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正しく悟る(二)

(明慧日本) 二、同修の死について

 近年、周りの同修の何人かが死亡しました。その中には、真剣に修煉している同修もいました。その原因は何でしょうか。周りの他の同修はどのように見ているのでしょうか。ここで自分の経歴を述べたいと思います。

 2006年の年始、迫害を受けた後、家に戻って再び修煉しようと決心しました。ある日の夢の中で、ある人の両手を私の胸に伸ばし、私の心臓を外まで引っぱるようにして、痛くてたまりませんでした。私は両手でその両手を掴みながら、「これは私の心臓だ、あなたに奪われてはならない」と言いました。体力が続かない時、「師父、助けてください」と大きな声で叫びました。目が覚めてから、自分の胸を触ってみると、大きく膨らんできたようで、しかも胸の中には痛みが走っていました。その後、何日か経過して、同じ夢をもう一度見ました。

 ある同修は、労働教養所で3年間迫害を受けました。釈放された後、ある日の夜、夢の中で「あなたは円満成就になりました。もう帰ってもいいですよ」という声を耳にしたそうです。その声を聞いて同修はとても嬉しくなりました。しかし、念を変えて「だめだ、私の使命はまだやり遂げていない。帰ってはならない」と考えました。その後、自分の夢と同修の夢を思い返して、もししっかり制御できなければ、私とその同修2人は死んだかもしれません。本当にそういう結果になったら、大法と衆生に対して悪い影響をもたらすだけではなく、同修にも大きな迷いを残してしまうでしょう。実は、死亡した同修はいろいろな原因があるため、心配する必要はありません。しかし、必ず一念を持たなければなりません。つまり、正念を持って対処しなければならないということです。

 難関に陥っている同修に対して、どのように接すればよいのでしょうか。

 ある日、妻の体の調子が突然悪くなって、辛くてたまりませんでした。隣にいた私は、妻のお腹からぐるぐる鳴る音がはっきり聞こえます。それで、私は妻のために24時間正念を発して、しかも「師父が妻を助けてくださる」と固く信じました。妻が痛みのため声をいくら出しても、私は心が動じず集中して正念を発しました。しかし、「あなたはなぜふだんから真面目に修煉しないのか」と思ったとたん、妻の痛みがひどくなり、声がさらに大きくなりました。このように何度か繰り返して、正念を保つことがとても重要だと気がつきました。4日間が経過して、妻の調子がだんだん快復してきて、食事することができるようになりました。一週間以降、体が全快しました。

 妻の体の調子が悪くなった一週間、毎日、朝早起きして時間通りに煉功する以外は、すべて師父の説法録音を聞くことにしました。妻は煉功する時に立つことができないほどふらふらしましたが、最後まで堅持しました。その後、妻は、「私は煉功する時に、お腹の中をナイフで切られるように感じました」と言いました。実は生死の境をさまよった妻は、とっくに死に対する恐怖心がなくなりました。妻は、もし万が一死んだら大法と衆生に何か悪い影響をもたらすことだけを心配していました。それで、妻が最も苦痛だった時、「死んだら大法を破壊することになりますか」と私に聞きました。私は「そうです」と答えました。私の話を聞くと、妻は「師父、いくら苦しくても私はその難関を乗り越えることができます」と自分を励ましました。さらに「難関を乗り越える時に、正念をもって対処することがもっとも大事です。自分を第一にするのか、それとも大法を第一にするのかは、生死に関する最も肝心なことです」と私に言いました。

 実は、難関の中で同修の正念はもちろん大事ですが、同修の念もある程度の役割を果たしています。私たちは同修を非難することは、同修を迫害するのに等しいのではないでしょうか。
 
 交流するためにこの文章を書きました。不適切な部分はご教示ください。

 (完)
 
2010年09月12日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/8/29/228940.html

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