非凡な才能の女性たちが九死に一生を得た物語(一)
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年9月28日】現在、科学と医術が発達し、療養保険の条件が恵まれており、運動療法が多種多様になりましたが、多くの疾病の前では相変わらずどうしようもなく、多くの人が依然として病魔にとりつかれ、痛ましい生活を送っています。特に多くの人が貧しい暮らしのために治療を受けられず、ただ死を待つことだけしかできません。

 また「命は各人が授かったもので、現実社会では、常人も長命で百歳までも生きるもので、九死に一生を得ることもある」と言われ、有名な山や川のほとりで、修煉者も数百歳、さらには数千歳まで生きます。これは確かなことです。しかし、なにしろこれは数少ない事例で、どれほどのものでもありません。

 法輪大法は真の性命双修の佛家修煉大法であり、宇宙の特性「真・善・忍」の法理によって指導する、緩やかな五式の功法で、修煉者の心身を健康にし、道徳を回復させ、知恵を開かせ、人生と宇宙の神秘をはっきり知る自在の境地に達するのです。

 1992年から1999年まで、法輪大法(法輪功とも呼ばれる)は神州の大地の至るところに広まり、真・善・忍という法理で1億人の修煉者の身心を浄化し、道徳を昇華させました。1995年3月、李洪志師父は招きに応じてフランスで功法を伝授し、法輪大法の海外での流布を始められました。現在、法輪大法はすでに100以上の国と地域に広く伝わっています。

 法輪功は健康保持の面において常に奇跡的な効果があり、だいぶ以前の1998年、中国医学界はこの事において5回の医学調査を行い、その後、北米及び台湾の医療関係者もそれに関わる健康調査を行いました。結果が明らかになり、法輪功の病気治療と健康保持の総合有効率は98%にまで達しました。

 明慧ネットなどのメディアの報道の中で、無数の事例による実証があります。法輪大法は人々にとって病気治療と健康保持に不思議な効果があるだけでなく、常人にとっても不思議で計り知れない出来事を目にし、国内外の多くの修煉者のグループの中では「それはどこにでもあることだ」と言えます。その中で青年の卒業生と大学院生が根深い病気や不治の病を患いましたが、卒業生と大学院生は様々な縁で、法輪大法(法輪功とも呼ばれる)に際遇して修煉した後、九死に一生を得て健康を取り戻しました。紙数に限りがありますので、ここではこの種の一部の典型的な物語だけを選修しました。

 1. 修士課程の卒業生・王暉蓮さんが九死に一生を得る

 王暉蓮さんは、もともと中国東北師範大学の環境科学部の修士大学院生で、卒業後、学校に残って教職に就いていました。1997年、当時の王暉蓮さんは20歳代で、まさに青春のまっただ中で活き活きとして進取(しんしゅ・みずから進んで物事に取り組むこと)の精神に富み、さらに大きな発展の機会を得ようと、中国科学院の博士課程を受ける準備をし、実現に向けてさらに大きな抱負を抱いていました。

 まさに王暉蓮さんが中国科学院の博士課程を受ける準備をしていた時、突然タチの悪い病気にかかりました。1年後、王暉蓮さんの病状は激化し悪くなりました。

 王暉蓮さんが病院に行って検査を受けると、医者は「あなたのこの病気はすでに重く、すぐに入院して治療しなければなりません!」と言いました。入院後、専門家の診察を経て、王暉蓮さんが「急性リウマチ熱」にかかっていると医者は確認しました。すぐに入院が必要で、さらにホルモン剤を服用して治療を行う必要がありました。ホルモン剤を服用した後、王暉蓮さんの症状は和らいだので、王毅さんは医者に「よくなるでしょうか?」と聞き、そして「ホルモン剤を服用しながら、北京へ行って博士課程の試験を受けられますか?」と医者に相談しました。医者は厳しい表情で王暉蓮さんの家族を呼び、家族に向かって「命は博士課程より重要です!」と言いました。

 実際、王暉蓮さんの病気はまったく良くなっておらず、それはホルモン剤の服用が作り出した虚像であり、悪夢であり、この悪夢はまだ始まったばかりに過ぎませんでした。ホルモン剤の服用を6個から2個に減らした時、王暉蓮さんは全身の関節がひどく痛みました。王暉蓮さんは自活できなくなり、食事には介護が必要で、自分の服も整理できず、ベッド上で寝返りも打てませんでした。最も困難だったのはトイレに行く時で、姉が抱きかかえて、王暉蓮さんを便座に座らせなければなりませんでした。この時の王暉蓮さんは、苦しさに涙が流れ出ました。

 その後、王暉蓮さんは服用するホルモン剤を6個から8個に増やし、ホルモン剤の副作用が王暉蓮さんの身体にはっきりと現れてきました。すぐに「ムーンフェイス(訳注:薬剤の副作用による症状で、満月のような丸い顔になる)」が現れ、さらに顔全体ににきびが出て、すでに顔がほとんどめちゃめちゃになっていました。

