日本明慧
■印刷版   

修煉の中の逆境から抜け出す


文/清藍

(明慧日本)大法弟子は悪辣な世に身をおいているため、生活と仕事の中、常にとても難しいです。最近、仕事のために奔走している同修に会いました。一部は必要ではない逆境に陥っていて、自分でもとても苦しいと感じています。大多数の修煉者は単純で善良ですが、ときにはあまりにも単純であって、下記に提示するいくつかの落とし穴に落ち入り易いのです。
 
 一、洗脳班、あるいは強制労働教養所に入ると、「勇気を持って正義のために死ぬ」という姿勢です。この冷静の欠けた現れは、恐らく中共の「革命映画」を多く見たためだと思います。人のいかなる思想もすべて源があります。ですから、自分のすべての念の源についてすべて分析すべきです。私は洗脳班で、かつて洗脳をしている人たちが大法弟子に対して転向させる指導ビデオを見たことがあります。洗脳班に入ると、邪悪はあなたが人身の自由を失った状況で、何に執着し、何に緊張するか、何を気にしているか、何を心配しているかを観察します。それらは洗脳の仕事をするとき、ステップごとに観察項目があります。まずは、法輪功を修煉しないという保証書を書かせます。保証書を書けば家に帰れると何度も言いふらします。
 
 覚えてほしいのは、それらも人間であり、名、利、情の制約を受けている常人であるということです。実際あなたが保証書を書くか、書かないかについて、彼らはそこまで関心を寄せていません。それらの給料に対する関心は、あなたが保証書を書くより重いのです。もし、あなたの考えが確固たるものではなく、人心に従いやすく、早く家に帰りたい、この邪悪なところを離れたいと思って、一旦保証書を書くと、あなたに対して深く掘る段階に入ります。それらは戦果を拡大しようとし、絶対簡単にあなたを見逃しません。かえって、引き続きあなたに、あなたが永遠に自分を戻せない境地に陥るようなものを書かせようとします。あなたを完全に大法の反対面に推していきます。それらは一歩一歩あなたを誘惑して妥協させ、転向させます。あなたが邪悪の一つの理を認めれば、その後ろにどんどん来ます。あなたは徹底的に邪悟になり、道を背きます。もしすべての人心を修め、自分の内心が大法の中に溶け、深海のように静かであれば、それらがあなたの心理的弱点と漏れを探すとき、あなたは覚者が静かにこの世を見ているのと同じく、それらのすべての考えを見ることができ、それらは目の前にまだ来ていないうちに、溶けてしまいます。
 
 二、一部の同修は商売をしていますが、修煉してから、しきりに値段を下げようと思い、常に資本金を保てばよいと思います。これは間違っています。いくらで販売するかに関わらず、自分に詐欺の行為がなく、正々堂々とし、相手が自らの意思で取引をするのであれば問題ありません。利益の心を放棄するとは、商人としての智慧まで放棄することではなく、大きなところに着眼して修煉すべきです。
 
 三、他人が苦しいのをみて、すぐお金を貸してあげます。これも理性ではなく、自分をあまりにも困難な境地に置かせてしまいます。この十数年間、三つのことに身を投じている修煉者自身には普段あまりお金が多くありません。ですから、常人の苦しみに対して、緊急な場合は助けてよいですが、貧困を救うことができません。即ち、急な用事があるとき、貸してあげることはよく、彼がいつも何か難があったら、あなたに助けを求めるとしても、それは彼の依頼心を助長することにもなります。あなたはその人に幾千万を与えても、その人の常人としての運命を変えることはできません。逆に、一部の人は往々にして、良し悪しの分別ができず、ずっと貸してあげたのに、一回貸してあげないと、却ってあなたは彼の感情を害してしまいます。一番良い方法は彼に法を得させ、法に同化させることであり、人間としてのいろいろな人心と欲を満足させるべきではないのです。人に本当に真相を理解させたら、その人は神に管理され、私たちは再び執着する必要がなくなります。
 
 四、自身の状況が良くない場合、必ず卑屈な心から抜け出し、悲観な感情を取り除かないと、修煉に対して、正しい信念がなく、大法に対して正しい信念がなく、師父に対して十分な正しい信念を持っていないことになります。昔から修煉において、体以外のものはすべて放棄することができるが、体は放棄していけないことになっています。特に、私たちは生命双修の功法なので、自分の健康な状態は修煉状態の一部の体現です。私たちの修煉環境を変えようとすることは、他人のことにも及ぶので、容易いことではありません。しかし、自分のその心を変えることは却って非常に直接的です。そうしたら、法に照らして、自分の心の中、変えられるものをすべて変え、自分の力で変えられないすべてに立ち向かうべきです。体の状態がすぐれていない中、必ずしっかりと煉功し、発正念し、体の機制を強化し、同時に、本当に学法が心に入るようにしなければなりません。
 
 修煉者は絶対に悲観の情緒を持っていてはならず、どんなに大きな苦しみと辛さに遭っても、それを自分ひとりで引き受ければ、他人には必ず積極的で、楽観的な感覚を与えるに違いありません。もし、自分が終日、非常に苦しい顔をしていれば、常人は佛法を学んでいる人が、自分の苦悩からも解脱できないのに、何を盛んな議論をしているのか、と思います。私個人の経験では、眉間にしわを作る顔をせず、いかなることでも眉間にしわを作らないことです。多くの場合、心性を守れない場合、いらいらする表情がでたら、その後にいらいらする言葉が出てしまい、一旦気分が悪くなると口を修められなくなります。着実に修煉する中、確かにとても苦しい時、普段の静かな心理状態を持たないといけません。あまり多く話さず、口を修める状態を保ち、それに誰に話せばいいかも知らず、自分ひとりで引き受けます。もし苦難に遇った時、嬉しそうな格好をするのも、現実的ではありません。常人も怪しいと感じるでしょう。しかし、一旦自分が回復したら、慈悲な心理状態を保ち、常に嬉しい様子で、心身とも浄化させ、修復させる方法を把握してないといけません。
 
 自分を完璧にさせてから、法の実証に立ち向かい、無私で他人のことを先に考え、また無形の慈悲なエネルギー場を持ち、その背後にはまた正神の助けもあれば、考えてみてください。一人の常人がこのような場に囲まれたとき、信じて頭をうなずく以外にほかに何ができるでしょうか。
 
 すべての細胞、すべての微粒子はみな法の中で、十分に演化され、浄化され、宇宙特性によりできあがった心身とも法に適っている生命は、必ず最も美しい生命です。修煉者はすべての執着を取り除けば、神の心性と気品が人間社会での再現となり、新しい神話、物語の現れとなります。
 
 以上はわずかな認識であり、同修らの慈悲なる叱正をお願いします。 
 
2011年02月02日

■関連文章
利益の誘惑を突破する
忙しくする中で自分を修煉することを軽視しない(二)
夫婦のトラブルの中で自分の執着を見つけた(一)
最後の授業
神韻を紹介する機縁を大切にし、根本から観念を変える(一)
足が「ボキ!」という音がした後(一)
修煉において原則を守らなければならない
内に向かって探し、根本から「名」を取り除く
私は法のために生まれてきた(二)
迫害が最もひどい時期に大法の修煉を始めた(二)