文/誠宇
【明慧日本2018年5月30日】理屈から言えば、メディアが良い人や良い事を報道するのは社会の正しい気風を顕彰することで、刑務所が悪人を拘禁するのは社会の正義を守っているのです。本当に良い人は刑務所に拘禁されるはずがありません。しかし中国では、メディアによって報道され、または注目されていた多くの善人たちは中国共産党の刑務所に投獄されてしまいました。一体なぜでしょうか? 具体的な実例を見ていきましょう。
「善人よ、あなたはどこにいますか?」
64歳の司徳利さんは河南省信陽市浉河区文化会館の美術専門家兼助教授で、1996年に法輪大法を修煉し始めてから「真・善・忍」の基準に従って多くのよい事をしました。ある日、知人の見舞いに病院を訪れた司さんは、ある農民の子供が車に轢かれて脚が切断され、加害者の運転手が逃げてしまったため、子供には治療費がない事を聞きました。司さんは直ちに家に戻り、家にあった5000元の現金を持って来て子供に寄付し、名前を残さずに帰りました。このことは現地のテレビ局のホットラインによって、「善人よ、あなたはどこにいますか?」というタイトルで報道されました。
また、4000元の治療費を緊急に必要としている癌患者の女性が地元にいると新聞で知った彼は、寒い天気をものともせず、長い距離を走って彼女を訪ね、1000元を寄付したそうです。
しかし、このような良い人ですが、1999年7月以来ずっと中国共産党による迫害を被っています。司徳利さんは何度も不法に拘禁され、2000年7月と2001年3月に二度も不法な労働教養を強いられ、河南省第三労働教養所で迫害を受けました。また、2005年に3年の不当な実刑判決、そして2011年に5年6か月の不当な実刑判決を言い渡され、鄭州刑務所で迫害に遭いました。
2016年8月29日午後、信陽市浉河区裁判所は法輪功修煉者の司徳利さんに対して不法な裁判を開き、彼に再び濡れ衣を着せようとしました。
援助を受けてからメディアを通じて恩人を探す報道は他にもありました。その恩人にあたるのは江蘇省崑山市市役所に勤める李紀南さんです。
李さんは今年61歳です。彼女は1993年から山東省沂蒙山区臨沭県の宏剛という児童の通学を援助し始めました。当時の宏剛君は小学二年生になったばかりでした。李紀南さんは無償で彼に経済的援助を行なっていただけでなく、文通による交流もよくしていました。宏剛君の経済的負担を軽減するために、李さんは手紙を出す度に返信封筒と切手も同封していました。十数年間の経済的支援と手紙による交流を通じて、2人の間には母子のような心情が生まれました。
2002年11月、李紀南さんは法輪功を修煉し続けることによって不当に連行され、その後不当な判決まで言い渡されました。2人の連絡はここで中断されました。翌年、宏剛君は優秀な成績で天津工程師範学院に受かり、合格通知書を受け取るや否や李先生宛に手紙を出しました。しかしその後、「該当住所には受取人がいません」という郵便局の知らせとともに、手紙が戻されました。入学後、李紀南先生への恋しい思いが日増しにつのる宏剛君は自分の情況を記者に伝えました。2006年3月27日、『崑山日報』は「優しい李先生、あなたはどこにいますか?」という見出しで報道を行ない、宏剛君のために長期に渡り支援をしてくれたその優しい人を探していました。
しかし、李紀南さんはどこにいますか? 言えば人はすすり泣いてしまうかもしれませんが、彼女は中国共産党の刑務所の中にいました。法輪功の修煉を堅持し、真・善・忍に従って良い人として努めようとする彼女は中国共産党から不当な審判を下され、刑務所に閉じ込められていました。
李紀南さんはどれほどの学生を支援してきたのでしょうか? 彼女は滅多にそれを口にしません。ただ、偶然な機会に聞いたのですが、支援を受けた子供のうち、すでに就職した人が数人、まだ小学校に通っている子もいて、宏剛君はそのうちの1人です。
修煉し始めるや否や、2万元を寄付した
遼寧省大連市某会社の財務部マネージャーで、法輪功修煉者の王希梁さんはこのように言いました。1994年7月、私は親族の紹介で法輪功を修煉し始めました。修煉後、私は人間として他人に優しく接し、他人の事を配慮し、苦しみに耐えて忍耐強く、社会のために多くのよい事をすべきことを知り、人生観が大きく変わり、更に善良且つ寛容で、真摯になりました。1994年11月、私は匿名で希望プロジェクトのために2万元を寄付しました。当時の送金限度額が1万元であったため、私は2口に分けて送金しました。翌日の新聞に報道がありました。(希望プロジェクトとは、1989年に設立された「中国青少年発展基金会」によって実施された、教育を受けることのできない青少年に奨学金を与えるというもの)
1994年のとき、2万元はとても値打ちのある額でした。修煉を始めるや否や2万元を寄付した王希梁さんの行動は彼自身の善良さを物語っただけでなく、大法の偉大さも立証されました。彼は大胆に真実を話し、大法への信奉を諦めない理由で、何回も不当に連行されました。
農婦の義挙
甘粛省天水市甘穀県新興鎮七甲村に住む法輪功修煉者の王芝蘭さんはそれほど裕福ではない普通の農婦です。彼女は法輪功を修煉してから真・善・忍に従って自分を律し、よく貧困な人に物や金銭を渡し、村の道路の修理に寄付金を出し、汶川地震後も500元を寄付しました。農民である彼女のこれらの行為が讃えられるべきものとして、地元のテレビ局は彼女のことを報道し、表彰しました。しかし、彼女も法輪功を修煉しているという理由で何回も中国共産党の刑務所に投獄されました。