 それと同時に、王暉蓮さんは大量の漢方薬を服用しなければなりませんでした。この漢方薬は苦くはないのですが、ひどくいやな匂いがし、なぜなら薬の中にはムカデやサソリなどの類が入っていたからです。医者は「毒をもって毒を制さなければなりません」と言いました。

 約半年が経過し、王暉蓮さんは再びホルモン剤を8個から2個に減らしました。王暉蓮さんの病気は再び再発し、以前よりさらにひどくなりました。王暉蓮さんの体は徹底的に打ちのめされ、絶望の極みに達し、ほとんど失意のどん底に落ちてしまいました!

 絶望の時、王暉蓮さんは突然あることを思い出しました。それは王暉蓮さんが入院した当初、ある友人が法輪功を勧めたことで、当時、長春から伝え出された法輪功はすでに中国大陸を風靡(ふうび・ 風が草木をなびかせるように、多くの者をなびき従わせること)しており、学校にも煉功点があり、王暉蓮さんも知っていました。しかし、法輪功は両親ぐらいの年齢の人が行うものだ、と思っており、自分はまだまだ若いので必要ないと思っていました。また、高等教育を受けた知識人として、王暉蓮さんは治療方法に対して大きな自信を持っていました。しかし、1年間の治療を通して、王暉蓮さんの体はますます悪くなり、改めて考え直さなければなりませんでした。

 王暉蓮さんは友人がくれた『轉法輪』を手に取り、静かに読み続け、そして読み終わりました。王暉蓮さんは心の中に大きな衝撃を受け、「自分の世界観が徹底的に変わったと感じました。さらに全く新しい世界が目の前に開け、自分は救われたと感じました」。王暉蓮さんは「修煉者として、真・善・忍の基準に基づいて自分を律すれば、元の健康な体を取り戻せる」と信じました。

 実際、奇跡は本当に現れました。王暉蓮さんは大量のホルモン剤の服用をやめ、数日間の観察を経ても、医者が言ったほどのあの恐ろしい症状は現れませんでした! この1年余りの間、王暉蓮さんは最初に体が楽になったと感じ、体にのしかかっていた重くて大きな山が、突然消えてしまったかのようでした。だんだんと、王暉蓮さんの顔色は紅く明るくなり、にきびは収縮し始め、濃いとび色に変わりました。顏の腫れもなくなってきました。最も重要なことは、1年来ほとんどなかった食欲が戻り、体力と気力が迅速に回復した事でした。約数カ月間の時間を経て、王暉蓮さんは完全に回復しました。

 1998年9月、王暉蓮さんはキャンパスに戻り、本当に1人のハツラツとした若い教師になりました。この頃の王暉蓮さんは以前の気持ちとは全く異なり、キャンパスを眺め、周囲の人や物を眺め、キャンパスが美しいと感じ、すべての人がとても親切でした。

 1999年7月に迫害が始まり、学校の煉功点はなくなり、法輪功の修煉者たちは中国共産党の邪悪な迫害に遭い、王暉蓮さんも労働教養所に不当に1年8カ月拘禁されました。同修たちが奔走し救出活動を行ってくれたおかげで、期限を2カ月超過して拘禁され、7カ月の絶食後に自由を獲得しました。

 現在、王暉蓮さんは中国から逃げ出して米国に移り住み、すでに10年になり、海外メディアのインタビューを受け、当初の気持ちを振り返り「修煉した後、気持ちが変わったと感じました。自分の成功や失敗に注意を払ったり、気に留めることはなくなりました。ただ修煉の過程で真・善・忍の基準に基づいて、自分を律することが出来るようになりました」と語りました。

 王暉蓮さんは法輪功の創始者である李洪志師父に非常に感謝し「修煉中、無病で全身が軽いということを本当に体験し、医者が言った『リマチ性心臓病は一生伴う』ということは、まったく出現しませんでした。さらに20年前より気力が充実し、本当に大法の奇跡を体験しました! 第二の生命をくださった慈悲で偉大なる師父に感謝申し上げます!」と言いました。

 2. アメリカ留学した女性修士・戴宜葳さんの人生の福を得た大逆転

 戴宜蔚さんは、美しい台湾女性で、学業も仕事も順風満帆でした。

 高校と大学は台湾で最も良い学校で学び、台北市立第一女子高級中学(訳注:台北市にある高校)と台湾大学でした。海外留学も順風満帆で、米国コネチカット大学で生物工学の修士とコンピューター技術の修士の二つの学位を獲得しました。今まで自分から仕事を探したことはなく、仕事の方から戴宜蔚さんを探しに来ました。しかしこの順風満帆の人生は30歳のその年に、突然大逆転してしまいました。

