隣人のおじさん 「村にはとても良い人がいる」
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文/新蓮

 【明慧日本2018年4月6日】40歳を過ぎた農婦である私は法輪功を20年修煉してきました。大法を学ぶ前の私は腰椎炎、胸椎炎、頚椎炎、慢性胃腸炎、神経性頭痛、虫垂炎、胆嚢炎、不妊症、ウィルス性脳膜炎、膵炎などの多くの病を患っていました。そして、雨や曇りの日には膝が必ず痛くなり、神経が常に張っていて物事に怯え、葬儀に出くわしたら帰宅後必ず昏々と眠ります。1997年、法輪大法が村に伝えられて、私は人生の春を迎えました。

 一、大法を修煉して健康を得た

 最初の頃、何人もが私に大法の良さを教え、功法も演じてくれました。しかし、無神論の影響で私は学びませんでした。その後、病に苦しむ私は姑の再三の説得でやっと煉功点に行ってみようと考えました。煉功点を訪ねた日の夜、ちょうど師父の功法を教えるビデオが流されていて、私は真剣に見ているうちに、いつか動作を真似始めました。師父が説かれる「真・善・忍」の三文字を耳にしたとき、私は「師父の説法はなんと素晴らしい!」と感じて、興奮する気持ちを抑えきれませんでした。家に帰る途中、他の人より早く進んでいた私は、「あなたたちはどうしてこんなに遅いのですか?」と聞きました。彼らは「あなたが速すぎるのですよ」と言いました。私はやっと身体が軽やかになったことに気づきました。

 学法や煉功を続けるうちに、しばし風邪や下痢の症状が現れましたが、いつの間にか全部自然に治まりました。私は自分がほんの僅かな苦痛に耐えただけで、師父が私の病を根源から取り除いて下さったと分かりました。

 20年間修煉してきて、私は一度も薬を飲んだことがなく、治療を受けたこともなく、ずっと健康でした。私には17歳の娘がいます。娘が生まれたばかりの時、家族が知らない中で医者は娘に予防注射をしたことがあります。それを除けば、娘も予防注射を受けたことがなく、薬を飲んだこともありませんでした。後に、学校から予防注射の手帳を求められたとき、私はそれが何なのかも分かりませんでした。健康を維持するために、私たちは1円もかけませんでした。 

 二、大法を修煉してから家庭が睦まじくなった

 夫の両親は兄弟2人の結婚のために一軒の新しい家を建てました。結婚当時、私は実家に急かされて、その新しい家に入居しました。数年後、夫の弟も結婚する歳になって新しい家が必要になりました。大法を学んでいる私は「他人のことを優先すべき」という師父の教えに従って弟の嫁さんを訪ね、いま住んでいる新しい家を譲りたいと伝えました。 実家と相談してきた彼女は自分たちが古い家に住むと言いました。一般家庭にとっては解決しにくい問題ですが、我が家では穏やかに解決できました。舅はいつも私が人情と道理を弁えることができると言っていますが、実はすべては大法のお陰です。大法を学んでから、私は他人のために考えられるようになったのです。

 舅が人に会う度に私を褒める言葉を口にするもう一つの出来事がありました。十数年前、舅は遠いところで働いていて、毎日車での送迎が必要でした。冬は日暮れがとても早く、ある日、舅は日が暮れてから家に向かい、あと数キロで家に着くところで車から降ろされました。車から降りるや否や彼は方向感覚を失い、工具を背負って反対方向に向かって歩き出しました。随分歩いてから疲れを感じた彼は通りかかった人に確かめたところ、やっと方向が違うと気付き、バックしてきました。

 当時はまだ携帯電話がなく、家に連絡する手段はありませんでした。7時過ぎに舅がまだ帰ってきていないと姑から聞いて、私は焦りました。弟は家におらず、夫は酒飲みでいつも留守でした。私は懐中電灯を持って、オートバイに乗って舅を迎えに出かけました。

 照明がなく、人気もない真っ暗な田舎道を走る中で、私は寒風を受けながら緊張と怖さを感じました。幸い、そう長く走らないうちに、私は路肩に座って休んでいる舅を見つけました。オートバイの前照灯が壊れているため、舅はすぐに家族が自分を迎えに来たと分かりました。しかし、それが息子の嫁だとは知りませんでした。疲れ果てた舅は私を見て、とても感謝していました。その後、私は考えました。「普段、夜に外出する勇気がない私が、どうしてあの状況で少しも躊躇せずに出かけたのだろうか? 大法が私を変えたのだ」。師父は私たちに「無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」[1]と教えられています。大法が私を優しい人に変えました。

 三、大法を修煉して結婚生活が安定した

 私は夫と同じ中学校に通っていましたが、同じクラスではなかったため、友人の紹介で彼と知り合いました。半身不随の母が私を遠くまで嫁がせたくないという理由から、私は同郷の彼と結婚することにしました。結婚前、夫はタバコを吸わず、お酒も飲まず、農作業を1人で1晩でやり遂げると言いました。しかし、結婚してから分かったのですが、彼はタバコやお酒、遊びを好み、毎日ぶらぶらしてまともなことをせず、いつも酔っ払ってどんな仕事も長続きせず、生活が非常に苦しかったのです。いくら言っても、彼は聞く耳を持ちませんでした。 軽く言えば無視されますが、強く言えば喧嘩を売ってきます。私は日に日に怒りを覚えて涙が絶えず、一身に病気を招いてしまいました。病気に苦しめられて結婚生活も不幸なため、私は日々浮かない顔をして、天を怨み他人を恨んでいました。負債が多すぎるので、私たちは離婚をしようとしましたが、何回行っても手続きがうまくいかず、辛い結婚生活を続けるしかありませんでした。

