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闘争心を取り除き 同修との間隔をなくす

(明慧日本)最近、同修たちの間で自我に執着することから間隔を生じ、お互いに対峙した末に、全体の協調と法を実証することによくない影響が現れた事を目にしました。私自身も類似した事を経験したため、自分の悟りを書き出して、この経験を持っている同修の参考になればと思います。

  ここ数年、私は情に苦しめられ、修煉状態はあまり良くありません。こんな私が焦りを覚えるなかで、同修が私に助言してくれました。しかし、彼らの態度の強引さと傲慢さに不満を感じたほかに、法からずれた部分も見えたため、私は機嫌が悪くなり、彼らは私の身になって考えてくれていないと思い込んでしまいました。

  そんなある日、夢をみました。私が一つの大きな部屋から出て行こうとして振り返ると、部屋の隅に蛇が一匹じっとしていました。理由もなく私が突然、心の中で蛇を嘲笑すると、直ちに蛇が感知して、私に向かって飛び掛かってきました、自分の闘争心が蛇を招いてしまったことがわかりました。私が肩に落ちた蛇を力いっぱい払い落そうとしたとき、夢から覚めました。

  矛盾に逢う時に、気分は良くなくても、大法を修めている私たちは、内に向かって探さなければなりません。夢のことから、これらの矛盾は私の闘争心を無くすためのものだと認識しました。よく考えてみれば、普段、私はよく他人に愚痴を言うのに、言われることを嫌がります、人と会話する時も意見の食い違いがあればすぐ焦って、いらだってしまうのです、これは闘争心ではありませんか。闘争心を持っているからこそ、同修が自分を指摘する時に、無条件に内に向けて探そうとしないで、あえて、同修の問題点を探って反撃しようとします。いったん、外に向けて探せば、すぐ相手の至らぬところが見つかるのです。結局交流は非難になり、逆に同修との間隔を大きくしてしまいます。

  これは難を乗り越えているのだと認識しても、相手は善が足りない、強引すぎるというように感じます。ある日、私は師父の『オーストラリアの学習者への説法』のDVDを観て、少し悟りました。同修は私と交流してくれましたが、その同修が私の事を誤解していたとは思いもよらなかったのでした。そして、私の欠点も沢山挙げましたので、私はまた耐える事が出来なくなりました。

  家に戻り、『転法輪』を読むと、ちょうど師父が「あなたが何を考えているのか、他の空間にいるわたしの法身は何もかも知っています」(『転法輪』「第二講」)と書かれていました。修煉は自分の心を修めて、心性を高めることこそが一番肝心なことだということを思いだしました。誤解されてもかまわないと悟りました。

  その後、子供が一つの夢をみました。夢の中で、我が家と同修宅が大喧嘩をしていました。家は壊され、家の中にいる人は助けてと叫び続けていました。私がよく行えなかったから皆に間隔をもたらしたとその夢から感じました。本来、大法弟子は一つの金剛不壊の全体のはずですが、今、他の空間でその喧嘩が本当に発生していたのかもしれません、これは実にいけないことで、どれほどの損失をもたらすでしょうか。そこで、どうして自分は同修の態度にそんなにこだわるのかをについて考えてみました。

  同修も実は修煉をしている人で、人心を持っているのは当然だとわかりました。ですから、もし、同修に足りないところがあっても、大目にみてあげればよいのです。同修に対して、善を勧めれば良いのであって、家族と同じように、同修の不行き届きに執着してはいけません。常人の不行き届きは許せるのに、同修の不足は許せないというのは、同修を特別扱いしているのではありませんか。いったん、同修の不足に執着すれば、互いに相手の至らぬ点がはっきりと目に映ってしまいがちです、相手を法に照らしてみますが、どうして逆にまず自分に要求し、自分を高めないのでしょうか。私は師父の経文(『精進要旨』「時間との会話」)を復習しましたので、中の一部を用いて同修と励まし合いたいと思います。

  神: 彼らの中には、彼ら自身が良いと思う法の一面を求めに来た人がいますが、かえって彼ら自身は、法のすべてを認識できなくしている他の一面を放下できずにいます。

  師: そうした人は古くからの弟子の中にもいます。しかも、最もよく見られることは、彼らはいつも人間と比べ、彼ら自身の過去と比べていますが、各次元での法の要求に基づいて自らを量ることができていないのです。

  神: これらの問題はすでに非常に深刻になっていますが、彼らが相手のどうこうを見るときの目で、逆に自らを見ることができれば、と思います。

  師: 彼らをしっかりと目覚めさせなければならないときが来たので、彼らの環境を真に修煉できる環境に変え、真の神になるようにしてあげなければならないのです。

  闘争心の背後に潜んでいるのは自我への執着で、独りよがりです。実際に、広大な宇宙の中で、生命は本当にちっぽけなものです。たとえどんな次元にいても、宇宙の真相を把握し、理解できません。ならば謙遜になれない理由はどこにあるでしょうか。

  最近、一時期、地元の大法弟子はある事について、意見がくい違い、論争を引き起こし、互いに譲らず、隔たりを生じてしまいました。1人の若い同修は一つの魔物がその町の上空に現れたのを見ました、しかし、正念を発しても、なかなかこれを消滅できません。この魔物は同修との間の間隔に潜んでいるので、もし皆が向上できれば、この魔物は身を隠す場所がなくなるのです。

  最近このような心性の衝突を多く目にしますので、この面において心性を高めなくてはならない時期が来たとわかりました。いまだにまだ同修の間にある心性の衝突に悩まされている同修の皆さんに、切実に「都合が悪いこと」を良いこととみなして、同修の不足に執着せず、まず自分自身を向上させ、この問題において師父の法を正す進展に付いてゆくことを希望します、そうすることに通じて、大法弟子という全体を更なる難攻不落なものにさせ、旧勢力に付け入る隙を与えないようにしましょう。

  2010年7月22日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/7/222973.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/6/11/117781.html

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