日本明慧
■印刷版   

高い天秤:他の空間で見た光景

(明慧日本)私はこれまで、しょっちゅう他の空間の光景が見えていました。書き出して投稿しようと思ったことは一度もありませんでしたが、今度は必ず書き出さなければと感じました。個人の次元で見たものにすぎないので、ご参考になればと思います。

 10月22日、学法が足りず、心性の修煉ができておらず、常に外に向けて探していました。このような私に、もっと学法をしなさい、まだまだ人心がある、と叔父から言われました。夕方に座禅をして、7時10分頃、自分の頭を右側から棒でたたかれたのが天目で見えました。そして、私は耳を引っ張られて、ある場所に連れて行かれました。その場所では、円満成就できるかどうか、秤(はかり)にかけられると言われました。円満成就の基準に達することができなければ、淘汰されてしまいます。多くの大法弟子が天秤に載って、基準に達してクリアしました。自分の番になりました。私はどきどきしながら天秤の上に立ちました。しかし、天秤が直ちに上がってしまいました。本当に、その場で泣きたくなりました。なぜ、自分はしっかり修煉してこなかったのだろうか、と自分を責めていました。

 その時、師父が『転法輪』の中で、「昔、ある人が一生懸命修煉して、やっと羅漢になれるところまで成就しました。もうすぐ正果を得て、羅漢になれるのだと思うと、これを喜ばずにいられるでしょうか? やっと三界から抜けられるのです! しかし、喜ぶこともまた執着心で、歓喜心なのです。羅漢は無為であるべきで、心が動じてはいけません。結局その人は堕ちてしまい、それまでの修煉が無駄になってしまいました。無駄になったからやり直すしかないので、一から修煉し直し、ずいぶん苦労をして、また上がってきました。ところがその人は、今度は心の中で『喜んではいけない。喜ぶとまた堕ちてしまうから』と言って、怯えました。怯えた途端、また堕ちてしまったのです。怯えるのも執着心の一つです」とおっしゃっていたのを思い出しました。

 私は自分の心を落ち着かせ始めました。少しずつ、人心と執着を放下できるようになるにつれ、天秤も少しずつ下がってきました。ちょうどぎりぎり円満成就の基準に到達してから、決してそれ以上、天秤は下に下がらなくなりました。次の大法弟子の番になりました。

 このとき、私は初めて自分のまわりで師父と神々が見ていることに気づきました。師父の表情はとても悲しそうでした。師父の涙が少しずつ頬をつたって下っていく様子をみて、私はまるで心をナイフで刺されたかのように悲しくなり、私も涙を流しました。まわりを見ると、大法弟子たちの天国世界の衆生も切に待っていることに気づきました。円満成就の基準に達した大法弟子の家族や衆生は、言葉で表現できないほど感激にあふれていました。しかし、基準に達していない大法弟子の家族と衆生は、まるで気絶したかのような悲しみにふけて、泣きわめいていました。

 師父の慈悲なる啓示に感謝します。自分が精進できていないことに怒りを感じながらも、基準に達していない大法弟子たちが残念でなりません。

 最後に、師父の説法を学び、共に励まし合いましょう。「目覚めてください! 歴史上最も邪悪な魔難も皆さんを目覚めさせることができなければ、法がこの世を正す時、驚愕と後悔の中で、自分が本当にだめだという自責と絶望の中で、真に修煉してきた大法弟子が圓満成就する際の壮観ぶりを目のあたりにするしかありません。これも自分自身が撒いた因果なのです」(『法を正す中で必要なのは正念であり、人心ではない』)
 
2010年10月04日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/11/25/89992.html

■関連文章
姑の変化
師父に啓示されたのに、なぜ悟らないのか
師父に与えられた道を正しく歩む(二)
子ども弟子が他空間で見た、円満成就と法がこの世を正す光景(二)
取り除くのは人心
発正念してプリンタを妨害する要素を取り除くときに見た他空間の光景
一度しかない機縁を大切に
法輪大法の小弟子が夢で見た光景
発正念の時に見た他空間の光景
もう同修の悪いところを探さない