知られざる中国刑務所内での狡猾な飢餓刑
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 【明慧日本2019年3月10日】歴史の中で、キリスト教は300年余りの間、攻撃され弾圧を受けてきた。それでも、自分達の信仰を堅持して、信念を守り続けたキリスト教徒達は様々な残酷な拷問と魔難に耐え忍んだ。暴君ネロはキリスト教徒たちを競技場に投げ込むように命令し、ローマの権勢のある貴族達は、この教徒たちが猛獣に引き裂かれて殺された凄まじい情景を余興として見たという。また、暴君ネロはキリスト教徒の身に干し草を縛り付け、火をはなすように命令した。逃げ惑う人を松明(たいまつ)の代わりにして庭園内に並べ、皇帝の園遊会を明るくする余興として使った。歴史学者の沙夫(Schaff)はこれについて、「殉教者の焼け焦げた遺体が、街頭のそこかしこにころがっていた」と記述した。

 歴史はまたもや繰り返された。1999年7.20、中国共産党のトップだった江沢民は、法輪功への弾圧を巻き起こし、20年にわたって今もなお迫害し続けている。古今東西の悪の集合体である中国共産党は、法輪功学習者に法輪功を強引に放棄させるために、歴史上のすべての邪悪な手段を駆使し、これまでにありとあらゆる方法を使って、学習者たちを残虐に迫害してきた。

 初期に公開された連行や残な弾圧について、全世界の法輪功学習者たちはこの残忍な迫害の真相を伝えた。迫害の悪行を暴き出している中で、この公開された残酷な迫害を地下深くに覆い隠した。世間の人々は多くの法輪功学習者たちが連行されていることを知っているものの、しかしながら「春風のように」と称している中国法曹界の関係者らは、法輪功学習者たちに対して歴史上かつてない暴行を加え続けた。その狡猾さや闇の深さ、人間性のなさ、邪悪な扱い方は、これまでの歴史上のいかなる弾圧と比べても、遥かに上回る残虐なものでしかなかった。

 キリスト教に対する迫害は公開されており、公にされて隠蔽(いんぺい・故意におおいかくすこと)されていなかった。ところが、中国共産党の法輪功に対する迫害は、公開される部分と闇に隠された秘密の部分の迫害手段を合わせもち、前代未聞の残虐さを秘め、極めて残忍なものである。しかし、これらの手段は、高い壁の外にいる世間の人々には何もわからず、全くその残虐さは見えないものである。その上、中国共産党はこれらの迫害を覆い隠し、恐喝する中で、世間の人々にさらに知られにくくなった。

 様々な「飢餓刑」は、その代表的なもので、拷問の一つの手段として使われている。

 20秒間で食事を取らせるやり方

 「秒食事」とは食事の時間を制限されることで、法輪功学習者たちを迫害するのによく使われる手段の一つである。

 成都市天府新区の法輪功学習者・程懐根さんは2015年5月13日、住宅区で「世界は真・善・忍が必要とする」の横断幕を掲げただけで不当に連行された。その後、程さんは懲役4年の実刑判決を下され、楽山嘉州刑務所に拘禁された。程さんは何度も「三書」を書くようにと強要されたが、書かなかったため、2017年1月下旬、さらに厳しく管理され、「秒食事」を強制された。

 「秒食事」とは、朝にふた口のお粥しか与えないやり方である。それは普通のお粥ではなく、前日の残りご飯を湯の中でちょっと煮るだけで、その汁だけを飲むことである。このお粥を飲み終わっても、碗の底に1粒の米粒も見えないという。そして、昼と夜の2回の食事にも「20秒で食事」をするように制限された。経験者の話によると、ご飯を口に入れたあと噛まずに直接飲み込み、速い者は4口飲めるが、遅い者は2、3口しか飲めないうちに時間が切れて食事が終わるという。

 程さんは2017年1月下旬から2017年5月中旬まで、3カ月以上の「秒食事」を強制され、2017年5月29日、痩せ細って程さんは迫害により亡くなった。享年54歳の若さだった。

 夫が迫害され 寝たきりの妻が餓死

 四川省巴中市の李月英さんと夫の趙剛先さんは年配の夫婦である。多くの病気を患っていた趙剛先さんは、法輪功を学び「真・善・忍」の理念に従って良い人を目指すよう努力したおかげで、病気が回復し、新たな人生が始まった。

 2013年9月ある日、妻の李さんは毒蛇に噛まれ、全身が腫れ上がって自力で生活できないほど痛みが激しく、介護を必要とする身になった。しかし地元の610弁公室はそのことを知っていながら、中国共産党当局の法輪功への弾圧政策に従って、同年10月8日、法輪功を学んでいるとして夫の趙さんを連行した。残された李さんは夫を失ってから、ベッドに寝たきりのまま、18日後の10月26日朝、餓死して息を引き取ったという。 

 食事を与えず 偽って与えたと記録する

 遼寧省瀋陽市・魯迅美術学院財務所に勤めていた美貌の持ち主の法輪功学習者・高蓉蓉さんは、2004年5月7日午後3時、顔面に連続して6〜7時間の電気ショックを加えられたことによって、顔面に深刻な火傷を負った。迫害で変わり果てた高さんの顔面の写真が世界中に公表されると、大きな波紋を呼んだ。法輪功学習者は高さんを救出したが、再度連行された。そして2005年6月6日、高さんは残虐なことで有名な「馬三家労働教養所」から、名目上は「瀋陽市医学大学病院」へ移送された。

法轮功学员高蓉蓉被中共警察电击前后对比照片
美貌の持ち主・高蓉蓉さんの迫害前の写真と電撃後の見るに忍びない火傷の顔写真

 内部からの情報によると、高さんは瀋陽学大学病院に送られた当時、意識はまだはっきりしていたものの、骨と皮ばかりに痩せこけた状態でかろうじて座れた。7、8人の私服警官が交代で監視し、他者との話を禁じていた。監視者らは高さんに食事を一切提供していないにもかかわらず、あれこれを食べたと記録した。実はこれらは全部ウソで何も食べさせていなかった! ここから見て取れるように、中国共産党の人員らは危篤状態の高さんに対しても、実質的な救済を一切行っておらず、食事さえも与えていなかった。高さんは名目上では、医学大学病院に移送されたものの一切治療など受けておらず、10日後に餓死した。享年37歳のあまりにも若すぎる一生だった。

 中国共産党は、中国の人権状況について衣食問題についてすでに解決済みとした。しかしながら、国民の信仰する権利や思想の自由、人格の独立、政治に参与する権利などに全く触れず、人間が生きるために最も必要とする基本的人権を全て剥奪した。その後さらに、食事を摂取することは自然と中国共産党が国民を脅迫する最も狡猾的な手段となった。刑務所内で長期間に渡って飢えさせる方法、すなわちを「飢餓刑」を用いて法輪功学習者たちを苦しめ、飢餓状態に陥れて命までも奪い去ることは、その最たる例である。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/2/26/383210.html)
 
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