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二言三言:修煉は手抜きをしてはならない

(明慧日本)明慧ネットの今回の中国大陸大法弟子ネット上の体験交流会において、ある同修が自分の体験文章を私に明慧ネットにしてほしいと頼みました。大体見て、この文章はちょっと分かりづらいと私は同修に言いました(テーマはあるが、細かい説明の見出しがない)。同修は笑いながら「手抜きをしました。あまり真剣に書きませんでした」と自省しました。私は修正しますかと聞くと、もう時間がないのでこのままにします、と同修は言いました。
 
 私は同修があまりにも手抜きしていると思いました。すると、急に自分が棒喝されたように目覚めました。私は外に向けて探しているのです。なぜ、人のことを自分と照らし合わせて修めないのですか。手抜きしたと同修は言ったのです。まさに私のことを言っているのではありませんか。この言葉が私を刺激したのは、まさに私が修煉に対して手抜きをしているからです。
 
 よく考えると、本当に情けないです。ふだん大法の仕事をしていますが、しかしよく手抜きをしています。何回も考えたことを書き出すべきものを、そのまま放っておいたり、つい同修に書いてもらったりしました。何度も真相を伝える機会がありましたが、自分の人心が強いために逃しました。真相資料をもっとたくさん作れる、もっとたくさん学法できる、煉功をもっとたくさんできるのにしませんでした。私はしっかり行なっていませんでした。私の生命は法の中に溶け込んでいなかったのです。
 
 私がここまで書き終わった時、あの同修がやってきました。同修は自分の文章を修正したいと言いました。不足部分を認識したので、やはり修正した方がよいですね、と同修は言いました。そこで、2人で文章の内容について2つの見出しを入れて、それぞれに少しの説明を書き添えました。早くも良い文章ができ上がりました。
 
2010年11月08日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/10/27/231543.html

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