充実と空虚
(明慧日本)私は修煉する中で、いろいろと予想外の迫害を受けてきました。師父がおられ、法があり、私は師父の弟子になることができて誇りに思っています。
忙しい仕事の他に、私は毎朝あるいは夜に、法輪功の煉功をします。そして、発正念、学法、大法の資料を読むなどをして、いつも私の心は充実しています。私は外にめったに出ないので、私のことをあまり知らない常人は、私が何の楽しみもないのでどのように毎日を過ごしているのか理解できないかもしれません。
実は本当に気楽で、時間はいつも足りないほど使っています。いつも仕事の後に多めに法を覚えたり、発正念を多めにしたり、外に出て縁のある人に「三退」を勧めたりしています。時には他のプロジェクトにも参加します。
だから、私は外を歩く時、家で食事や家事をする時、仕事の休みの間、買い物の途中、洗濯、寝る前の時間、利用できるすべての時間を使って法を暗記したり発正念したりしています。『論語』と『洪吟』を毎日何度も暗唱して、時には十回もします。50歳のある女性同修がすでに『転法輪』を百回も覚えたと聞いて、比べてみると本当に情けなく思いました。私は、自分があまりに意気地なしで、法を悟ることの遅さを悔しく思います。ですから、私は修煉と関係ないことをする暇は全然ありません。
常人は、今の時代ならダンスクラブに通ったり、マージャンをしたり、株を売買したりすることこそ面白くて、有意義だと思っています。なんと、私の周りにいる同修の中にもそう思う人がいます。時間があまりに余裕があるので、常人と一緒にマージャンをしたり、さらに株を売買したりしています。これこそ空虚で、自分にも無責任だろうと思います。
とにかく、人間の世界は迷いの中にあるのですが、大法があって私たちを導いてくれているので、私は生き生きとして充実しています。たとえ物質的に余裕がないとしても。
個人的な体得ですが、間違いがあればご指摘してください。
2009年10月21日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/10/13/210256.html)
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