二つの側面から武漢の新型肺炎を考える
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 【明慧日本2020年2月12日】今日、母(同修)と武漢の新型肺炎のことについて話をすると、母は、「発正念をして武漢の同修を守りたい」と言いました。それに対して「自分さえしっかり守れば何よりだ」と私は冷ややかでした。その後、自分の態度が悪く誤っていたことを後悔し、母に謝りました。母は迫害を受けたことがあり、ずっと直接人に真相を伝えることが出来ず、そのため、私は母の修煉をとても心配していました。母に対する情と優しくない自分を恥ずかしく思いました。この事を踏まえて、次の二つの側面から新型肺炎について同修達と交流したいと思います。

 一、大淘汰であるかどうかを考えるよりも、まず自問してみる

 今回の新型肺炎は大淘汰か、そうではないか、それは重要ではないと思います。旧勢力は確かに淘汰を按排しました。しかも、淘汰する範囲と持続する時間については、私達には分かりません。しかし、淘汰がすでに始まったことは確かのようです。この時、私達は「もし、すべてが終わったとするならば、心に悔いは残らないのか? 救うべき人をすべて救ったのか? 修めるべき人心を全部修めたのか?」と自問すべきではないでしょうか。「新型肺炎に感染したらどうしよう」との考えが時々出てくる私にとって、師と法を信じることにおいて、まだまだ重大な問題があると言わざるを得ません。私のような生死の関門をしっかり乗り越えていない同修にとっては、この感染病の中で正念を持って正しく行なえるかどうか、人を救う事をやり遂げることが出来るかかどうか、それこそ、私達がしっかり考えるべき問題ではないでしょうか。

 二、感染病は中国共産党の本性を暴く

 今回の武漢の新型肺炎は、中国共産党の本性を人々の前に赤裸々に暴き出しました。ますます多くの人が中国共産党の正体を見抜き、そして、その不満を言う勇気を持つようになり、心の中で中国共産党に反対するようになりました。それはとても初歩的な認識に過ぎないかも知れませんが、彼らが救い済度されるにあたって、大きな意味があると思います。そして、邪悪の力もさらに弱まって行くことでしょう。中国共産党が完全に崩壊するまでの間、まだ、しっかり行なっていない同修にとって、それは人を救う最も良いチャンスだと思います!

 個人の少しの認識です。不適切なところがあれば、慈悲なるご叱正を宜しくお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/2/2/400599.html)
 
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