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法をもって師とすれば、修煉は軽やかで楽しくなる(三)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)修煉して十数年来、私はすべてのことにおいて、「真善忍」の基準にしたがって自分に厳しく要求し、同僚たち及び案件の当事者の一致した好評を得ました。裁判所の多くの懸案、難しい案件と重要な案件の中で、私が処理したものは一件も陳情がなく、さらに多くの案件が法廷で示談となりました。案件を受ける度、私は法廷を開く前に、まずは当事者たちに次のように伝えます。
 
 私は法輪功修煉者で、「真善忍」を人としての基準にします。「事実を根拠とし、法律を基準とする」ことを実践します。心配しないでください、法律上不公平な問題は起こりません。だから、あなた達は皆コネをつけるために神経を使わなくてもいいのです。ここで法廷を開くと、王子と乞食の地位は平等です。しかし、あなた達はみな嘘をついてはいけません。続けて、私は当事者たちに法輪功は何であるか、「共産党」は何であるか、「善悪には応報がある」「損することは福である」「一歩譲ると先が開ける」「一時我慢すると平穏無事になる」という道理を話してあげます。また、机の上に準備しておいたさまざまな真相資料を当事者たちに勧め、当事者たちが自分で選ぶようにします。私が人としての道理をはっきり伝えた後、当事者たちの争いも解決され、案件は示談で解決されます。
 
 ある交通事故の案件です。原告の足が事故により骨折し、重傷であるにも関わらず、被告が治療に対して消極的でした。ある日、法廷の方からある婦人の大きな泣き声が聞こえて来ました。その婦人を私のオフィスに連れて来て、原因を聞いて、やっとその婦人が接客したり、賄賂を贈ったりしないと、法廷で勝てないと心配し、仕方なく裁判所の敷地内で跪いて泣きながら訴えていたのが分かるようになりました。私は、その婦人に私の案件を処理する原則を伝え、法輪功を修煉する良いところを話し、その婦人にいくつかの真相の資料を渡しました。最後に、その婦人は訴えを取り消し、帰って息子と一緒に法輪功を修煉するようになりました。
 
 ある契約の揉め事で起きた案件です。原告は30代の若い男性で、被告は県の糧食局でした。原因は糧食局が原告の請け負った仕事の報酬、26万元を払わなかったからです。私は原告に「法輪大法」の素晴らしさを話すと同時に、原告に真相の資料とお守りをあげました。一週間が過ぎ、原告は私を探しに来て、訴えを取り消すと言いました。私はとても驚いて、「なぜですか?」と聞きました。原告は「私があなたからもらったお守りを身につけて、毎日心の中で『法輪大法は素晴らしい』、『真善忍は素晴らしい』と念じてから、この一週間とても順調で、お金をたくさん稼ぎました。訴訟する時間があるなら、自分で26万元を稼いだほうが早いのです。だから訴訟したくなくなりました」と答えました。
 
 このようなことはとても多いです。ここで一つ一つ例をあげません。もちろん例外もあります。ある日の午後6時ごろ、私の地元の人が私に電話をして、用事があるので私を探し、すでに市に着いたと言って来ました。私は家を出てすぐ地元の人に会い、地元の人に何事かと聞きました。地元の人は近くのレストランに入って食べながら話しましょう、と答えました。元々、地元の人はビール瓶の爆発によって左目を失明したので、ビールの工場を訴訟する準備をしていたのです。私に面倒をみてほしい、と頼みに来たのです。私も地元の人に法輪功の真相を伝え、地元の人に修煉するよう勧めました。食事後、私がお金を払おうと固執しましたが、地元の人は譲りませんでした。示談でビールの工場から地元の人に1万元を補償しましたが、地元の人は不満を持ち、法廷で法を司って鑑査するよう要求しました。鑑査結果は、地元の人がビール瓶を不当に扱ったことによる出来事でした。私は、地元の人が敗訴したと判決を下すしかありませんでした。ある日、その地元の人は突然、裁判を行っている法廷に押し入って、同席している16人の前で、私を罵り始めました。私が自分に法輪功の話をし、自分に修煉を勧め、私が地元の人の接待を受けたことなどを言いました。当時、私は非常に平静で、その地元の人に対して次のように言いました。「あなたは私を罵っても構いませんが、法輪功を反対しないでください。あなたの左目はすでに失明しました。あなたの右目を大切にしてほしいです」原告を送って、私は法廷に帰り、法廷のすべての人達に向けて、地元の人が当時、私を誘って食事をした状況と地元の人の案件を審理した過程を言いました。人々は親指を立てて「元々、法輪功を修煉する人はこのように確かな人ですね」と言いました。
 
