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どうすれば落ち着いて学法できるか


文/中国の大法弟子

(明慧日本) 大法弟子は学法するとき、心が向上するにつれて落ち着いて来ます。修煉者にとって、「静」になる過程は私心や雑念を克服する過程で、言い換えれば、向上の過程です。
 
 異なる次元の「静」がありますが、異なる次元での修煉において、法は修煉者に対して異なる要求があります。「静」に対する要求も異なります。次元が高ければ高いほど「静」に対する要求が厳しくなります。学法する時、自分は長年修煉してきたので、新しい修煉者よりも落ち着いていると思い込んでいるかもしれませんが、これは「静」に対する要求を軽視しています。新しい修煉者は学法するとき、早く向上していると感じますが、長年修煉してきた修煉者は、ある状態に停滞する時期があり、どうしても新しい法理を悟れません。また、心性を向上させることができない原因や、落ち着いて学法できない原因があります。実際、心を落ち着かせることは、心性に関係しており、心を落ち着かせることができれば、向上している証拠です。
 
 より心を落ち着かせる方法は何でしょうか? ただ静かになると考える、また落ち着いてから学法することは永遠に「静」に達することができません。なぜなら、「静」になれない者は、思想業力、各種の執着心で、それらは生きている生命でもあり、影のように人についていき、人は取り除くことができません。人の念力でもこれを取り除くことができず、修煉者の正念に大法の力を加えてこそ取り除くことができます。「静」に達するには、多く学法し、まじめに学法することが、唯一の方法です。学法するとき、「静」になれない事を心配してはいけません。肝心なのは、絶えず修煉の心を持ち続け、大法を大切にし、修煉を大切にすることです。
 
 人生の意味とは何か、修煉者の目的とは何か、大法弟子の神聖なる使命とは何かをはっきりと考える必要があります。それが分かれば、修煉とは何かをまじめに考え、怠慢を克服して精進するでしょう。修煉とは、人心を取り除き、ゆっくりと人から離脱し、徐々に神になることです。積極的に執着心を放棄し、強大な正念で思想業力と他のすべての妨害を取り除くことです。まず、自らの念を正し、正念を持ち続けると、大法の力が人心を取り除くことを手伝ってくれます。良い循環になり、心がより「静」に近づき、大法の法理がもっと現れ、「人」の状態から離脱できます。「人」のものは近づいてきません。なぜなら、私たちの空間場は彼らが生きる場所ではなく、いても気持ちよく感じないからです。
 
 個人の悟りですので、間違っているところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。
 
2011年04月20日

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