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私は本当に幸運で、本当に幸せです(四)


文/中国の大法弟子・軽舟

(明慧日本)

 三 慈悲心が出て、人生本来の価値が見つかった

 俗世間の映画や文学などでは、人間の情が最も貴重なものと見なされています。修煉してから、我々が重んじる情は人間に本当の幸せをもたらすどころか、我々を苦痛や、失望、後悔の渦中に巻き込むものだと、私は悟りました。多くの情は長く続かない、頼りにならない、利己的なものです。情の相手を間違えると社会問題も引き起こします。「浮気」はその一例ではありませんか。

 その道理を理解した私は、大法の法理で自分を律し、常人の情を慈悲に変え、条件を問わず、代価も求めず、他人のために考えます。時には、赤の他人を肉親のように扱うこともできます。修煉する前の私は決してこのようにはできなかったのです。その慈悲心があればこそ、他の大法弟子と同じく、衆生を救い済度する行動に出たのです。 

 法輪功修煉者はみな知っているように、近い将来、人類に大きな淘汰が起こります。中国で法輪功を迫害する人がもし止めなければ淘汰されてしまい、中国共産党の嘘に騙されて大法を敵視する人たちも危ないのです。 

 そこで、私は自分で真相資料を書き、毎晩200枚ぐらい配ります。私が住んでいる街のほぼ全地域をあちこち配って回りました。

 それから、知り合いに真相を伝え、「三退」を勧めました。普段、皆さんと仲良く付き合っているため、順調にみんなに「三退」をしてもらえます。下請け企業に視察に行く時も、真相を伝えています。ある企業の社長は私の話を聞くと、私を抱きしめて、「本当にありがとうございます。妻も法輪功を修煉していて、私に何回も『三退』するように言ましたが、私は信じようとしませんでした。今日、あなたの話を聞いて、やっと信じるようになりました」と言いました。時には、家族の話よりも、他人の話の方を信用しやすいようです。

  仕事上の付き合いでナイトクラブなどに行く時、そこで働く女性たちにも私は積極的に真相を伝えています。彼女たちは苦難や世間から侮辱されることも多く、この社会に絶望し、自分の運命に不安を抱いており、とても真相を受け入れやすいのです。「私が言った話をご家族と他のご友人にもぜひ伝えてください」と私はいつも言っています。 

 現在、中国でこのように真相を伝える行為は、とても危険を伴っています。しかし、私は多くの大法弟子と同じように師父が教えられた通りに行動しています。何かを証明したい、誰かを倒したいためでなく、ただ嘘に騙されている衆生を救いたいだけです。 

 私は密告されたこともあります。誰がどういう目的で私を密告したのか、私はすべて分かっています。しかし、私は密告者の名前を公表しようとは思わないし、彼らに恨みも持っていません。なぜなら、彼らも騙された可哀そうな命だからです。チャンスがあれば、彼らをも救いたいのです。 

  ここ数年、私たちは修煉したために何かを失ったこともありません。何かを失ったといえば、争い、人を騙そうとする悪い知恵、無辺の苦しみを失っただけです。我々に病も恨みも文句もなくて、さらに、人間が最も尊いと思う「愛」も「慈悲」(つまり無条件の愛)に転化しました。名利心、嫉妬心などを取り除いたので、我々の心身はともにますます純粋に、無私無我になりました。

 しかし、この善良な人たちは中国で迫害を受けています。正義感を持つ人から見て、これはまさしく不思議なことだと思います。しかし、迫害されても私たちの善を守る心を変えることはできません。

 もし「世の中で、何かをして永遠に後悔しないことがありますか」と聞かれたら、私は何の迷いもなく、すぐに「あります。それは法輪功を修煉し良い人になる、より良い人になることです」と答えます。

 私は心から、皆さんに『転法輪』を読んでいただきたいのです。もし、本を読んであなたも修煉の一歩を踏み出せば、あなたはきっと世の中で最も幸運な人になり、修煉者たちと一緒に命が昇華する時の喜びを感じられるに違いありません。

 (完)

 2010年6月6日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/21/223940.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/5/26/117409.html

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