非凡な才能の女性たちが九死に一生を得た物語(二) 完
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年9月29日】

 3. その年の「キャンパスの花」「工場の花」と言われた私が 健康を守る「法の宝」を見つける

 秀荷さんは1977年、1年目の大学入試でずば抜けた成績で、行政機関のある街の大学に合格しました。在学期間中、学業成績が優秀であるだけでなく、歌や踊り、球技、陸上、スケート、水泳など何でもでき、「キャンパスの花」と呼ばれていました。

 卒業後、秀荷さんは全国でも有名な企業に配属され、若いエンジニアリングの職員になりました。

 仕事に参加して間もなく、秀荷さんと同僚が協力した科学研究プロジェクトは、国家の空白を補てんし、国家級の刊行物に数編の論文を発表し、国内の同業者に大きな影響を与えました。仕事の業績が突出しているために、秀荷さんの昇進、給料、住居などの待遇は破格に上がりました。前世期80年代、一般的に、特別に貢献したエンジニアリングの職員の給料だけが一級半に上がりましたが、他の授乳期の母親は半級の給料で給料は上がりませんでした。しかし秀荷さんは子供を産んだ後も出勤し、1日8回授乳室に駆け込んでは子供にミルクを飲ませることができた上に、一級半も給料が上がり、これは地元の者を驚かせました。

 夫も事業家だったので、秀荷さんは仕事をしながら家事もしなければならず、だんだんと体力が続かなくなり、30歳代で病気だらけの身体になりました。腎不全、むくみ、大腸炎、甲状腺肥大(甲状腺機能亢進症)、不眠症、抑鬱症などの多くの症状がでてきました。さらにその後、鼓膜の沈下が耳鳴りを引き起こし、秀荷さんは混乱して正常な生活と仕事ができなくなりました。手術を考えましたが、顔半分を切開しなければならず、相当に顏がめちゃめちゃになる上、手術費も高額でした。これはずっと高潔な「キャンパスの花」と「工場の花」であった秀荷さんにとって、この結末は死んだ方がましでした。秀荷さんは「私はオシャレと化粧が大好きで、ファッションリーダーと言われ、注目を浴びてきたわ。もし、このベビーフェイスに潰瘍ができたとしたら、どうやって生きていけばいいの!」とさえ思いました。

 秀荷さんがにっちもさっちもいかなくなっていた時、子供にも問題が起こり、本当に泣きっ面に蜂でした。子どもが風邪を引いて熱が出て、病院でいいかげんな薬を打たれたために、熱が引かずに高熱が続き、病院で検査すると「心臓が変形しており、状況は極めて深刻です」と言われました。そして行政機関のある街の児童病院で治療を受け、子供の命はやっと取り留めましたが、心筋が受けた病根が残り、そしてさらに、薬での治療ができませんでした。

 子供の面倒を見るために、秀荷さんは科学研究部門を離れなければなりませんでした。そして従業員の研修センターに配属されましたが、ここでは毎年夏休みと冬休みがありました。季節が移り変わり、子供を連れてどこにでも行き、治療と薬を求めましたが、どこでも「治せません」と言われました。夜が更けて人が寝静まった頃、秀荷さんは星空を仰ぎながら神様に「私のどこが間違っていたのでしょうか? 得てはいけないものを得、人を傷つけましたか? もしそうなら、やり直しますので、どうか子供の健康だけは戻してくださいますように」と心から願いました。

 もしかしたら、秀荷さんの心からの願いに神佛が感動されたのかもしれませんが、数日後、秀荷さんは1人の法輪功修煉者に会い、それから法輪大法の修煉に入りました。秀荷さんは3日間、煉功点に行っただけで、耳鳴りがなくなりました。いつの間にか、すべての病気がよくなり、秀荷さんには希望が見えてきました。すぐに子供を連れて煉功点へ行きました。わずか2回で師父は子供の体を調整してくださいました。そのすぐ後、子供が師父の済南での説法を聞くと、病気は不思議と良くなりました。小学校卒業の身体検査の時に、医者は「お子さんの心臓は生まれたばかりの赤ちゃんのように健康です」と言いました。

