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法理を理解し 難関を乗り越え 師に従う(四)


文/河北省の大法弟子

(明慧日本)

  死を恐れず、生死を超越する

 今年の正月、午前中から熱が出て午後になるともっとひどくなり、夜に汗がいっぱい出ました。3日間下痢をして、身体がだるく心も落ち込んでいました。毎回、病業の症状が出ても、法理上で悟りさえすればすぐに治りますが、今回はだらだら1週間も続きました。内に向かって探しても効かず、迫害を滅すると発正念をしても役に立ちませんでした。徐々に、自分の生命はもうこれで終わるのではないかという気がして、子供はどうするのか、きちんと按排しなければと思いましたが、運命を自分で決められるわけがないと、もろもろの雑念が生じました。

 旧正月の8日、私はグループ学法に参加し、途中ずっと『道法』を暗唱しました。学法の場所で同修に話しかけられても話したくなく、自分の生命はもうここまでだろうと思い、何もしたくなく、何も興味を持たなくなりました。夜帰ってから、子供が甘えると怒りました。それからお風呂に入った時に私は反省して、誰に対しても慈悲を持ち、子供にも同じく接しなければならないと悟りました。そして、突然次のことを悟りました。即ち、生命が終るのは人の理です。人は未来がなくなるとしても私は違います。私は大法を修煉しており、死ぬことを怖がりませんが、死んではならず、私はまだまだたくさんのことをしなければならないのです。修煉を始めた時から私はずっと修煉のことばかりを考え、仕事をしながらも、たくさんの法理を悟ることができました。ここ数日間、私はいろいろ思いましたが、なかなか突破できず、生命の終焉は人間の理であることを悟ってから翌日に身体が良くなりました。

 それから3、4日間後に、私は朝の支度をしてからちょっと仮眠を取りました。ベッドに横たわった途端に頭がくらくらして、部屋の物を見ても水のようにふにゃふにゃで、ずれてしまいます。危ない、あの良くないものがまたやってきたと私は警戒し、生老病死は常人のことで、修煉者とは関係ないと心に言いました。いつのまにか寝てしまい、目覚めてからとても軽く感じ、心の奥から気持ちがよくなりました。こうして私はこの難関を乗り越えました。

 それから私はある老年の同修と交流しました。この同修も同じく自分の生命がもう終わる気がしていたが、「私は死なない、師父に迎えられることを待っている」と思い、生死を突破しました。

 最近よく中高年の同修が亡くなっているので、私はこの事を書き出して皆さんに注意してほしいと思います。生老病死は常人のことであり、我々と関係ありません。性命双修なので、亡くなることはありません。問題が起きた時に、真の自分と幻像の自分をしっかり見分けて、そのまま常人の考えを抱えてはならず、思ったら求めると同じことになるのです。死ぬことを怖がらず、生死を超越し、常人の生老病死を突破することです。肉身を失えば、今のことに損失を与えます。大法弟子が亡くなれば、たくさんの人を救えなくなるのです。

 人生の中で、私は大法修煉の機縁を得て、偉大なる師父に救っていただき、本当に言葉で表せないほど幸せです。今後、大法の中で自分自身を洗い流して、純粋な大法の粒子になりたいと思います。私の認識が法と離れた点があれば同修の指摘をお願いします。

 また、この場を借りて明慧ネットの同修にご挨拶を申し上げます。『明慧週刊』のおかげで私はきょうまで辿りつくことができました。明慧ネットは私にとって欠くことのできない存在です。

  師父、ありがとうございます! 同修のみなさん、ありがとうございます!

  合掌!

 (完)

 (明慧ネット第六回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

  2009年11月14日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/4/211402.html

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