日本明慧
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古い観念を根こそぎ取り除こう(二) 文/浄蓮 二、苦を恐れる心をなくす 翌日、第五式の功法を煉功した時に、足が痛みました。以前このようになったら、心の中で限界だと感じ、自分の忍耐力は足りないと思っていました。今回は、これぐらいの感覚は「苦」になるのか、いや、これは嬉しいことだ、なぜかと言えば、良くない生命が新宇宙の良い生命になり、喜ぶべきだと考えました。すると、本当に喜びのような気持ちが湧いてきました。やはり足は痛いのですが、苦痛ではなく喜んでいました。 これまでの場合、とっくに足を崩して止めるのですが、今回はずっと組んだままで、苦痛がなくなり、平気で嬉しく感じました。師父の『洪吟』野中の「苦を嘗めるをもって楽とす」のもう一つの意味を体得しました。 三、師父の説法への悟り 師父は次のようにおっしゃいました。「当時、私は法を伝え始めたばかりのとき、これらのことのために、それらと対峙し、一年の時間を無駄にしました。しかし、その後そろそろ伝え始めないと、多くの学習者は法を得る間がなく、多くの衆生を救おうと思っても間に合わないと、私は考えました。ですから、多くのことに関して、私はずっとそれらと張り合っていました。当時、私は表面の体の転化が、修煉してできた部分と協調し、体を修煉の中で、人間の状態から離れさせ、修煉の弟子が自分の正念で人間と同じ状態を保つようにしたかったのです。これらの問題のために、私はそれらと一年対峙しました。当時、私はこのために法を伝えなかったのです。一年間、対峙していました。今になっても、私はそれらが堅持することを認めず、将来も決して認めないのです。これを妨害し、破壊することに関わるすべての生命は、必ず償いの中で解体されます。私は必要なものなら、たとえ歴史を戻してやり直しても、私のことをやり遂げなければなりません。これは法を正す中で、なくてはならない内容と過程です。これは法がこの世を正すことを指しているのではありません」 私の悟りでは、師父は私達に神の部分を主導するようにし、体を三界内の要素に束縛された状態から脱け出し、人の状態から抜け出します。しかし、旧勢力の要素がそれを妨害しました(もし師父に按排されたことに従ったら、迫害もなくなるのです)。法がこの世を正す前に、大法弟子が正念の下で三界内の旧宇宙の要素を突破し、神の念に主宰されたら、神の力を持って、多くの衆生を済度し、自分の使命を果たすことができます。 法を実証する過程で、心を静めて法理に基づいてしっかり悟れば、根本的に人間の観念を変えて、もっと早く向上できます。そして、執着心をなくし、人を救い済度することも早くできます。 法を実証する中で、私は互いに協力し合う過程で、いつも自分の発想がよいと思って自己主張ばかりしていましたが、それから私は観念を変えました。高次元から見ると、人間のやり方、人間が使ったものは人類が変異した後に現れたものであり、私達はただその中に一部だけの正しいものを利用して人を救うだけで、方法はどちらでも良いのです。私達がやることは、その背後の正念の働きが大きいのです。一部のケースは、常人の技能が高ければ良くはなりますが、真に決定的な部分は私達が協力し合い、正念によってできたことです。 協力することができて、初めて自我を放下し、私心をなくし、新宇宙の無私無我の要求を満たします。協力し合うことの背後にもっと深い意味があり、それは未来の宇宙の構造、運行にかかわることなので、基準に達しなければなりません。 師父の慈悲なる済度に感謝します。師父から授かったすべてに感謝します。私達の知恵、能力のすべては師父から授かったものであり、修煉における固い信念、修煉により現れた慈悲の心をもって師父に要求されたことを円融します。
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