 2005年、戴宜蔚さんが出勤して1カ月経ったある日、車で帰宅途中に、1台の車が後ろから猛烈な勢いで戴宜蔚さんの車にぶつかって来て、戴宜蔚さんの車はぶつけられて全壊し、戴宜蔚さんの体は靭帯の損傷を受けました。しかし外見からは、何の問題もないように見えました。1カ月間休んだ後、仕事に戻りました。

 数カ月が経ち、戴宜蔚さんの体はだんだんと悪くなり、全身の関節が痛み出し、最後には、歩くことすら非常に困難になりました。戴宜蔚さんは恐れ、台湾の漢方医に診てもらうために辞職を決意し、夫1人だけが米国に残りました。

 台湾に戻り、自分の治療のために有名な漢方の整骨科の医師を訪ねました。医師は「あなたのすべての関節がずれています」と戴宜蔚さんに伝えました。「そのずれはX線の誤差範囲内なので、よそではわからなかったのです。ここに来るのが遅すぎたので、治すのは難しいでしょう」

 数カ月の治療を経ても、戴宜蔚さんの病気は好転しませんでした。だんだんと、戴宜蔚さんは自分でドアを開けられなくなり、自分で服を着られなくなり、茶碗さえ持てなくなりました。そして「繊維筋痛症」という名前の後遺症を患い、すべての細胞が痛くてたまらず、注射によって麻痺させ痛みを止めていました。

 1年6カ月後、戴宜蔚さんは自分の病気を台湾で治すという考えを諦め、米国に戻りました。

 台湾を離れる前に、戴宜蔚さんは医者としての徳が高い漢方医師に会い、自分を診断してもらいました。医師は針をつぼに刺し、流れ出てきた血がすべて黒いのを見て「米国に帰っても、誰もあなたを救えないでしょうから、自分で自分を救いなさい。法輪功を修煉すれば、どんな病気でも修煉したら良くなります」と言いました。そして美しい法輪功の真相資料を戴宜蔚さんに渡しました。

 米国に戻ると、すべての関節がすぐにずれてしまいました。戴宜蔚さんは台湾に戻って、引き続き治療をしたいと母親に頼みました。母親は「戻って来なくていいわよ、これまでの治療でお金はもう全部使ってしまったわ」と言いました。

 戴宜蔚さんは3日間泣き続け、悲しみにくれた戴宜蔚さんは「こんなにも苦労して30年間学び、二つの修士を取ったのに、挙句(あげく)の果ては自分の食事代さえ稼げなくなってしまった。苦しみに耐えながら生きる以外、他のことは何もできず、なぜまだ生き続ける必要があるのか?」と思いました。

 心の中がきわめて苦しく、最後は家族のために決定し、どんなに苦しくても諦めるわけにはいきませんでした。しかし根治する方法を探すことを諦めるのか、それともどうすべきなのでしょうか? 借金で首が回らなくなっても、見つからないかもしれませんが、見つからなかったら後悔するでしょうか? 戴宜蔚さんは心の中で、なんとかしなければと必死になりました。

 この時、戴宜蔚さんは「法輪功を修煉してみよう」と思い立ち、明慧ネットから『轉法輪』をダウンロードし、1日かけて読み終わりました。戴宜蔚さんは興奮して「ついに見つけた! 私は修煉します! 私は修煉します!」と大きな声で叫びました。

 翌朝目覚めて、戴宜蔚さんは自分の指示を一向に聞かなかったこの手が、自由に動くようになっていることに気づきました。全身、どこも痛くないと感じました。一人で起床し、歩行し、階段を下りることができ、2年間くすぶっていたあの激しい痛みがすべてなくなりました。

 次の日の朝起きて、戴宜蔚さんは付近の法輪功煉功点に行き、みんなと一緒に神通加持法を煉功し、片足だけを組んだ座禅を3、40分行いましたが、関節が外れて脱臼しなかったばかりか、さらに気分がよくなりました。

 戴宜蔚さんは健康を回復し「これで確信できた、師父は私を弟子として認めてくださった」と心の中でワクワクしました。

 すでに障害者補助を申請していた自分は、全身どこもかしこも病気だらけでした。幸運にも法輪大法の修煉に入り、一夜にして全快し良くなったばかりでなく、事故の前より強く元気になりました。元々あった素晴らしい健康や事業、結婚、家庭が、もうすぐなくなりかける寸前の絶望した人生でした。もうこれからの人生がほとんど終わりかけていた自分が、第二の機会を与えられたのです。

 2008年5月12日、法輪功を修煉して8カ月目の戴宜蔚さんは初めて「世界法輪大法デー」を祝う活動に参加しました。戴宜蔚さんは「これは私たちが師父のお誕生日を祝い、師父に感謝を申し上げる1日です。師父のご恩の大きさには、永遠に報いることができません。私はただ大法を大切にし、精進して修煉して、師父のご恩に報いるだけです」

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/9/7/373442.html)
 
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