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協調人との間に間隔が生じたとき、必ず自分に向かって探す


文/中国の大法弟子

(明慧日本)大法弟子の協調人として、協調する中で間隔が生じたら、必ず自分の不足を探さなければならず、これが実行できるようにすることがとても重要です。その時は、「正念をもって物事に対処しているかどうかを修めているのです」(『更なる精進を』)本当に正念を持って対処することができれば、その地区の全体の協調は良くなり、三つのこともしっかり行うことができるのです。そして、協調人自身にとっても、着実に修煉しており、心性が向上しているのです。このことについて、私は自ら経験したことがあります。

 私たちの地区にいる一人の協調人は、他の何人かの協調人と気が会わず、最後には、何かあっても一緒に相談しなくなりました。何か協調しなければならないことがあったら、表面的には以前のような争論はなく、協調が一致したかのように見えますが、後で、自分の思うままに動いていて、協調しない状況が現れました。長い間、このような状態のままでした。私はこの協調人とまだ気が合うので、協調することができます。

 しかしある日、約束の時間に2時間も彼女を待っていましたが、なかなか来ませんでした。仕方なく、公衆電話で電話をかけました。彼女は、「用事が多いので、約束したことを忘れてしまった」と言って、私の返事も待たないで、電話をかけたことに文句を言い始めました。私は「約束を守らなかったのはあなたなのに、どうして私のことを責めるのですか」と言い返そうとしましたが、これからやる事に影響してはいけないと思って、不満の言葉を一つも言わず、やる事について相談をしました。

 その事はうまく協調してできました。でも、私の心の中でその協調人に対して、隔たりが生じました。自分に向かって探さなかったので、その心に気づきませんでした。その後、他のことで、配るのに遅れないように時間どおりに取りに来るよう彼女と約束をしましたが、来ませんでした。仕方なく、他の協調人に頼みました。その協調人は私がこのようにしたら、彼女はまた不満を漏らすだろうと言いました。私は、法を実証することを遅らせてはいけないと答えました。彼はついでに、他の協調人たちはどうしてその協調人と協調したくないかの主な原因を話しました。それは、確かに彼女は厄介な人で、自分が悪いくせに言われたくないのです。私は、それは協調人の間の隔たりの空間場を拡大すると認識しましたが、だめだと言い出せず、かえって、みんなの話に賛成しました。このようにして、私とその協調人との協調も少なくなり、だんだん他の協調人たちと同じように、積極的に彼女と協調しなくなりました。

 協調人との間の隔たりは、常人の上役とのトラブルのようなものではありません。大法弟子の間の隔たりは、早く内に向かって探し、隔たりを消さなければ、結果はひどくなります。法を実証することと、衆生を救い済度することにとんでもない、ひいては補えない損失をもたらすかもしれません。

 ある日のことですが、地域で大きい法会を開こうとするとき、協調人との間の隔たりと客観的な要素があったせいで、他の空間の邪悪に隙に乗じられ、警察は学習者たちを連行しようとしました。幸いに学習者たちは正念が足りて、しかも師父のご加護の下で、強い正念のエネルギーで警察をコントロールし、学習者たちは次々に帰って行って、大きな損失をもたらしませんでした。それからしばらくして、また学習者が連行され、重い刑に科されたケースが出ました。そのあと、邪悪は学習者の家にきて、表を書いたり、人口調査を口実にして、嫌がらせをされることが相次いで起こりました。

 正法はここまで来ており、邪悪はもう何者ではなく、地域の修煉の環境はまた悪くなってしまい、邪悪の要素はまだ大法弟子に対してまだ狂っているのは偶然なことではありません。反省してみれば、私たちの地域の協調人は、長期的に協調において隔たりがあり、根本的に取り除かれなかったからです。その中には私も入っています。内に向かって探しましたが、表面的に「人」と「事」の正と非にとどまり、その根本、つまり正念で物事に対処するかどうかを見ていませんでした。

 師父は「わたしがいつも言っているように、ある人がほかの人のためだけを思って、しかも、自己の目的と認識を少しも抱かなければ、語る話は聞く人に涙を流させることでしょう。わたしは皆さんに大法を教えただけではなく、わたしの行ない方をも皆さんのために残すわけですが、仕事の時の口調、善の心、それに加えて、道理で人の心を変えることはできても、命令では永遠にできないのです!」(『精進要旨』「はっきりと目覚めよ」)とおっしゃいました。

 自分に向かって考えました。その時、多くの協調人はその協調人と協力したくないことで隔たりが生じ、みんな自分の不足を探していないことを私に見せ、私に聞かせましたが、私は自分に関係ないと思ったまま、内に向けて探さず、向上するチャンスをなくしました。初めのころはその協調人と協調できましたが、後に隔たりが生じて、重要なことだと思わず、自分の不足を探しませんでした。みんなその協調人とトラブルがあり、問題と隔たりがあるように見えますが、本気で内に向かって探せば、私にこそ隔たりが生じるような心を持っており、それを取り除かなければなりません。思い返せば、初めてその協調人に隔たりの心が出たのは、私は「人」と「事」に対して「言ったことは実行し、必ずやり遂げる」という基準を持っていたからです。つまり、何かをするとき、時間を守れば、その人と一緒に協力したいと思うのです。あの日、約束をしましたが協調人は時間どおりに来ませんでした。私は口では何も言わず、表面的には不愉快な表情も表わしませんでしたが、私が固守した「言ったことは実行し、必ずやり遂げる」という観念と、自分の目的を達するために他の人に要求する考えが生じたので、内心では約束を守らなかったその協調人に対して理解できず、寛容もできませんでした。だから、隔たりが生じたのです。ちょうど、その後の協調の中でまた信用を失ったことがあったうえ、他の人にもそう言われて、隔たりは自分の気づかないうちに生じました。それで、法から離れ、その協調人から遠のいてしまいました。

 この隔たりを作った常人の心をみつけてから、取り除き始めました。それから、正念でその協調人のことを見ると、以前の考えはなくなりました。かえって彼女の良いところをたくさん見つけました。たとえば素直で、遠回しで言わないところです。その良いところを見つけたので、彼女がその時に言った「用事が多いので、約束したことを忘れてしまった」は本当だと思いました。彼女は年をとっていたし、多くのプロジェクトを担当しているし、家庭の負担も大きいのです。忘れたのもあり得ることです。では、どうして彼女は、私が電話をかけたことを不満に思ったのでしょうか。後で分かりましたが、彼女は約束のことを思いだしたときに、もう二時間も過ぎたので、急いで来ていました。ちょうどその時、私は電話で彼女を催促しました。彼女は自分が急いでいるのに、電話をかける必要はないと思ったので、不満を言ったのです。素直な性格だから、思ったとおりに言ったのです。

 正念でこのことに対処したため、二人の間の隔たりは本当に消えました。それで、地域の全体的な協調と黙々と円融し、協力し合う環境に変わりました。最近、何人もの同修が突然警察に連行されました。事件が起きたその日に、私たちはすぐネットで暴き、真相チラシを作り、家族を集めて釈放を求め、力強く邪悪を抑制し、二日後に釈放されました。救う過程で、突然のことだったので、その協調人に知らせることができませんでした。でも、その協調人はこの事を聞いた後、すぐにたくさんのチラシを作り、次の日に町と村を回ってたくさん貼り、黙々と素晴らしく円融して協調した全体が、同修を救い出しました。 

 2010年8月29日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/8/19/228514.html

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