日本明慧
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基準に達する大法小弟子になれますように(二)


文/日本の大法弟子

(明慧日本)

 三、心を修める
 
 4年あまりお母さんから離れ、学法もしていなかった私は、勉強が嫌いで、時に礼儀を守らず、嘘もつき、良い生活習慣を身に付けていない子供になりました。小学3年の時、心性がとても悪く、よくお母さんと口げんかをしました。それから学法するにつれ、私はどんな時でも自分が大法の小弟子であることを忘れずに、真・善・忍で自分を律しなければいけないと分かり、自分の欠点をたくさん克服しました。
 
 以前は、何かに遭っても内に向かって探すことを知らず、自分が正しくてすべては他人が悪い、と当たり前のように思いました。法を学んでから、私は内に向かって探すことができました。
 
 小学5年生の時、私は日本に来ました。ある日、クラスのある男子生徒が嫌なことを言ってきました。私は修煉者ですので、どんなことを言われても心は動じない、と思いました。何も言わない私を見て、その生徒はさらに私を罵り始めました。罵ると人に徳を与えることになるという師父の教えがあるので、こうして彼は私にどれだけの徳をくれるのだろう、と私は思いました。さらに、私にこれだけの徳をくれて、彼に感謝しなければ、と思い、彼に「ありがとうございます」と言いました。彼は呆然となりました。それから、彼は二度と私を罵ったことはありません。
 
 中学に進学した時、ちょうど家も引っ越しましたので、知り合いが誰もいない中学校で私はとても寂しくなりました。頑張って日本語を使って同級生と仲良くしたいとしても、同級生たちはそれほど優しくありません。小学校時代に同級生たちと良い関係だったのとは正反対に、ここでは誰も話しかけてくれません。何カ月も続いて、私はとても辛くて、時々母に泣きながら訴えました。その間、絶えず学法して、両親ともよく交流しました。師父は『修める者はおのずとその中にいる』の中で、「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであり、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」とおっしゃいました。父も母も、修煉者として遭ったいかなることも偶然なことはない、と私に言ってくれました。内に向かって探せば、私は寂しがり屋で、友達がいないと不安になるという執着を見つけました。それから、私は以前とはがらりと変わって、毎日楽しく学校に行きました。ある日突然、同級生たちが進んで声をかけてくれたり、友だちになろうと誘ってくれたりしました。その執着を放下した結果だと分かって、私はとても嬉しくなりました。それから、同級生に冷たくされるたびに私は内に向かって探し、毎回自分の不足が見つかりました。
 
 「他人に良いことがあったら、その人のために喜ぶどころか、自分の心のバランスがとれなくなります」(『転法輪』)と師父がおっしゃったように、私には嫉妬心があります。良いものを持っている人を見たら、うらやましくて嫉妬します。私が常人のものばかり重視して、自分が修煉者であることを忘れたからだと思います。
 
 また、私には強い顕示心もあります。学友たちにわたしが琴(こと)を弾けると教えたら、みんな驚きました。日本人の学友たちはみんな弾けなくて、私が琴を弾く姿を見たいと言いました。私もみなさんを家に誘おうとしました。しかし、毎回みんなの都合がつかなくて、ずっと家を訪れることができていません。私に顕示心があるのでこうなったのではないかと悟り、必ずこの顕示心を取り除こうと思いました。
 
 四、真相を伝える
 
 中国にいた時、時にお母さんと一緒に真相資料を配りました。正直に言うと、最初はとても怖かったのですが、だんだんと落ち着きました。ある日、大法を中傷する落書きを見て、私はお母さんに報告して、道具を持ってお母さんと一緒にそれを洗い落としました。
 
 中国にいた時から、私はよく周りの子供たちに真相を伝えましたが、子供たちはとても聞きたがります。しかし、学校の女子生徒はいつも私が真相を言う時に邪魔をしました。私が正念を発したら、翌日、彼女は本当に邪魔をしなくなって、みんなと一緒に私の話を聞いてくれました。それから、彼女は私の良い友達になって、少年先鋒隊からも脱退しました。
 
 日本に来てから、学校で仲の良い友達ができました。彼女が家に遊びに来た時、師父の写真を見るとすぐ拝みました。彼女はきっと私と何かの縁がある、と私は思いました。彼女に大法のお守りをあげると、彼女は「ありがとう」と言って、それから私たちはもっと仲良くなりました。
 
 今の私は、決して精進しているとは言えず、内心から師父と大法を尊敬しているとは言えません。発正念と煉功もしっかりできておらず、毎日お父さんとお母さんの心性を高めるような出来事を作って、身についた良くない習慣もまだ取り除いていません。しかし、私は続けて学法して心を修めれば、きっと本当に基準に達する大法小弟子になれると思います。
 
 (完) 
 
2010年12月13日

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