 また、今思い出しても、泣くにも泣けず笑うにも笑えないことがあります。ある十数年もかかっている陳情の案件です。原告は村の委員会で、被告は17世帯の村人でした。事由は村の委員会が17世帯の村人に対する土地の請け負い費用(中国では土地は国家所有のため、農民は国家から土地を請け負います)を増額する要求に対して、村人が応じなかったのです。この案件は基層裁判所(日本の地方裁判所レベル)を経過して、中級裁判所、検察院に控訴し、当事者たちはみな不満を抱えて陳情することになりました。この時、上司は私にこの案件を主に処理するよう決めました。案件を受け取った後、私はとてもうれしく思いました。なぜなら案件関連者が多く、また村の委員会の職員達もいるので、真相を知って救いを得る人が増えるからです。私は真相のDVD、小冊子、『共産党についての九つの論評』などの資料をかばんいっぱい準備してパトカーを運転し、その村に行きました。
 
 村に着いた後、私は主要な道路の出入り口で大部分の資料を配り出し、村の委員会に来ました。4人の郷級幹部もいて、村の婦女主任の家へ食事に行こうとするところでした。私も誘われました。食事中、みなあれこれと案件について話し合いながら、中国共産党を罵りました。私は機会を得て「共産党はいったい何ものか?」「法輪功は何であるか?」を話し始めました。みな非常に真剣に聞き入っていました。この時、外の部屋でご飯を作っていた婦女主任がみなを呼び出して大声でこう言いました。「その人はたぶん裁判所の人ではなさそうですが、あなた達はそこでその女性の言っている話を聞いていましたね」私はちっとも動かず、続けて食事をしました。郷級幹部たちは長い時間が経ってやっと部屋に戻りました。私は私の身分を確かめに行ったかも知れないと推測しました。私は冗談で「あなた達はたぶん村人が信頼している良い幹部ではなさそうです。『真善忍』さえ聞く勇気がないのに、良い責任者とは言えないでしょう」と言いました。郷級幹部たちは「いいえ、いいえ」と答えました。
 
 裁判所に帰った後、裁判所の責任者は郷級幹部たちが確かに電話で私の身分を確かめた、と私に教えてくれました。その後、私は17世帯の村人を裁判所に呼んで来て真相を話してあげました。また村の委員会の幹部たちを裁判所に呼んで来て次のように話しました。「村人は弱者の集まりです。村の委員会がこれくらいのお金を稼ぐのはとても簡単でしょう。村人をとことんまで追い詰めずに、土地の請け負い費用を昔のままにしてほしいです」そして、続けて村の委員会の幹部たちに「なぜ天が共産党を滅ぼそうとするか」「なぜ脱党したら命が無事になるか」を話してあげました。その場で、5人はみな中国共産党の組織から脱退し、村の委員会は訴えを取り消しました。
 
 我が県の同修たちはみなとても精進しており、統一された協調の下で、みなはグループ分けして請け負った関連地域の村に行き、家に入って人々と面と向かい、真相を伝え、真相の資料を配りました。去年10月末の午前中、私は他の4人の同修たちと一緒に我が県の山にある観光区に行き、真相を伝えました。山地の村人たちは分散して住んでいるため、一定の苦労が伴っていました。私達5人は3組に分かれて、私自身は山の一番上に住んでいる人達を任されました。私が真相を話しながら、真相の資料を配っている時、山の麓にいた同修から、「同修一人が捕まえられました」という電話が来ました。私は、同修たちに「あなた達3人は自動車で先に帰ってください。後の処理は私がします」と話しました。私はすぐ一番速いスピードで資料を配り終わり、山を下り始めました。この時、パトカーが私を追って来ました。しかし、私が山道を歩いていたので、追いにくかったのです。警官は思い切ってパトカーを捨て、私に向かって追いながら叫びました。「お前はどこへ逃げるんだ?お前の資料は?お前の資料は?」私は振り返って警官に向かって歩きながら「資料は配り終わりました。あなたが欲しいなら私はあなたのために続けて探してみます」と言いました。警官は不思議で、呆然としていました。私は「私は県の裁判所に勤めています。行きましょう。あなた達の留置場に行きましょう。ドアを開けて暖めましょう」と言いました。留置場で私は同修に会いましたが、同修を認める勇気がなかったので、ずっとその場の警官たちに真相を話し、同修を釈放してもらおうとしましたが、できませんでした。ちょうどこの時、バスが来たので、私はバスに乗って、途中でバスに乗った客たちに真相を伝えたことで、7、8人が中共の組織から脱退しました。
 
