日本明慧
|
人の念は観念、正念は神の念 文/ 河南省の大法弟子 最近、明慧ネットでよく、同修たちが旧勢力に迫害され、そして、このことについて発正念をすることに対する体験文章などをよく見ます。ここで、私も自分の周囲の同修たちがこのことについて身をもって体験したことや悟ったことについて書きとめようと思います。 情は慈悲ではなく、一種の魔である ある日、学習者Aさんの夫(Aさんはいつも自分の夫は精進しない学習者だと言っています)が突然、全身から冷や汗が出て、とても苦しくなりました。子供たちはこのことを知って急いで家に戻ってきて、病院に行くよう父親を説得しましたが、彼は行きません。しかし、ベッドの上で横になっても寒くて仕方がない様子です。そこで、子供たちは彼に三枚の布団をみっちりとかぶせましたが、彼は依然として寒くて震えており、うめき続けました。 Aさんは夫のベッドの前に立ち、彼が苦しむ様子を見て、自分は彼より体が丈夫だから、少しぐらい彼に代わってあげられれば良いのにと思いました。彼女はただこのように思っただけで、深くは考えませんでした。しかし、自分の寝室に戻った瞬間、冷たい風が背後から襲ってきて、彼女は寒くて立っていられず、すぐにベッドに駆け上がり、布団をかぶりましたが、それでも寒くて震え出しました。彼女は、自分に布団を増やして欲しいと子供たちを呼び、子供たちは慌てました。 おかしなことに、彼女の夫は突然暑くて仕方がなく、「暑い、暑すぎる、早く布団を取ってくれ」と叫びました。子供たちは急いで布団を取り、母親の部屋にもって行き、彼女も三枚の布団を掛けました。もちろん、この間に、Aさんは自分のこの明らかな漏れに対してずっと発正念をしていました。このとき、Aさんの夫が治り、Aさんの部屋へ行き、Aさんに対して「あなたはあんなに精進しているにもかかわらず、こうなるんだな」と言い出したのです。良かったことに、Aさんの正念が十分だったため、自分の過ちに気づき、すぐに震えが治まり、体も熱くなりました。子供たちはこのすべてを目にして、とても不思議だと感じました。 このことについて、Aさんは師父が『転法輪』の中でおっしゃった「肉親や親友が苦痛に見舞われたとき、心が動じるかどうか、そういう時にいかに対処するのかなど、まさにこういうところが難しいのです」について、新たなはっきりとした認識ができました。心が動じることは、情に動じることです。情は常人の心であり、慈悲ではありません。そして、情は一種の魔です。夫婦同士が学習者であっても情に動じてはなりません。 人の念は観念、正念は神の念 学習者Bさんは70歳過ぎの老人で、「三つのこと」は毎日やりますが、あるよくない観念がなかなか消えず、習慣になってしまいました。それは、毎晩足を洗った後に、足の甲を押して腫れているかどうかを確かめることなのです。彼女が18歳のときから、長い時間歩き続けると腫れてしまい、このように確かめることが習慣になってしまったのです。 ある日の朝3時50分ごろ、彼女は起きて煉功をしようとしましたが、突然おかしな感じに襲われ、ズボンが足にピッタリとくっつき、お腹も大きくなり、背中はかまをかけられたようで、足の平も平らになり、靴も履けなくなってしまったのです。彼女は驚き、体重を量ろうと思いました。何日か前に量ったときには60キロでした。しかし、今量ると、なんと80キロです。一晩で20キロも増えたのです! これは、旧勢力が自分の漏れに付け込んだのです。悪くなった神だけがこのような力も持っていて、彼女の体に一気にこのようなたくさんの悪いものを増やしたのです。本当に邪悪すぎます! しかし、彼女は発正念をして、悪を消すことしか考えず、自分の漏れを正しく探し当てることができず、いっぱい探し出しましたが、根本にたどることができませんでした。ある日、学習者と交流して、これはすべて自分が求めたことであったと、だんだん分かってきました。自分の執着心に気づいたことで、彼女の体の腫れもゆっくりと消えていきました。結局、不必要な周り道を進んでしまいました。
|
- 人心に対する執着を放下し、師父の按排された修煉の道を歩む(三)
- 学法を真に堅持すれば必ず変化が起きる
- 嫉妬心の根源
- 主流社会のVIPに神韻を広めた体験(二)
- 法を多く勉強して自分を修め、衆生を救い済度する(一)
- 執着には大小なし
- 古い観念を根こそぎ取り除こう(一)
- 天の書を見て天目が開き、観念を変え正しい道に戻る(一)
- 黒竜江省:姉妹の法輪功修煉者が受けた迫害事実(二)
- 内モンゴル自治区:法輪功修煉者夫婦 不当に連行され妻は労働教養を宣告される