善を持って他人に接する
(明慧日本)最近ある時期に、数人の同修から排斥されました。ある同修は感情や表情で私に対する不満を示し、ある同修は直接言葉で不満を言いました。私は気持ちが昂ぶり、恨みの心が生じて、彼らと接しなくなりました。私はどうすればよいのか、なぜこのようなことが現れたのか、どうやって修めればよいのか、毎日法を学び、三つのことをしているのにと、長い間思い煩い、ずっと落ち込んでいました。
私は最近、情報封鎖を突破するソフトウェアを使って明慧ネットにアクセスすることができました。ある交流文章を見て、目からうろこが落ちました。同修が私に優しくないのは、師父が同修を私の鏡として按排しておられるからです。私に善を学び、慈悲なる心で他人と接触するようにと教えておられるからです。同修が優しくない言葉、感情や表情で私に接するということは、私も同じように同修に接していたのではないでしょうか。普段、グループ学法をする時、好きなグループに行き、関係のよい同修とだけ一緒に法輪功の真相を伝えていたのではないでしょうか。同修の責任を追及し、不平を言い、裏であれこれ言うのは、まるで常人のようです。
私の父母はこの3年の間に相次ぎ亡くなりました。父母の扶養について、私は常人の考えで兄嫁に接していました。兄は私と姉(修煉者)に父母を扶養するよう要求しましたが、私と姉は農村の習俗を理由にとても不満に思っていました。私たちは修煉者なので口には出しませんでしたが、心の中で不満に思い、裏で親戚のあれこれを言いました。これは修煉者の寛大さで接しておらず、善意を持って理解していませんでした。自分の問題を探しましたが、何も見つかりませんでした。親戚といざこざがおきたのは、彼らは不満を表に表わしていますが、私は心の中に現していたのだと認識しました。
師父の慈悲なるご啓示に感謝し、私の向上を手伝ってくれた同修に感謝します。ずっと心に圧し掛かっていた物質が消え、心が軽く楽になりました。もう一つの執着心を見つけたことを嬉しく思います。必ず執着心を捨て、本当の慈悲なる覺者になります。
明慧ネットにアクセスできる環境を持つ同修たちは、早く明慧ネットを見ましょう。同修の文章は私たちにとって大きな啓発になります。私はもっと早く明慧ネットを見なかったことを後悔しています。同修の文章を見ることは法会に参加するのと同じです。明慧ネットを見ることは、個人の向上のためになるだけでなく、全体を加持することにつながります。
未熟な認識ですので、間違っているところがあれば慈悲なる指摘をお願いします。
2010年1月26日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/1/15/216315.html)
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