文/中国の大法弟子
【明慧日本2020年8月2日】ある年の夏の日、私は乗用車にひかれ、病院に運ばれました。病院は粉砕骨折と診断し、手術をして脚に金属のプレートを入れました。修煉者の私は、いつでもどこでも他の人のために考えなければならないと思い、事故を起こした相手に損害賠償を求めませんでした。相手の家族は全員大変感動し、三退しました。それをきっかけに私たちは友だちになりました。
その後、修煉の中で時々人心が生じ、同修の顔色が良くなるのを見て、また髪の毛が黒くなってつやつやしているのが羨ましくなり、これらの私の汚い人心が旧勢力に隙に乗じられてしまいました。手術をした脚が痛くなり、靴下も履けないほど腫れ、プレートが入っている所から膿が出始めました。「これは仮相にすぎない」と私は傷のことを気にせず、汚い人心を取り除くことに集中し、これは師父が心性を向上させる機会を与えてくださったのであり、必ずこの機会を大切にしなければなりません。私は法を多く学び、煉功の回数も増やし、朝と晩1回ずつしました。いつも脚を組んで法を学んでいたため、脚を組むと、上の脚がちょうど下の脚のプレートの所に当たり、日が経つうちに、そこの皮膚も擦り切れてしまいました。
ある日、坐禅をしていた時、脚の膿が出ている所にネジのようなものが見え、それを抜いてみると、本当にネジでした! その後、傷口はなかなか治らず、閉じませんでした。ちょうど夏なので毎日シャワーを浴びましたが気にせず、特に手当もしませんでした。
息子は修煉者ではなく、私の脚の傷口を見て、どうしても病院に行くようにしつこく言いました。私は同修と交流し、ある同修は「プレートはあなたのものではなく、あなたはそれを残して何をするの?」と言い、またある同修は「あなたの今のレベルでは、それを溶かす力がまだないので、やはり病院で取り出してもらったほうがいいでしょう」と言いました。結局、私は人心が動じて病院に行きました。
医者は「それを取り出すのは難しいですね! 脚から膿がまだ出ているし、もし骨髄炎にでもなれば、大変なことになりますから」と言いました。それを聞いた息子はとても動揺しました。私は「どうしてそんなことがあり得るのか? 医者の言う通りにはならない。私は修煉者だから、骨髄炎になることはあり得ない。病院は常人の病気を治療するところであり、私は常人ではない。病気にもならないし、これは病気ではない」と思いました。
入院中、私はいつものように法を学び、朝と晩1回ずつ煉功をし、多く正念を発しました。看護師たちは夜6時に交代してから、2時間毎に1回病室を巡回しています。私は看護師たちが来ない時間を利用して煉功をし、食事と睡眠時間以外、法を学び、法を聞きました。主任医師は私に「私たちはもうお手上げですよ」と言いました。それは当然でしょう。今の医療水準はこの程度のものだから。結局その後、私は手術を受けずに退院しました。
5年後、気が付いたら、脚に入れていた金属プレートがいつの間にか消えてなくなっていました。慈悲なる師父がそれを溶かしてくださったのです。
弟子はただ精進して着実に修め、師父の要求通りにするべきことをしっかり行ない、それをもって、師父のご恩に報いるしかありません。