法輪大法は子供たちを教育する智慧を与えてくれた
文/山東省の大法弟子 紅蓮
(明慧日本)私は中学校の教師をしています。旧暦の1996年1月に法輪大法の修煉を始めました。真・善・忍の法理が私の心を震わせました。気功に対してまったく関心がなかった私ですが、法輪大法を修煉することを決意しました。『転法輪』を読んで、私は、人間はどうして人間になったのか、人間としてどう生きるべきか……などなど、どんなに考えても答えが得られなかった数多くの問題に対する答えを得ることができました。そして、私はこれこそ、私がずっと待っていたものであると判断しました。
法輪大法を修煉してから、私は、すべてにおいて真・善・忍を基準にしました。仕事や生活において、人のために考え、トラブルの中で、私は他人に不満を訴えず、自分に足りないところがないかを探しました。以前なら、進学率のために、学校では常にクラスとクラスの間で成績を比べていました。そのため、先生たちは自習時間に自分が教える科目の勉強をするように学生たちに強制しました。そのため、学生たちは苦しみました。私は、勉強はこんな状態でやるべきではなく、子供たちはとても苦しみ、先生たちはとても疲れている、と考えた私は、授業中の効率を上げることに力を入れ、授業の準備を真面目にし、子供たちの興味に合わせて、授業の中に、面白いゲームを取り入れたりして、なるべく多くの子供たちに参加できる機会を与え、学生たちの勉強の積極性を引き出すよう努力しました。子供たちはゲームを楽しみながら、勉強ができ、効果はとても良かったのです。
私は同僚と成績を比べず、仲良くしました。学生たちの成績があまり良くないとき、私は内に向けて探しました。自分の闘争心がまだ捨てられておらず、依然として、期末試験になって校長がクラスの成績を発表することに執着していることが見つかりましたが、これらはすべて名を求める心でした。私は、これらの良くない心を抑制しようとしました。私の執着心が放下されるにつれて、授業中の雰囲気がよくなり、子供たちは私の授業を喜んで聞きはじめました。彼らは私と話したがり、成績も上がってきました。卒業してからも、多くの学生の受験の成績はとても理想的で、先生の授業にとても感謝している、と私に言ってくれました。私が教えたクラスの成績は全市において、トップの位置を占めていて、私は校長に褒め称えられました。私は、これは大法が私に附与してくれた智慧だと深く感じました。
修煉を通じて、私は私的な心を捨てることができ、度胸と自信のある、本当の自分自身を取り戻すことができました。家族はみな、私が修煉してから、まるっきり別人になったと言ってくれました。
私はいろいろな機会を利用して法輪功の真相を伝えました。迫害が始まった当時、テレビ、新聞などすべてのマスコミが1日24時間法輪功を誹謗中傷し、大法と大法の師父を中傷しました。これほど大きな国の政府が、なんとこれほど卑劣な手段ででたらめな嘘を作っていたのです。私は自分が立ち上がり、師父のため、大法のために正しい発言をする責任があると感じました。そして、私は現地の問題人物になりました。学校、政府、家庭とも一斉に私に圧力をかけ、私に保証書を書かせようとしました。私は忍耐づよく彼らに真相を伝え、各級のリーダーに手紙を書き、彼らが大法に対して罪を犯さないよう、良い人を中傷しないように勧めました。
陳情に行って帰ると、夫は共産党に迫害されることを心配して、毎日私を殴ったり、罵ったり、ひいては離婚しようとしました。彼がどんなふうに私に対処しても、私は彼に対してよい態度を持ち続けました。私は常に自分が大法弟子であることを自覚していました。私は、彼自身もとても大きな圧力を受けていることを知っていたため、高い基準で自分を要求し、大きな忍の心を持つように自分を要求しました。