『太原夕刊』の感動的な報道
山西省の太原理工大学のキャンパス内で本屋を営む法輪功修煉者の王志剛さんは本のレンタルで生計を立てています。彼は1996年に法輪功を修煉し始めて、誠実かつ善良で、心がとても温かい人です。1998年、中国の南部が洪水による災害を被ったとき、彼は被災地に1万5000元を寄付しました。このことが『太原夕刊』によって報道されました。王志剛さんは裕福ではなく、数年来0・2元、0・3元と本をレンタルして貯めてきたすべての収入を被災地に寄付したのです。
2008年7月、彼は法輪功の資料を配るときに不当に連行され、その後3年の不当判決を言い渡され、山西省晋中刑務所に収監され、両目が失明に近いほど殴られました。
無名氏のために特別に開かれた記者会見
呂春雲さんは吉林省遼源衛生学校の教師でした。法輪功を修煉する前の彼女はリウマチ、心臓病、産後痛などの多くの疾病を患い、数万元の治療費を使いましたが、完治しませんでした。1996年に法輪大法を修煉し始めて以降、彼女のすべての疾病が奇跡のように消えていき、体力が回復し、道徳水準も絶えず昇華してきました。
1998年、吉林省遼源市が道路、鉄道の立体交差橋を建てるための寄付を呼びかけたとき、彼女はすべての貯蓄である6万元を政府に寄付し、名前を残しませんでした。遼源市は特別に記者会見を開き、このことを高く称賛するとともに、その場で彼女が徐増力市長に宛てて書いた手紙を読みあげました。彼女は手紙の中でこのように書きました。「私は李洪志先生の弟子です。先生の『轉法輪』を学んでから、私は人生の意義と目的が返本帰真であることが分かりました。大法が私を私利私欲を貪る人から良い人に変え、李洪志先生が私に二度目の命を下さいました」。立体交差橋の碑文に書かれている「無名氏」は彼女のことです。
法輪功が迫害されるようになってから、呂春雲さんは4回も陳情のために北京に行き、法輪功に正義を返してもらうことを求めました。信奉を諦めない彼女は不当に連行され、労働教養を強いられ、不当な判決を言い渡され、精神病院にまで連行されて迫害されました。また、彼女は何度も無残に灌食され、遼源市留置場にいたときの体重はわずか35キロしかありませんでした。
特別報道はなぜ止まった?
法輪功修煉者は名利を求めないので、往々にして良い事をしても名を残しません。そんな中、法輪功に対する迫害を始める直前、中国共産党は各地における法輪功修煉者に関するよい報道を引き締めに取り掛かり、多くの感動的な法輪功修煉者の事跡が公正に報道されませんでした。以下の実例を見てみましょう。
牡丹江農墾管理局センター病院の漢方科の副主任医師である陳国清さんと、同病院の外科の看護師長を勤める韓玉琴さんとは夫婦で、2人とも法輪功を修煉しています。彼はこのように述べています。私たちは他の法輪功修煉者を通じて密山市関工委員会に1000元ほどを寄付し、貧しい子供たちの通学を援助し、名前を残しませんでした。密山市関工委員会はこのことについて特別報道をしようとして、この善なる行為が××党の教育の結果だという嘘を私たちに言わせようとしました。私は自分の行為が法輪大法を修煉した結果だとはっきり伝えた後、彼らは報道をやめざるを得ないと言ってきました。そもそも私たちは匿名で寄付し、名利を一切考えておらず、本心と違って嘘を言うことがどうしてできるのでしょう! 大法は他でもなく、真・善・忍を重んじるのです。彼らはすまないと思って、最後は病院に知らせて、内部で表彰するようにしました。
夫婦は法輪功を修煉しているがために数回も不当に連行され、会社に解雇され、妻は迫害によって命を落としました。
10万元を寄付し、報道を断る
遼寧省本渓市の法輪功修煉者・王継財さんは1998年の夏、洪水被災地に10万元を寄付したことがあります。本渓郵便局の職員は王さんに何度も名前と住所を尋ねましたが、彼は「私は法輪大法の修煉者です」としか答えませんでした。職員は自ら本渓市の記者とカメラマンを呼んできて、王さんの善行をビデオに収めようとしました。王さんはその場で撮影を拒否し、記者にこう言いました。「私は法輪大法を修煉しています。市民が災害に遭い、自分のベストを尽くして他人を助けるのは私の責任です。法輪大法から私はこのような法理を学びました。修煉する者は名利を求めず、無私無我で他人のことを考えるべきです」
中国共産党による法輪功への迫害が始まる前、メディアは法輪功について比較的に公正な報道を行なっていました。しかし、迫害後、メディアは完全に中国共産党が良い人を迫害する道具になってしまい、法輪功修煉者に関する公正な報道が一編も探せなくなりました。その上、中国共産党の悪人たちはメディアによって報道され、社会に対して良い影響を与えていた法輪功修煉者たちを刑務所に連行しました。善人が悪人と見なされ殴られるなら、誰が善人になる勇気があるでしょうか! 中国共産党による中国社会の道徳の破壊、社会安定への破壊は比類がないほど巨大です。
しかし、法輪功修煉者たちは中国共産党の迫害に怯まず、真・善・忍への信奉を諦めませんでした。中国共産党の法輪功への迫害がどんなに猛威を振るっても、法輪功修煉者たちは依然として堅実に修煉し、社会がさらに危険な方向へ堕落していくことを大きく堰き止めています。