝えました。ある日拘置場で「法輪大法は素晴らしい」と唱えている最中にパキっと音がして、なんと曲がっていた手のひらが伸ばせるようになりました! 夫が同室の人たちに見せながら、「ほら、私の手が伸ばせるようになった。手が治った、大法の師父が私を助けてくださった! 拘置場にいた人々は皆大法の奇跡を目にして、夫の手はこのようにして完全に回復しました。これは医学上でも不可解なもので、さらに現代医学上でも達することができない奇跡でした。それ以降どこに行っても彼は正々堂々と法を実証することができました。村で選挙が行われたとき、町の派出所の人たちがいる前で夫は直接書記に、「あなたたち汚職官僚は誰一人法輪功の学習者より良い人がいない!」と言いながら、「法輪大法は素晴らしい!」と叫びました。私は夫に修煉を勧めましたが、夫は「俺は修煉しないが、将来お前の世界に行って衆生になるのだ」と言いました。

 2016年、夫はヘルニアを患い、私と一緒に煉功しましょうと言うと、「いいよ」と答えてくれました。煉功してからの夫は子供のように嬉しそうに、「俺は何も怖いものがなくなった。大法がとてもいいと分かったし、法輪大法の功も煉った」と言いました。夫の頸椎も治って、娘が病院へ連れて検診を受けたところ、医者に肺結核を患ったことがあると言われましたが、本人はぜんぜん自覚症状がありませんでした。これも大法から受けた恩恵であり、また奇跡でもありました。

 20年間修煉してきた過程を思い出すたびに感無量です。大法が私の心を入れ替え、生まれ変わらせ、昔の自分の影もなくなり、たまには私自身でもびっくりするほど、どうして怒らなくなったか? どうして恨まなくなったのか? と不思議に思います。姑も私のところで穏やかな晩年を過ごし、臨終には法も聞き、煉功もしました。私が修煉する前、義姉は私の前でおどおどしていましたが、今私の家に来たらまるで自分の家に帰ったみたいにしています。そんな義姉に大法が素晴らしいかと聞いたら、彼女は心から「素晴らしい!」と答えました。親戚や友人たちも「大法は本当に素晴らしい! あなたをここまで変えてくれた!」と称賛が絶えません。

 今、私は家庭が幸福で円満で、夫婦もお互い尊敬しあっています。本当に師父がおっしゃった通り「佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる」[2] なのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『シドニー法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨(二)』「忍の限界」
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「漏れるところなし」
 [5] 李洪志师父の著作:『精進要旨』「佛性と魔性」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/6/21/363684.html)
 
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