河北省:農婦自ら迫害体験を語る
(明慧日本)私は今53歳で河北省赤城県に住み、農業に従事しています。私は法輪功を修煉してから恩恵を受け、病気の苦しみから抜け出すことができた。しかし、私は法輪功の修煉を堅持していることで、中国共産党による迫害に遭っています。
修煉をしてから病気が全快
修煉する前は、私は身体が弱く病気がちで、幼いころから気管支炎、偏頭痛、甲状腺機能亢進症、胃の病気などを患っていました。1996年10月、法輪大法の修煉を始めてから、すべての病気が消え、本当に無病の軽い身体を実感することができました。師父と法輪大法は私に第2の命を授けて下さいました。
法輪功の資料を配り、連行される
2002年8月、私は北京市鄭柵子で法輪功の真相を伝え、資料を配っていた。真相を知らないケイという人に告発され(ケイという人は600元の賞金を受領)、宝山寺派出所の警官3人が私を北京懐柔の宝山寺派出所に連行しました。彼らは恐喝、脅迫して、法輪功の資料の出所を問い詰めましたが、何も得られなかったため、私を夜中に懐柔留置場へ連行しました。翌日、私に手錠、足に鎖を付けて、また自白を強要しましたが、2日間やはり何も得られず、私は地元に戻されました。
東卯鎮派出所で、所長・米常帥は私を殴ろうと手を振り上げたが、彼はその手をすぐ下ろしました。そして、米常帥と馬継鋼は宋景玉(鎮書記)に刑具のベルトを用意するように命じました。4日目の夜11時頃、私は抜け出ることができました。
私は家に帰って数日後、また東卯鎮で22日間拘禁されました。鎮長・李桂忠は私を会議室へ呼び、蘇友と米常帥が2時間半、私を殴りました。最後、蘇、米の2人はそれぞれ私の片方ずつ手をつかみ、李植文はまた6、7回のびんたを加え、蘇友は髪を束にして引っ張りました。2日後の10月22日、赤城留置場に送られ、11月1日には私を含め、10人が高陽労働教養所へ移されました。
高陽労働教養所で滅多打ちされる
高陽労働教養所で、私達は服を全部脱がされ、布団はすべて引き破られて、綿を引っ張り出されました。私達を4階へ連れて行き、冷たい饅頭を少しくれました。夜8時、大隊長・楊沢民は何人かの警官を連れて恐喝しました。夜9時、楊は20人以上の男女の警官・李雪軍、李自新、葉淑先、魏紅玲、呂亜琴、李暁静、張麗美、樊苗路、趙二紅、于国友などを連れ、束にした電気棒を手にして、私たちに指示し、列をつくらせ、「誰か修煉しない者は前に1歩踏み出せ、クラスの中に戻すぞ」と言いました。私は前へ踏み出さなかったので警官にひどく殴られました。中隊長・葉淑先は私に靴を脱がせ、その靴底で40数回打ち、また電気棒でひとしきり電気ショックを加えました。4日間後、教育担当の祝成、曹生、鄭岐などは私を別の場所へ連れて行き、地面にねかせ両手に手錠をかけて、電気棒で手、足などに電気ショックを加えました。血がぽたぽた滴り、手は串刺のように腫れました。
2010年1月8日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/1/5/215743.html)
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