 秀荷さんはその時満面に涙を流し、師父の写真の前に跪いて声をたてないで泣きました。心の中で師父に「師父、私は師父にお会いしたことはございませんし、1銭もお支払しておりませんのに、子供の命を救っていただいたことは、私の一家の命を救っていただいたことと同じでございます」とお礼を申し上げました。そして、秀荷さんの子供は大学を卒業し、順調に公共機関に合格しました。

 秀荷さんは法輪大法を修煉した後、心身共に健康になり、どこでも人を思いやりました。秀荷さんは感慨深げに「もともと私は名利心が強く、毒舌で、人間関係が悪く、人を騙したりはしませんが、いつも人に騙されることを恐れていました。法輪大法を学んだ後、人を騙したり傷つけたり、さらには人に対して敵対的であると得を失い、得るべきではないものを得てしまいます。そしてさらに多くの徳を失ってしまい、徳がなくなればどんな福もなくなってしまう、ということがわかりました。ですから修煉してから、自分はだんだんと名利が薄くなり、譲り合いと寛容さを覚え、どんなことにおいても、自然のなりゆきにまかせるようになりました」。これらはすべて、法輪大法を修煉して学んだことです。

 法輪大法を修煉してしばらくしてから、秀荷さんの甲状腺肥大はなくなり、顔色もほんのり紅くツヤツヤとし、同僚たちは、秀荷さんは容姿だけでなく人柄までもずいぶん良くなった、と口々に言いました。

 1998年当地でインフルエンザが大流行した時、秀荷さんを除く職場の100人以上のほとんどすべての人が影響を受けました。そして、同じ事務所の人が「インフルエンザが最も流行した時、私たちの職場の数人が重病患者になり、あなたがいない時を見計らって、あなたのコップを使って薬を飲んだり、水を飲んだりして、あなたに移るかどうか見ていました。しかし結果は法輪功のすごさを証明しました。あなたの功力は強く、何一つ伝染せず、法輪功は本当に健康を守る『法の宝』です」と言いました。

 このことが職場でまたたく間に伝わり、多くの同僚が秀荷さんから法輪功の書籍を見せてもらい、法輪功を学び始めました。

 4. 中国系カナダ人・毛鳳英さんの辛酸と喜び

 毛鳳英さんは甘粛省看護学校の介護科を卒業し、かつては蘭州医学院附属病院の外科の看護師でした。

 1978年、毛鳳英さんは中学生の時に急性肝炎を患い、長期に治療しましたが、病状は一向にコントロールできませんでした。肝臓の病気はいつも毛鳳英さんを苦しめ、いつも疲れを感じ、吐き気がして体調がとてもすぐれませんでした。しかし、同年代の多くの女の子と同様に、年少時の鳳英さんは多くのバラ色の夢を持っており、未来の日々が頭の中に幻想となって満ち溢れていました。

 毛鳳英さんは看護学校を卒業した後、蘭州医学院附属病院の外科に配属されましたが、着任1日目の身体検査の時、病気が検出され病室に入りました。そして蘭州医学院と北京のいくつかの大病院の化学検査を経て、C型慢性活動性肝炎と診断されました。医学を学ぶ者はみな知っていますが、C型肝炎は世界で最も治すのが難しい肝炎で、それは肝硬変ではなくすぐに肝臓がんに発展するからです。

 長期の治療にもかかわらず、病状は一向にコントロールできませんでした。1995年までに脾腫大が検査で検出され、肝質が堅くなり、血球タンパクが明らかに逆さまになり、北京中医院は肝硬変と診断し、正常な生活と仕事に大きく影響すると診断しました。そのため、毛鳳英さんは何度も入院し、最も良い薬を使いましたが、病状をコントロールできず、ただしばらくの間、症状を緩和させるだけでした。

