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高齢の徐洪珍さんがジャムス市労働教養所の罪悪を暴く(三) (写真)

(明慧日本)
 
 3年の労働教養で受けた迫害
 
 2002年4月22日の朝、孫が学校に行こうとドアを開けると、7、8人の警察がいきなり家に押し入り、3、4人の警官が私を突き飛ばし、他の3、4人の警官が、娘を突き飛ばしました。外には、2台のパトカーが待機していました。我が家は3階で、2階に住んでいた張さんという人は正義感が強い人で、厳しく警官らに尋ねました。「あなたたちは、悪い人を捕まえないで、いい人ばかり捕まえているけれど、この未亡人と子供たちは、誰に逆らったというのですか?!」
 
 彼らは、私を布団の中から引きずり出し、連行しました。午前11時頃、孫娘が拘置所に来て、私の靴を持ってきてくれました。それまで、私は素足のまま、4時間ずっと立たされ続けました。その時、東北地方は寒さが厳しく、気温はマイナス10度でした。私は警官に「社会治安の妨害」という理由で、15日間の拘禁と書かれた書類を提示されましたが、結局15日も経たない内に、3年の労働教養処分を宣告され、労働教養所で非人道的な迫害の苦しみをさんざん嘗めさせられました
 
  ジャムス市の労働教養所では、幅80センチメートルのベッド二つを合わせて、そこに3人が寝かされました。肩を横に向け、足も曲げられず、目が覚めると両足が棒のように固くなり、注意しないと床に落ちてしまいました。労働教養所で出された野菜スープは、トウモロコシの粉で作ったパンを蒸し終えたお湯の残りに、塩を加えただけのもので、このスープには常にネズミの糞が混ぜられていました。また、大晦日に食べさせられた、冷凍の白菜で作られた餃子の中にもネズミの糞があり、使用された油はすべて賞味期限の切れた動物性の油でした。
 
 信仰を放棄しない法輪功学習者は、背もたれのない腰掛に座らせられ、50センチの範囲内で、朝6時から夜11時まで17時間、長時間同じ姿勢でいることを強いられました。少しでも足を伸ばすと、すぐに監視している受刑者に密告され、男性の警官が有無を言わせずスタンガンで殴りかかってくるので、誰もが傷だらけになっていました。このように、長時間座らせられる拷問を受けた人の中で、最も長い期間の人は、140日にも達しました。これはあまりにも残酷な刑罰で、この拷問を受けるとほとんどの人が正常に歩けなくなってしまいます。腰掛として使用されたものは、工場で電線を巻く時に利用されたもので、上に4個のねじが突き出していて、法輪功修煉者の臀部は、突き破られてしまいました。身長の高い人や、体格のよい人が受ける苦しみはさらに大きなものでした。この苦しい刑罰は緩慢な殺人と言えるほどです。
 
 「転化」しない法輪功学習者は、顔を洗う事、歯を磨く事、着替えをする事、更にはトイレに行く事までも禁じられました。毎日トイレに行くと、警官は狂ったように叫んで、早く用を済ますよう、せかしまた。大便も途中のまま、他の同修にトイレを譲らされましたので、毎日、肛門のあたりがすっきりしませんでした。また1年間の中で1日しか休みがなく、お正月の翌日から奴隷のように働かされ、休みもなく、毎日殴られたり、罵られました。また、法輪大法を中傷するDVDを強制的に見させられました。また、小さな腰掛に座らされ、少しでも目線を逸らしたら、すぐに受刑者に密告され、殴られます。仕事が終わらなければ、宿舎に持ち帰って終わらせなければなりませんでした。これは、私のような高齢のものでも、見逃されることはありませんでした。
 
 中共の16回大会が開かれる日、動揺しない法輪功学習者に対して、新たに迫害を強化するために、警備隊に体格の大きい男性4名が加えられ、顔は殺気立っており、会場にはスローガンを貼られていました。その中に、法輪大法を汚す文字もありました。私は、決して貼らせないという決意で、まだ貼り付けられていないスローガンの傍に座りました。私は捨て身になって、スローガンを破る、という一念だけを、心の中に焼きつけました。彼らが、法輪大法を汚す文字を貼り付けようとした時、私は一気に立ち上がって、「X教」と書かれた紙を破りました。すると、その4人の警備隊は、オオカミのように私に飛びかかってきて、会場から私を廊下に引きずり出し、ひどく殴打し、ものを引っ張るように、私を2階のトイレの横の部屋に連れて行き、鉄のベッドに吊り上げました。そのまま丸7日間、私は吊り上げられたままでした。
 
拷問の実演:吊るし上げ

 今この場で、丸7日間、ベッドに吊り上げられたと平気で言えますが、その当時は、1分1秒も長くて、本当に心を引き裂かれるような苦しみでした。これだけではなく、眠ることも許されませんでした。吊り上げられている間は、飲食をする時も、排泄したい時も放してはもらえず、全て受刑者の陳麗と、高齢である同修の朱秀芝に手伝ってもらいました。何日も続けて、眠らせてもらえなかった為、私がつい居眠りをしてしまうと、警官だけでなく、指示を受けた受刑者からも常に殴られました。私を監視させられていた陳麗は、心を鬼にすることができず、見なかったふりをすると、監視カメラで知られてしまい、陳麗も何度も殴られました。また警官の徐春峰は、2度も師父を汚す言葉を書いたスローガンを私の目の前に貼り、私を刺激したりしました。
 
