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もう一度修煉に戻った体得(五)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)

 五、明慧ネットにアクセスできた

 同修に言われたこともあって、私も毎日明慧ネットにアクセスできたらいいなと思っていました。私の今の仕事は忙しくないし収入も良い、それはもっと多く学法するための按排だと悟りました。親戚の同修に助けられて、私はコンピュータとネットアクセス条件などを揃えて、以前保存していたネット封鎖を突破するソフトウェアを使って、やっと自力で明慧ネットにアクセスできるようになりました。

 落ち込んでいる時、明慧ネットにアクセスして、冷静な心得が書かれた文章を読んだら、私の頭の中のシコリが溶けて気持ちが明るくなります。自信が弱まって、また犯したミスのために自分を責める時、明慧ネット上で同じようなミスを犯した同修が精進してからの変化が書かれた文章を読んだら、私も自分の修煉に自信を芽生えました。真相を伝える経験の交流文章を読んだら、私もぜひ同修の知恵を生かそうと思いました。神伝文化に関する文章は、道徳教育をあまり受けていない私にとって、たいへん良い教材となります。特に、中国古代では男女の間の付き合いに関する良い例と悪い例の両方とも、常に私を注意させ、警告しています。

 明慧ネットで『法を暗記しよう』の文章を見て、私もこれから『転法輪』を暗記しようと決心しました。第1講を暗記する時はまだ簡単だったのですが、第2講になると、半ページの内容を覚えるには2時間もかかります。しばらく続けると、毎回『転法輪』を開いたら、数秒の間、体がとても熱くなります。毎回この現象が現れます。私が大法を暗記しているのを見て、体内の衆生が喜んでいるのか、あるいは師父がこの形で私を励ましてくださっているのだと思っています。

 ある日、深刻に妨害されたことがあります。法を暗記するうちに、だんだん意識を失って、意識が戻った時に「少し寝よう」という一念が頭に現れました。私はついにこの一念に従って寝てしまいました。目が覚めたら、すごく後悔しました。正法時期がもうすぐ終わる今、私は法を暗記する時にも寝るのか、大法を読むことさえできなければどうやって修煉していくのか、と思ってとても落ち込みました。

 また2、3日は、早朝3時50分に起床する予定が寝坊したため煉功ができませんでした。朝6時の発正念もしていませんでした。寝る前に、時間になったら師父はきっと私を起こしてくださると思い、その時師父は私を見捨てられたのではないか、と絶望に思うようになりました。最後に、こんなに多くの罪を犯した私はいずれ修煉できないから、もう修煉をやめよう、と突然思いました。でも、すぐに心機一転して、私がこんなに簡単に諦めたら、師を信じない、法を信じないことになるのではないか、師父がくださったすべてに申し訳ないと思うようになりました。その時、はじめて「師父が私を見捨てた」という考えは「自分」ではない、邪悪は陰険に私と師父の間に隔たりを作ろうとしている、と悟りました。「転向」してから今まで、「師父に見捨てられた」との考えはずっと「自分」だと思って、つまり私は旧勢力の按排の道を歩んできました。このポイントを悟ったら、私は再び『転法輪』を開いて、引き続き暗記していました。

 この時に奇跡が現れました。出所後、私はずっと頭、体が厚い段ボール紙のような殻に包まれている感じがして、学法しても、同修に私のために発正念をしてもらっても効果は見えませんでした。これは私自身の問題なので、他人の発正念に頼っても駄目だ、自力で解決するしかないと思いましたが、7年も経ってこの状態の原因がずっと見つかっていませんでした。今、あの殻はタマネギの皮のように一層ずつ私の耳、頭から脱落しているのを感じました。またとてもリアルに殻の頑固さ、ねばりを感じました。これら悪い物質が落とされてから、法を暗記することが以前のように難しくなくなりました。これで法を暗記しながら覚える決心を一層固めました。

 (続く)

 2010年1月14日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2009/12/15/214427.html

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