 徹底的に苦痛を取り除くために、民間の処方を採用したり、気功を練ったり、香をたいて佛を拝んだり、八卦で見てもらったり、漢方薬治療など様々な方法を試しました。そしてさらに、省の一級の有名な漢方医と全国で有名な肝臓病の専門家を訪ねました。1日3回の漢方と西洋薬は途切れたことがなく、治療のための負債は積りましたが、古い病気は一向によくなりませんでした。その上、重度の萎縮性胃炎と腎盂腎炎になり、腎盂に水が溜まり、低血圧などの多くの重い病気が重なりました。1996年の初めに仕方がなく、家で休んで治療することにしました。

 病気を治すために、鳳英さんは何度も北京へ行って治療しました。ある時、全国で有名な肝臓病の専門家の治療が受けられるということで、鳳英さんと全国各地の肝臓病患者がほとんど24時間並んで受付をしました。なぜならこの有名な専門家は1週間に20人しか予約を受け付けなかったからです。

 自分の体は自分が一番よく知っており、毛鳳英さんは自分の病気がよくなる希望がないことを知っていました。ある日、毛鳳英さんはかすかな望みを抱いて、主治医に「私はあと何カ月生きられるでしょうか? 知りたいのです。考える準備もありますし、準備しなければならないこともあります」と尋ねました。同情した主治医は親切に慰めるように「1、2年は問題ないでしょう」と言いました。

 毛鳳英さんの精神はその瞬間に崩壊しました。苦しみ、疲れながら生きていましたが、その絶望の中で自分がどれだけ人生に未練を持っているかに気づいたのです! どうして自分をこの世につれて来たのかとただただ神を恨み、なぜ自分はこんなにも早く逝かなければならないのか、と恨みました。心の苦痛は極限に達し、ずっと涙を流しました。性格もとても怒りっぽくなり、夫がそばにいないので苦悩を訴える所がなく、そばにいた80歳代の父親に向かって、発散するしかありませんでした。家ではわけもなく怒り、子供をしかりました。

 その時、毛鳳英さんの肝硬変はすでに末期になっており、ひどく痩せ、30歳代の毛鳳英さんはまるで60歳代に見え、顔中しわだらけで、顔面蒼白でした。肝臓の病気以外にも、腎盂腎炎や水腎症を患い、いつも血尿があり、さらに重度の萎縮性胃炎と低血圧、それに婦人病まで患っていました。腰が痛くてまっすぐ立てず、両足が腫れて2個のなまりがぶら下がっているかのようでした。体の免疫機能が下がり、娘も同じような情況でした。これでどうやって生きていけるでしょうか?

 毛鳳英さんが命の果てにたどり着こうとして、ひどく絶望していた時、偶然の機会が毛鳳英さんの命に転機をもたらしました。

 それは1996年7月22日のことで、毛鳳英さんが一生忘れられない日です。その日、毛鳳英さんは子供を連れて買い物に行き、知り合いのおばさんにばったり会いました。おばさんは法輪功を紹介してくれ、さらに、自分は法輪功を修煉して病気がすべてよくなったのだ、と聞かされました。おばさんは「科学院の広庭に煉功点があるから、明朝6時に煉功点に必ず来なさいよ」と言いました。

 試してみようと思い、翌朝6時前に子供を連れて煉功点へ行きました。輔導員が煉功動作を教えた後『轉法輪』(法輪功の主著)を貸してくれ、家に持って帰ってきちんと読むように言いました。家に帰って本を開き、最初から読み始め、深夜までずっと読みました。毛鳳英さんは今まで、このような本を読んだことがなく、人生の多くの問題が透徹(とうてつ・筋が通っていてすみずみまではっきりしていること)して述べられており、わからなかった道理がすべて説かれていました。なぜ病気になったのか、なぜ気功が病気を治せるのか、非常にはっきりと説かれていました。そこで翌日も功を学びに煉功点に行った後、家に帰って引き続き本を読みました。こうして2日間が過ぎる頃、毛鳳英さんは突然体の全ての症状が、あっという間にすべてなくなってしまったと感じました。まるで数十キロの重たい石が体から一気に降ろされたかのように、体が軽くなりました。たとえば、疲れて力が出なかったり、肝臓が激烈に痛かったり、夜中に寝汗をかいたり、吐き気がしたり、お腹が張ったり、寒気がしたり、足の腫れなど、これらの症状がいっぺんになくなりました。返って全身が発熱しているように感じ、体が軽く、風を切って歩き、階段を上るのも軽く、自転車に乗ってもまるで誰かに後ろから押されているようで、頑張ってこがなくても、とても速く自転車が進みました。