 学法を続けるうちに、私は離婚を断念し、一家の生活を維持するために小さな商売を始めて、彼に衣服を買ってあげたり、家族同士の付き合いにも気を配るようにしました。

 「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[2]と師父はおっしゃっています。私は自分を変えることに努め、彼を見下す心や反抗心、彼に対して恨みや不満を抱いていることに気づきました。大法に照らして、私は自分の不足を取り除き、穏やかな心情を保つように努力しました。

 師父はこのようにおっしゃっています。「したがって、今後煉功する際、さまざまな苦難に遭うでしょう。それらの苦難がなければ、修煉がどうやってできるでしょうか? 誰もが和気藹々としており、利益についての衝突や心が乱されることもなく、ただそこに坐っているだけで、心性が高まることになるでしょうか? そんなことはまずありえません。人間は実践の中で本当に自分を錬磨しないかぎり、向上することはありえません」[2]

 また、師父は「さて、どうしてこういうことにぶつかるのでしょうか? それらはみな自分自身の業力によるものです。われわれはすでに数え切れないほど多くの業力を消してあげました。残ったわずかなものは、あなたの心性を高め、心を錬磨し、さまざまな執着心を取り除くために、『難』として各次元に割り当てました。それらの難はもとよりあなた自身が持っているもので、われわれはあなたの心性を高めるためにそれらを利用するのですが、いずれも乗り越えられるようにしてあります」[2]ともおっしゃっています。

 私は自分を真の修煉者と見なし、すべての魔難を執着心を取り除く良いチャンスとして捉え、自分の魔性を取り除き、さらに優しい人になるように努めました。「歴史上の生々世々の輪廻の中で、私はいつか彼から借りがあったのかもしれない。借りがあるなら、気持ちよく返そう。偶然なことはない」と思いました。

 私は伝統を重んじて男女間の軽々しい談笑をせず、夫に対しても高い要求を持っておらず、普通に暮らしていけばいいと思っていますが、それでも摩擦は常にありました。一時、夫はある女性を好きになりました。彼女はきれいで口がうまく、着飾ってホテルでの美食を好むタイプです。日中、夫は彼女の家にいて滅多に帰って来ず、帰ってきたら必ず罵声をあげたり、物を投げたりして、私に手をあげることもありました。彼に言動を慎むように言ったら、逆切れされてしまいました。

 夫は2回ほど銀行からお金を借りています。彼はコネを使って裏取引をしたり、高官たちと付き合ってことの処理を頼んだり、彼らを誘ってよくホテルやカラオケに行ったりしていましたが、何一つ成功せずお金だけを使い果たしてしまいました。甘い汁を吸えなくなった高官たちも彼を見捨てました。彼は働いていないため、毎月の利息さえも返すことができず、利息を返すためにさらに借金しに回っていました。私は生活費と子供の学費の捻出に悩み、一家の生活が困窮していました。

 貧しい夫婦には悲しみが付き纏います。生活の中で私たちはよく衝突します。時々我慢できますが、我慢できずに悔しい思いだけが募り、正統な観念がなく無責任な彼は宇宙人のようだと思ったこともありました。どうしても我慢しきれない時は彼と喧嘩してしまいます。その後、「常人とトラブルになれば責任は百パーセント大法弟子にある」という師父が説かれた法理を思い出して、やっと自分の間違いに気づきました。「常人の理で量れば、私は間違っていない。しかし、大法の理に照らせば、私は基準に達しておらず、何かにまだ執着しているはずだ。いったい何だろうか? 男女の問題において、私に嫉妬心があるのだろうか? 寵愛を受けたく、他人に優しく包んでほしい心があるのだろうか? 夫婦の情を重くみているのではないか? 経済面において、金銭的利益を重んじて常人の良い生活に憧れているのではないか?」。夫との摩擦の中で、父は「耐え難きを耐え抜いていかなければ、成仏できない」と言ってくれました。父や兄、姉、舅、姑、そして夫の弟も彼にまともな生活を送るように言い聞かせてきましたが、彼は一向に改めませんでした。   

 その後、姉は私に別居を提案し、私が住む家を探し回ってくれました。このことを耳にした姑は悲しくて泣き出しました。

 師父は私たちに他人のために考えるようにと教えられています。「離婚すれば、舅と姑はどんなに悲しむだろう。子供も母子家庭の子になってきっと性格が歪む。夫は人々の議論の的になってきっとまずい立場に立たされる。それに、今の彼は食べていくこともできない。私が独りになって楽になる代わりに、多くの人が苦しむ」。こう思った私は離婚を諦めました。

 小さな商売を営んでいる私は多く稼ぐことはできませんが、時間的余裕が結構あって、『轉法輪』を読んだり、煉功したりすることに多くの時間を割きました。商売しながら、私は人々に大法の素晴らしさと福音を伝えました。大法の良さを信じて重大な交通事故を避けた人もいれば、健康を取り戻した人もいて、大法の書籍を読み、人間として生きる道理が分かって、他人を傷つけなくなった人もいました。私は自分の人生が充実していると実感しました。

 ある日、街を歩いていて、隣のおじさんが私に「村にとても良い人がいます」と言いました。私は「誰ですか?」と聞きました。おじさんは「家内と私はいつもあなたのことを言っています。村にとても良い人がいることを誰もが知っていますよ!」と言いました。

 法輪大法のお陰で私は人生の歩むべき方向が分かり、良い人として努めることの大事さと努め方が分かりました!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/3/18/363025.html)
 
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