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善について悟ったこと


文/黒竜江省の大法弟子

(明慧日本)私と父(78歳)、母(75歳)はともに法輪大法の修煉者です。父と母は字が読めないので、大法の法理に対する理解が遅く、まだ多くの人心を抱えています。私はよく子供を叱るように大声で親に怒ったりしますが、自分の言葉、自分の考え方こそ大法の法理に従っていると、いつも思っていました。

 母は足が痛いので、こっそりバンドを貼りました。それを知った私は、優しく母に注意するのではなく、大声で「師父と大法を信じないなら修煉をやめて、堂々と病院に行けばいいでしょう」と母を怒りました。

 父は発正念をする時に掌が倒れたり、学法する時に寝込んだりするのを見て、私はとてもイライラして、強く父の身体を揺らしたり、倒れた合掌を直したりして、また「百回注意してもお父さんはなかなか覚えられない、やはり修煉に心を込めていません。食べることは忘れたりしないでしょう。もうたくさんよ! 学法するたびに眠くなるなんて、修煉する気がどこにありますか?」とあくどい言葉を父と母に投げかけ、常人よりも悪い態度でした。
 
 周りの同修はこれを見て何度も私を注意してくれました。しかし、年配の両親に遠慮して同修たちはあまり注意しませんが、娘の私が言わなかったら2人はいつになったら精進できるのでしょうか、二人のためではないですか、と悔しく思いました。私の乱暴でせっかちな態度のせいで、家庭内の雰囲気はとても険悪なものになりました。両親も「我々は修煉できない人なので、仕方がありません。あなたに大きなお世話をされたくない」と言っています。この時になって、私はやっと事態の深刻さに気づきました。

 私は心を静めて学法して、同修とも何度も交流して、内に向かって探してみました。自分は毎日学法して、内に向かって探す法理も知っていますが、現実の中で外にばかり向かって探して、学法ばかりをして着実に自分を修めてはいませんでした。これは修煉において私の最大の漏れだと思いました。

 師父は『精進要旨』の「善を説く』で、「善は宇宙の特性の異なった次元、異なった空間での現れで、大覚者たちの基本的な本性でもあります。ですから、修煉者は必ず善を修めて、真・善・忍の宇宙の特性に同化しなければいけません」とおっしゃいました。

 『転法輪』を読んだ回数は数えきれないほど多いのですが、法理を全部はっきり理解したわけではなかったのです。修煉者は善を修めることが大切で、すべての人と物事に対して善を持つ理を私は分かっていますが、両親の修煉状態に対してずっと人心で対応してきました。私の無愛想な態度の原因は何でしょうか? 私の中で、ずっと年配で字も読めない両親を迷惑と負担だと思って、常人の情と愚痴を抱えて、見下す態度で良くない言葉を両親に言い、両親に修煉をやめさせかけるところまで来ました。

 師父はまた『2009年ワシントンDC国際法会での説法』で、「人間は神になりたければ、人間の状態から脱皮したければ、この心を放下し、慈悲をもって問題を解決しなければなりません」とおっしゃいました。

 修煉者の家庭内に起きたすべての事にも修煉の要素が含まれている、善を修めるとは、何に遭っても善で物事を考えて、善で問題を解決することです。常に慈悲を持って、優しくて思いやりと寛容があって、言い争いをせず、文句と恨みを持たない修煉者になってこそ、はじめて自分にまつわるすべての不正な要素を解体でき、自分の空間場を浄化できるのです。今の私はやっと悟りました。

 それから、私は大法の基準に沿って自分を律して、発正念して旧勢力の妨害を解体します。周りの同修の善意な指摘もありました。私の変化も見て、両親の修煉状態はだいぶ良くなりました。私は善と慈悲の力の強さに驚きました。人間は善の心を持ってこそ、はじめて慈悲が生まれて、はじめて真・善・忍で返本帰真できると私は分かりました。
 
2010年10月15日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/12/230866.html

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