娘は夫の宝物でした。彼女は小さい時から私と一緒に修煉していました。しかし、パパが怒ることを怖がって、パパの前で学法し、煉功し、正念を発することを恐れていました。ある日、彼女は不注意で階段で転がって、直ちに頭痛がし、めまいがしました。私はわざと夫にこの状況を伝えず、娘に法を読んであげました。2時間ほどして、娘は眠ることができました。目が覚めたら、ほとんど回復していました。あとになって、夫にこのことを話すと、彼も不思議に思っていました。3年前、娘は熱が出たことがあります。夫は娘に診療所に行って、注射をするように強いました。医者は薬のテストをせず抗菌物質の注射をしましたが、しばらくして、娘は気を失い、大きい病院へ運ばれました。そのとき、叔母も駆けつけてきましたが、彼女は危篤状態の娘を見て、家族全員に、法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい、と早く念じるように要求しました。同時に注射をするなど、緊急手当てを取りました。薬がまだあまり体に入ってないのに、娘は目が覚めました。医者が確認した結果、すべての基準値が正常になっていました。夫は、再び大法の威力を体験しました。
夫に対して、私は彼の背後に彼を操る、彼自身ではないものがあるということを知っていたため、正念を発してそれを取り除きました。同時に内に向かって探し、自分の利己心、嫉妬心を探し出し、また情に対する執着を排斥しました。発正念をしてから、夫の態度は少しずつ変化しました。今年の夏休みに彼の買ったばかりの車が壊れました。私は彼に、これは大法に対して不敬だった結果だと伝え、彼に大法のお守りを渡しました。彼は再び大法に不敬なことをしないと示し、毎日大法のお守りを身につけていました。
姑は生活が豊かで、夫の兄弟らにみな住宅を買ってあげました。老人のお金と財産を手に入れるために、夫の兄弟、姉妹らは、方法を尽くしました。そして、自分たちの思いどおりにいかないと両親に対する態度が変わり、再び訪れなくなりました。しかし、私は彼らとは違って、夫に争わないよう、お金は自分で稼ぐべきで、両親は私たちを養ってくれただけで十分苦労したから、これ以上、彼らのお金をもらうのではなく、かえって彼らに親孝行をすべきですと、言いました。
普段から、私は美味しいものを夫に持たせて、老人に送りました。また、子供たちにも親孝行を教え、常に老人の見舞いに行き、新年や節句のたびに老人らに衣服を買ってあげたり、食べ物を買ってあげたりして、ほかの兄弟と姉妹らと比べませんでした。また老人らにも善を勧めました。姑は悲しくなると、私と話し合おうとしました。隣近所の人たちも、姑が私を褒めていたといってくれました。老人らは何回も私がすばらしいと言ってくれましたが、その度に私は、大法がすばらしいのです、師父は私に何事についても他人のために考えるように、どこに行っても良い人になるように教えてくれたと述べました。私は大法の真相を彼らに伝え、姑の家族も三退させました。
知らない人に真相を伝えることは、私にとってどうしても突破できない関でした。『明慧週刊』に毎日乗せられている、同修が強制連行された記事、そして、現地の同修が真相を伝える際に強制連行された記事を読むたびに、私には恐怖心が自ずと生じてきました。身の回りの同修は私に何回も、しっかり学法し、正念が足りれば、理性的に真相を伝えられるようになる、試してみたら、と教えてくれました。私は正念を多く発し、野菜を買う時、同修の教えてくれた通り話してみると、効果が良かったのです。真相を伝えれば伝えるほど、恐怖心がどんどん小さくなり、ますます真相を伝えたくなりました。紙幣に大法の真相を書いて使うことは、本当にすばらしい方法です。私は買い物をするとき、100元、50元など大きな紙幣を使う以外は、ほとんど真相の書かれた紙幣を使います。市場の人々もますます真相紙幣を気に入ってくれました。私も彼らに「真相紙幣を流通させる人には福がありますよ」と伝えました。
現在、私はいろんなチャンスを利用して、身の回りの同僚、友人、通行人に大法の真相を伝え、三退を勧めています。
2010年8月4日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/7/6/226553.html)
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