 毛鳳英さんの感動した心は言葉で表すことができず、18年間の苦しみがいっぺんになくなり、死ぬ瀬戸際でもがいていた人間が、一瞬にして健常な人になり、元気に復活しました。まるで夢のようで、毛鳳英さんは嬉しさのあまり、ずっと涙を流し続けました。

 毛鳳英さんは娘と一緒に法輪功を修煉し、つらい症状がすべて消え、まるで病気が嘘のようでした。本当に不思議でした! 1カ月後、毛鳳英さん親子は病院で人間ドックに入り、出た結果はもともとあった異常はすべて正常に戻り、毛鳳英さん親子の肝臓病は全快していました!

 1996年3月、毛鳳英さんの夫・葉同貴さんは学者を訪問するために米国へ行きました。しかし毛鳳英さんと娘は病状が重いために、一緒に行くことはできませんでした。葉同貴さんは米国に着き、自分は食費を切り詰めて節約しなければならないと思い、お金を節約して毛鳳英さん親子が少しでも良く暮らせるようにと思いました。米国に赴いて3カ月後のある日、葉同貴さんは突然、毛鳳英さんからの電話を受けました。毛鳳英さんは「私たち親子の病気は、すべてよくなりました」と夫に伝えました。葉同貴さんは自分の耳を疑い、聞き間違えだと思い「そんなことあるはずがないでしょう?」と言いました。毛鳳英さんはその時、嬉しさのあまり泣きながら「私たち親子は確かに良くなりました。なぜなら私たちは今、法輪功を修煉していて、病気は徹底的に無くなり良くなりました。私たちもアメリカに行けるようになりました」と伝えました。

 1996年10月、毛鳳英さんと娘は米国に着きました。毛鳳英さんと娘の健康が戻ったことを実証するために、葉同貴さんは人間ドッグを予約しました。検査の報告はすべて正常であることが示され、毛鳳英さんと娘は重病な病者から、何の問題もない健常者になりました。この結果を見て毛鳳英さん一家は涙を流して喜びました。

 夫の葉同貴さんは毛鳳英さん親子の健康回復の奇跡を見て、その後、自分も法輪功を修煉し始めました。米国に来て1年後、毛鳳英さんは妊娠し元気な男の子を生みました。その知らせが中国国内に伝わり、同僚と親戚たちはずっと信じられずにいました。なぜなら医学の角度から見て、肝硬変の患者が妊娠することは、とてもあり得ない話だったからです。しかし、生まれてきた息子はとても健康で活発で、聡明でかわいかったのです。

 その後、毛鳳英さん一家4人はカナダのトロントに定住しました。

 死の瀬戸際でもがき苦しんだ経験は、すでに毛鳳英さん親子から遠ざかりました。しかし、毛鳳英さんは自分の過去と同じように、今も病気で苦しんでいる中国の同胞たちを気にかけていました。もし中国共産党の嘘に騙されていなければ、同胞たちも法輪功を自由に思う存分修煉することができ、幸福と健康をすぐにも獲得できるでしょう!! それ故に毛鳳英さんはいつも観光地へ行き、自らの経験を以って観光旅行に来た中国の同胞たちに、熱心に法輪功の真相を伝えています。そして国内にも電話をかけ、毛鳳英さん一家とその友人の身の上に起きた、真実のこのすばらしい物語を中国の人々に伝え続けています。

 (完)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/9/7/373442.html)
 
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