 地元の県に帰って、私は一刻も休まず、同修一人を呼んで、捕まえられた同修を釈放してもらうため、車で公安局の局長の家に行きました。途中で妨害がとても大きく、黒い大旋風が私達の車をずっと追って来ました。本当に荒れ狂った大風でした。局長の家に着くと、局長の夫人は口汚く悪口を言ってきましたが、私達は動揺せず、ずっと真相を話しました。局長はすでに隣の県の留置場に送ったと私達に教えてくれました。翌日、私達はまた車で隣の県の留置場に行きました。私はここにいたことがあり、ここの指導員はすでに真相を知っていました。私はその指導員を探しましたが、だいぶ前に転任されたそうです。私はずっと留置場と交渉しましたが、午後私達に、捕まった同修はすでに市の女子労働教養所に送られ、一年三カ月の不当判決を下された、と知らせてくれました。本当に私達が急いで探すと、邪悪も早く判決を下すのです。夜、私はまた公安局の副局長の家に行って、このことを通して中国には法律がないことおよび、法輪功の真相を話してあげました。公安局の副局長も中共の組織から脱退しました。その後、私はとても自責し、当時、同修と一緒に向き合うべきだと思いました。
 
 迫害を受けてから11年間、真相を伝え、衆生を救い済度することは私の仕事と生活の様々な方面に溶け込んでいました。そばで擦れ違うとしても私は大法の素晴らしさを縁のある人に伝えてあげました。ある時、雨が止んだばかりでした。私が車を運転して県から市へ急ぐ時、突然、あるマイクロバスが私の車の前に来て私を止めました。私は何が起きたか分からず、車から下りました。ある若い男性が、全身濡れた服から水を払い落しながら、怒って「目が見えないのか? 車を運転しながら気をつけないのか? 私が道路の脇で洗車しているのに、あなたのせいで私の全身に水がかかったよ」と言って来ました。私は急いで謝り、真心を込めて「本当に申し訳ありません。私も故意ではありません。何でもしますので、話してください。お金で賠償するか、もしくはあなたに服を買って差しあげるか、どうしたらいいでしょうか?」と話しました。この時、若い男性の方が照れてしまいました。私は続けて言いました。「この件で、あなたが私を追いかけて来たのは、私達に縁があるということを意味します。あなたに教えるべきことがあります」私がその若い男性に真相を伝えると、若い男性は中共の組織から脱退し、私に電話番号を聞いて来ました。私がそろそろ市に着く時、その若い男性から電話が来ました。私の声を聞き、「本当にあなたですよね。あなたが私にうその電話番号を言ったと思っていました」と言いました。「私は『真善忍』を修める者です。人を騙すはずがありません」と私は答えました。若い男性は感激して「あなたと友人になりたいです。後であなたを探しに行きます」と言いました。
 
 ここまで書いて、ペンをおろし、物思いに沈みました。大法が私に与えてくださったものは本当に多いのです。中共の首悪は法輪功に対して「名誉を汚し、経済面で苦しめ、肉体を消滅させる」と叫びましたが、実際は、2回の不当監禁で私の正信はさらに固くなりました。私は時々刻々、心に大法と衆生を置き、大法をもって師とし、はっきり正々堂々と真相を伝えました。私は、経済の方面でどんな損失も受けないばかりでなく、栄誉の証書を重ねてもらいました。ここで、私はまたある出来事を思い出しました。一度、大きな山奥にある村に行き、車の修理で手が汚れたので、地元の人の家に行って洗いました。地元の人は洗面器の中に清い水を入れて私に持って来てくれると同時に、新しいタオルと新しい石けんを持って来ました。私は地元の人にとても感謝し、「私達は赤の他人なのに、なぜこうしてくれるのですか?」と聞きました。地元の人は笑いながら、「私はあなたを知っています。あなたは我が県の『包青天』(中国の古代、とても清廉で有名な官僚)ではありませんか?」と言いました。庶民たちは私を「包青天」と呼んでくれます。しかし、私は知っています。もし大法がなかったら、悪のあふれる汚い世の中で、私が本当に公正、清廉で、私慾と恐れのない心が持てるのでしょうか? 私は本当に「青天」であり得るでしょうか?
 
 これまでの日々で、心に最も多く残っていたのは師父の詩『無存』「生きて求める所無く、死して留まるを惜しまず、妄念を蕩尽すれば、佛を修するは難しからず」でした。師父は宇宙の衆生のためにすべてを尽くしておられるのに、私達は師父の弟子、法を正す時期の大法弟子として、どんな捨てられないものがあるのでしょうか。
 
 師父に感謝いたします!
 
 (明慧ネット第7回中国大陸大法弟子ネット法会)
 
 (完) 
 
2010年12月15日


(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/12/6/121811.html
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