 7日後、私はようやく放されました。しかし、私はトイレに行く事を禁じられ、仕方がなく洗面器を使うしかありませんでした。私は凶悪な看守に右の胸骨、脊椎骨を痛めつけられ、7か月間、腰を伸ばす事ができず、呼吸も苦しく、多分内臓も損傷していただろうと思います。手錠で両手を鉄のベッドに縛りつけられた時、まるで茄子のようになり、両手の指と足の親指は、変形してしまいました。拷問から1年過ぎた後、ようやく爪に血色が戻るようになりました。当時の私は、心臓も止まったかのようで、死ぬより苦しかったです。この残酷な拷問で、私は数年間、腰骨が損傷し、耐え難い痛みに苦しむ日々を送りました。
 
 2003年の大晦日の夜、普段と比べて少しだけ自由があり、これは受刑者たちや「転化」された法輪功学習者と交流するいいチャンスだと思い、彼女たちに真相を伝えようとしました。お米を盗んだ受刑者の鉄艶秋は、自分の刑期を減らすために、この事を嘘を混じえて、警官に密告しました。すると警官の劉亜東は、狂ったように怒り、私たちを監視して、他の人と接触させないようにしました。お正月の翌日に、彼らは私たち4人を、最も寒い部屋に入れ、壁には厚い霜が光っていました。
 
 私たちは罰として薄い布団を使わされ、更に私は外壁に近いベッドに寝かされました。まるで、氷のように冷たかったです。夜は眠れず、働く時は皆、体から腐ったような匂いがしました。多分、ベッドの湿気のせいだと言われました。帰ってからベッドを見ると、やはりベッドの下には、青い苔が生えていました。朝起きて干しましたが、夜に帰っても全然変わりませんでした。このような状態で、冬の大半を過ごしました。その時、どうやって耐えて来たのか、その辛さは、言葉では表現し切れない状況でした。
 
  2004年1月、まだ「転化」されなかった人は、一律にして強制的に「転化」を強いられました。その時、私の体は極端に衰弱していて、古い傷の上に、また新しい傷が出来てしまいました。警官の李秀錦は威圧的な態度で私に「『5書』を書かないか?」と尋ねましたが、私は沈黙し続けました。すると彼女は、受刑者の劉雲華に手錠を持って来させ、わずかな人間性もなく、傷だらけの私を手錠で後ろから吊り、修煉をやめると言わせようとしました。胸に激痛が走り、言葉も出ませんでした。屈服する気がないと分かって、彼女は私をベッドの下まで蹴り、私は呼吸が苦しくなり、気を失ってしまいました。目が覚めた時は、深夜1時でした。私が失神した時に、彼女たちは私にペンを持たせ、修煉を放棄する、いわゆる「保証」を書かされました。とても悔しかったです。その後私は、それは自分が気を失った時に人に書かされたもので、全て無効であるという声明を書いて、中隊長の周佳慧に渡しました。労働教養所から釈放された後、私は再び『厳正声明』を書きました。精神上の苦痛は、肉体の苦痛よりも辛いです。私は、新たに死ぬより苦しい体験を味わいました。
 
 2004年3月、第8中隊の法輪功修煉者全員は、共同で反迫害活動を行いました。朝5時ごろ、一緒にトイレに行く際に、教室に貼ってあった、大法を中傷するスローガンを全部破りました。身長の高い人は、高い所に貼ってあるスローガンを破り、身長の低い人は、低い所に貼ってあるスローガンを破りました。年配の修煉者は、大法と師父を汚すDVDを壊しました。そのために、李桂琴さんは警察に蹴られ、歯が2本折れてしまい、私は、同修の閻喜華さんと王玉紅さんとともに、手錠で後ろ手に縛り付けられ、吊るし上げられました。私と閻さんは、丸7日、王さんは18日間も吊るし上げられました。
 
  しかし、修煉者全員の力は邪悪を震え上がらせ、その後私が釈放されるまで、警官達は大法を中傷するスローガンを貼りませんでした。
 
 私は迫害されている期間中、ジャムス労教所で疲れて力が尽き果て、死ぬ事より生きる苦しみを体験しました。そして私が目にしたものは、ヒステリー、非人間性、無法状態、嘘つき、それに天に背く罪悪と、この世の地獄です!
 
  ジャムス労教所でのこれらの迫害は、ただ私の記憶より書き出したもので、実際の法輪法学者に対する迫害状況は、まだ氷山の一角でしかありません。私は世界中の人々に、中共がどのように、善良な中国民衆を迫害しているかを知らせたいと思い、これらを書き出す事にしました。中共は海外に向けて、平和を装い、邪悪な罪悪を隠し、外国の民衆を騙しています。私は、国際社会の正義なる人々に応援を求め、共にこのような残酷で、人道をわきまえない、そして今だに続けられている迫害を一刻も早く制止できるよう、お願いしたいと思っています。
 
 (完)
 
2011年06月04日

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